1日目 エピローグ


 暗闇は意識を落とし無思考の世界を築き上げる。

 その世界には何もない。自分がどこにいるのかも、どこにいようとも、何もない。考えなくても傷つかず、考えようとしても消えゆく、何もない世界。

 自由に動けない代わりに、何もせずとも生きていける。

 非現実的だが合理的、寂しいが安堵する。悲しいけれど理想的だ。

 ――けれど。

 山吹色の瞳が私を映している。蒼みがかった目より長い髪が揺れている。私に手を伸ばしている。顔に表情はないけれど、口が微かに動く。


 

――「さぁ、起きる時間だ」



 暗闇から光が溢れ、私を包み込んだ。




 人気上昇中の若手俳優に期待の作家の脚本によって作られる舞台にホールは満員だった。テレビでの宣伝によってか、様々な世代の人がいる。チケットは発売された時から即完売。オークションでは高値で交渉される程、このチケットは貴重なものだ。

 それを私は前日、つまり昨日手に入れてしかも二階席の最前列という全体が見える良い席に座っている。

 昨日の兄との電話越しの会話を思い出す。

『え、急にどうしたの。実音』

 『無理ならいいの。でも、一回観てみたくて』

 満にいは驚いていたけれど『分かった』と返事してすぐにチケットを用意してその日の内に持ってきてくれた。

公演が終わり、出演者全員がお客に向かってお辞儀しているところで幕が下りる。耳が痛くなるような大きな拍手に感動の歓声。

 私も拍手をしたが、その音は周りにかき消されていく。けれど止めようとは思わなかった。

 満にいが創り出した世界、物語に成にいが魂を吹き込む。2人の兄が創りだした世界は美しく幸せなものだった。

 ずっと避け続けた兄たちが求めていた夢。母が自慢と言った二人の兄たちは本当に素晴らしいと今は思える。そんな想いは、もう随分前になくなってしまったと思っていた。けれど、ようやく私は兄たちを見る事ができた気がする。

 悲しいとか苦しいとか、胸のどこかで呟いている自分がいる。それでも前より堕ちることはない。

 お客が帰っていく中、私は関係者しか入れない裏の方へ入れてもらった。それが満にいがチケットを用意した条件なのだ。

 『帰る前に僕たちに会いに来て』

 迷惑じゃないかと聞いたがそんなことないと返され、スタッフの人にも言っておくからと言われた通り、ここまでスムーズに来られた。

 手には小さな花束。きっと花束なんて、これより大きいものを飽きるほど貰っていると思う。私が出せる精一杯の花束なので、文句が言われても困ってしまう。

 案内してくれた人が「ここで待っていて」と言い、楽屋と呼ばれる部屋のドアをノックして何か言っている。その姿を見て、私は通行の邪魔にならないように端へ寄った。すると「実音」と声を掛けられる。

 「来てくれたんだね」

 満にいがドアから顔を出してにこにこ笑っていた。案内してくれた人に礼を言って私は満にいの目の前へ。部屋へ通してくれた満にいへ「これ」と言って小さな花束を。それを見た満にいは嬉しそうにまた笑い礼を述べてくれた。それにむず痒い気持ちになる。

 「おい、俺には何もないのか」

 部屋の奥から不機嫌そうな声。成にいが部屋のテーブルに頬杖をついてこちらをじっと見ていた。私は慌てて、満にいが成にいを制す。

 「あのね、成真。これは僕だけじゃなくて君の分でもあるんだよ。」

 「・・・」

 分かっているだろう?と言われれば成にいは黙ってしまった。しかし、やはり不機嫌そうにこちらを見ている。

 「実音に直接渡されなかったからって拗ねないでよ」

 「・・・拗ねてない」

 ぷいと顔を逸らす成にいに満にいは「まったく」と溜息を漏らしてドアを閉めてから私を促したので、私は慌てて靴を脱いで畳に足を踏み入れる。そしてテーブルの前に座る。

 「でも驚いたよ。実音が僕たちの公演に来たいって言われた時は。」

 「あ、ご、ごめんなさい」

 ようやく発した言葉は謝罪。しかし、無理させてチケットを手に入れたのは本当なので謝る。満にいはそれに「いいよいいよ、大したことしてないし」と言い、私の隣に座る。

 「それにね、嬉しかったんだよ。」

 「嬉しい?」

 「そうだよ。滅多に実音は僕らにわがままを言わないから」

 そう言って私の頭を優しく撫でる満にい。

 「実音は、何でも我慢する子だから。いつも一人で頑張っちゃうだろ?こうやって、頼ってくれて構わないのに。」

 「・・・」

 私は満にいを見つめる。私に向ける赤に近い茶色の瞳は優しさがあって。そういえば、私は兄の瞳をきちんと今まで見ていただろうかと思う。こんなに優しいものだったろうか。

 「わがまま娘もどうかと思うけどな」

 成にいの一言にまた満にいは溜息を漏らし視線だけ成にいに向ける。

 「いい加減に素直になったら?実音が来るって張り切ってたの誰だっけ」

 「・・・張り切ってない」

 双子の兄のやり取りに自然と笑みが浮かぶ。すると、満にいが驚いたよう「え!?」と声を上げ私の両肩を掴み視線を無理やり合わせられる。

 「笑った!笑ったね、実音」

 「え、え?」

 「実音の笑顔、久しぶりに見た!」

 嬉しそうに顔を綻ばせ抱き着いてくる満にい。助けを求めるように成にいを見れば、目を見開きなぜか固まっている。私はますます分からず首を傾げるしかない。ハッと目をぱちくりした成にいは「おい、満真」と名前を呼ぶ。すると満にいは「仕方ないな」と言いながら離れる。

 「実音、あのね」

 笑った顔から一変、満にいは真剣な顔で私を見る。私も見返す。

 「これからいっぱい僕たちを頼って。わがまま言って。迷惑だなんて思わないで。いつだって僕たちは実音が大切なんだ。」

 「満にい」

 「本当に今日来てくれて嬉しかったんだ、嬉しかったんだよ。実音、ありがとう」

 私は俯く。膝に置いてある手を握りしめた。

 私は何も見えてなかった。何も、何も。

 自分のことばかり。兄が私をどう思っていたのか、どんな思いを抱えていたのかも。何も見えていなかった。

 自分を否定して、兄の凄さに嫉妬して。受け入れてほしかった、認めてほしかった。そう思っている自分が、一番受け入れても認めてもいなかった。

 『実音、ほら泣かないで。笑顔がいちばん』

 『ったく、しょうがねーな。おい泣き虫。にーちゃんがあいつらぶっ潰してやる』

 蘇ってくる幼い時の思い出。そうか、兄たちはあの頃から私を見てくれていた。認めてくれていた、受け入れてくれていた。

 「満にい」

 「うん?」

 呼べば満にいは返事をする。

 「成にい」

 「・・・」

 成にいは視線をこちらに向けてくれた。

 私は大きく息を吸って吐いてから二人を見た。

 震える左手を右手で抑えるように包み込む。大丈夫、大丈夫。

 「今日の公演、すごく良かった。満にいも成にいも、私の・・私の」

 一筋の涙が頬を伝った。

 「自慢のお兄ちゃんたちだよ」



 



私の居場所は、昔も今もこれからもなくなってなどいなかったのだ。

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久吉実音の一週間 @Shioo

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