春人side

《春人へ


 今までありがとう。十年間、春人と一緒に病気と闘えて良 かったよ。黙っててごめんね。もう私はいないけど、春人は私の分までしっかり生きて。


もう、私のことは思い出さなくていいから。きっと、春人の心を締め付けるから。あんなやついたな〜で構わないから。


 夢に向かって頑張れよ!絶対お医者さんになるんだぞ!》


間違った文字は消しゴムで消さず、鉛筆で線で消したいたので、下書きだったのだろうか。桜日は俺に手紙を書いてくれるつもりだったんだな。スケッチブックを持つ手が震える。


思わずスケッチブックを落としてしまい、その拍子でページがめくられてしまった。


真っ白なスケッチブックを拾い、もう一度見ると、また何かが書かれていた。




《春人のこと、十年前からずっと好きだったよ。直接言えなくてごめん》



涙腺を崩壊させるには十分だった。自分の頰を伝って手首に涙が落ちてくる。


「俺も好きだったよ。十年前、君に出会った時から」


そう顔が涙でぐちゃぐちゃになりながら言った。


「俺が桜日のこと好きじゃないと思ってたのか…?」


鈍感な彼女に笑みがこぼれる。


これは素直になれなかった彼女が最後に勇気を持って書いたものだろう。さっき書かれていた文字より濃く書かれ、文字が震えていたので、ほんの少し前に書いたのだろ。もう、自分は手紙を書けないと悟ったのだろうか。


自分も桜日に好意を抱いていることを直接言ったら、桜日は何言ってんのと笑うだろうと思っていたから、俺はずっと好きという言葉を飲み込んでしまっていた。


「また俺を驚かそうとしてるの?」


そこに桜日がいる気がしてそう問いかける。


「驚いたよ。俺の負けだ」


もちろん返事はなく、桜が風で揺れる音が病室に響いた。


「桜日のこと、絶対忘れないから。医者になって、桜日みたいな子を助けるから。…だから

これからも、ずっと俺の隣にいてくれ…」


そううつむきながら言った。桜日に届いているのだろうか。



 開けた窓から暖かい春風が入ってきて、俺を包み込んでいく。


その時、ふわっと甘い春の香りがした。


「桜の香り…?」


十年間、ずっと桜日が言っていた桜の香りだった。

やっと気づけた。桜の香りも。桜日の想いも。



今日は桜日の名前の通り、桜が綺麗な日。君は桜の下で微笑んで桜の香りを楽しんでいるのだろうか。



桜日が大好きだった桜の香りは、俺と桜日の永遠に実らない恋のように甘く病室の中で溶けていった。


桜の香りは、桜日が俺に告げるさよならの香りなのかもしれない。         



《完》

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さよならの香り 藍治 ゆき @yuki_aiji

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