第126話 「お茶でもどうだい?」

 3本の苦無がヒシマルに迫る。

 ヒシマルは目を閉じた。だが――


 苦無はすべて何者かの手が受け止めた。

「お嬢さんたち、かわいいね、お茶でもどうだい?」

 聞き慣れた声がどれほど頼もしく思えたことか。


 夜香忍軍の上忍のみが着ることができるロングコートの男が振り向いてヒシマルに片目をパチン、とつぶって見せる。

「ケサギ……さま……」

 ヒシマルはへなへなと力が抜けて地面に座り込む。


(助かっちゃったよ……ほんとに――)

 ヒシマルも過去に何度も窮地に遭って来たが、今回のは本当にギリギリだった。

 緊張していた筋肉がどっと緩んでしまった。


「かっこよく登場したかったのに、そのセリフはどうかと思うなあ」

 後ろから聞こえてきた穏やかで優しい声はムクロだ。

「同意します」

 さらに後ろからはベネゼルが灰色のロングコート姿で現れた。


「ムクロ様、ベネゼル様も……よくここが……」

 アサギリは声が震えている。確かに、よくここがわかったものだ。上忍の異能だろうか。アサギリの両手に絡んだ鎖鎌を持つ忍者たちが手を離し、鎖がジャラッと音を立てて地面に落ちる。


「「上忍……!」」

 日向忍軍の10人の目が恐怖に揺らぐ。


 ヒシマルは自分たちの前後に立つ黒のロングコート姿の頼もしい男たちを見た。

 コートは背に紋の付いていないタイプで襟にはケサギは2、ムクロは3のローシェ数字をかたどったバッジが輝いていた。


 ケサギの左手には苦無が3本握られている。

 夜香忍軍二番隊と三番隊の隊長は背の大太刀を抜いていたが、構えてはいなかった。

 周囲に張り巡らされていた針金を切ったのだろう。

 彼らのロングブーツの底は金属製であり撒菱の刃を通さない。


「……助かった――」

 アサギリは膝を付き、ヒシマルも脇腹を抑えながら座り込んだ。

「アサギリ、報告」

 ケサギが3本の苦無を自分の懐に収めながら言った。

「は、はい」


 アサギリの両手の鎖鎌をムクロが外す。

「右肩の関節が外れてるな、ベネゼル、ヒシマルの後で処置してやってくれ」


 ベネゼルはすでにヒシマルの治療を始めていた。

「はい」


 アサギリが報告する。

「ただちに伊津河城へ向かってください。長内殿とバルディック殿が危ない」


「「承知」」


「あ、その前に、こいつらどうする?やっとく?」

 ムクロが聞くと。


 日向忍軍10人はケサギとムクロを見て動きが止まっていた。

 上忍が2人もいるのだ。うっかり背を見せて逃げれば確実に殺される。

 かといって、実力が違いすぎて、歯向かったところで一糸も報えないのは嫌というほど彼らは知っていた。


「捕らえておいてください。大した情報は持ってないでしょうが、余計なことを漏らされると困ります」


 ベネゼルが頷いた。

「わかりました。近くまで第3騎兵隊が来ています。彼らに引き渡しましょう。連絡はすでにしておきました」

「ありがとうございます」


「結節点を起動しますので、ケサギ様とムクロ様は、先に伊津河城へ向かってください。私はアサギリ様とヒシマル様とこの日向忍軍たちを騎兵隊にお渡ししてから参ります。

 バルディックとも通信が繋がりました。まだ無事ですが長内様もバルディックも逃げ道を塞がれているようです」


「わかった。思った以上に切羽詰まっているな。アサギリ、スパンダウ殿とクラウス殿にも連絡頼む」

「連絡了解いたしましたが、お待ちください、城内の結節点出口も危ないと思います。やつら、なぜか結節点について熟知しているようで、出てくるときの一番無防備な瞬間を狙っています。恐らく、毒の罠が張ってあるかと」

「……そうか、日向忍軍内部に加えて白魔導士にも裏切者が出ているな。異常事態すぎる」


 ケサギはそう言うと、何の予備動作も見せずに縮地で接近し、9人を気絶させた。


 残された一人を見てアサギリが首をひねる。

利左衛門りざえもん?」


 利左衛門は両手を地面に付き、深々とケサギに向けて頭を下げた。彼もかなり若い忍者だ。

「日向忍軍を……お助けください!此度の陰謀、大半が騙されております!みな長内様には野望があると信じ込まされ、ばるで様とともに弑し奉らんとしております」


まことですね。しかもかなり追い詰められている状況のようです」

 ベネゼルがアサギリの右肩の関節を診ながら言った。

 白魔導士の中でも特に高位のものは判定の魔法によって細かな感情の起伏さえも読み取る。


「お前だけは殺気がなく、目で言いたいことがあると合図してたからな。……此度の謀、上忍がからんでいるのか?」

「はい!」

 上忍が相手では、たとえ不本意であっても下忍中忍は従うしかない。


「首謀者の名はわかっているのか?」

「いいえ、それはまだ……上忍7名のうちのだれか、のはずなのですが、私のような下忍には名を知らされておりません」

「わかった。利左衛門とやら、途中まで俺たちといっしょに来い。詳しくは道中で聞く。そのあとアサギリたちは始末したが、9人は国境を越えたためにローシェに捕らえられた、と上司に報告しろ」

「ははっ」


「ベネゼル」

「はい」

 ベネゼルは利左衛門に見えない糸を結んだ。アイコンタクトだけのやりとりでかなりの内容が通じるほどベネゼルは忍者らしくなってきている。


「利左衛門、違和感はあると思うがそのままにしておけ。魔法の糸だ。お前の居場所がわかる」

「わかりました」


「アサギリ殿、深く息を吸って、吐いて、そのままちょっと止めてください」

 ベネゼルがアサギリに言う。

「はい?わかりました」


 バキャッ

「ぎゃっ」

 嫌な音と同時にアサギリが悲鳴を上げた。

「関節、はまりました」

「そ、そこは癒しの魔法じゃないんですか」

 アサギリは涙目だ。


「これくらいは私の腕だけで治せます。魔力に頼りすぎるのはよくありません」

「白魔導士様がそれを言うのですか……」

 ヒシマルは丸い目をパチパチした。

「ベネゼル……逞しくなったな」

 ケサギは感心している。


 ベネゼルの長い髪は白色、まつ毛も白く瞳は赤みを帯びている。決して大声を出さず、感情も現さないその端正な顔立ちは白魔導士の神秘的なイメージを最も現している、と評判だった。


「魔力よりも筋力、ですよ」

「ああーいつも書を読み、寄って来た小鳥を愛でておられた物静かな方が……」

「なんという立派な脳筋に……」

「誉め言葉です」


 などどしゃべりながら、ケサギとムクロは気絶している日向忍者たちを、彼らの口布や頭巾、鎖鎌を使って手際よく後ろ手に拘束し、目隠しと猿轡を施してからベネゼルに任せた。

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