第116話 日向忍軍と身分証明書発行魔法

 ――日向忍軍詰め所の一室――


 日向忍軍のお庭番の忍者たちが長内にうっかり殺気を送った下忍を叱責していた。

「未熟者め」

「申し訳ございません」


「あとで仕置きだ。……気づかれたか?」

「いえ、2人ともその様子はありません」

「そうか――」


 彼らにとって三鷹数馬は腕の立つ武士であるが、長内は武道の心得もないただの少年である。

 だが、状況は思わしくない。すでに迎撃が3度とも失敗している。三鷹数馬の腕前が彼らが知る以上のものだったからだ。城に入られる前に消すことができれば証拠も残さずにすべて丸く収まるはずだったのに。


「これ以上の失敗は許されぬ。他領へ逃げ込まれる前に、光川様にとって邪魔ものは早急に取り除く」

「「ははっ」」


 ――コテージ3号棟――


 朝食の後、戸籍騎士団のフィアンという男が書類を持ってやってきた。声からすると壮年の男だ。

 肩までの長さの灰色の髪は緩くウェーブがかかっている。顔には目元を隠すための白いのっぺりした仮面をつけているので、初めて見たときはサカキもギョッとしたものだ。

 長内は驚いてサカキの後ろに隠れた。


「こちらが長内様の新しい戸籍になります。身分証明札も添付しておりますのでご確認ください」

 長内の反応を気にした風もなく、フィアンは書類一式をサカキに渡す。長内が大陸公用語が読めないのを知っているようだ。


 キリヤとレスターは書類を横からのぞき込む。キリヤは首を傾げた。

「ゲンダル・アイラド。アイラドというとサカキ様の親戚にする、ということですか?」

「はい。今回は時間がありませんでしたので、サカキ様のウェルバ・アイラドの遠縁、ということにさせていただきました。」


「……なんか変わった発音の名前ですね……」

 長内はピンとこないようだ。


 フィアンは口元を緩めた。

「その名はローシェではよくあるものです。名字の語尾にド、が付いているのは、ローシェの北方、神々の御座おわするブールランデンの岩肌にしがみつくように暮らしている山岳民族の系統であることを表しています。


 サカキ様はご存じですが、モールタス・イベルド様もその系統でいらっしゃいます。この民族の特徴は、いわゆる『秋津顔』をしているところです。山岳民族は100人程度の小さい部族が多数ありまして、中でもクプ族、トゥトゥ族はローシェ国内でよく見られるので有名です。


 機会があれば商業区にも出店を開いているものがいるので一度ご覧になってください。黒くてまっすぐな髪に黒い瞳。秋津の国の人としか思えない顔立ちをしていますよ」


「へえ」

 長内は目を丸くしている。ちょっと興味が出てきたようで目に輝きが出てきた。


「フィアンから聞いたことだが、山岳民族の歴史は非常に古く、ローシェやアラストルよりもはるか昔、500年以上も前の文献に載っているそうだ。

 彼らは山肌から採れる顔料を用いて虹のように鮮やかな布を織る。その派手な色合いの織物は土産物として人気だ」

 サカキが補足する。


「500年……その、小さな部族がそれだけ長く自分たちの文化を維持できるのですか」

 フィアンがうなずく。

「はい。彼らの住むところは標高が高く、平地がほとんどない、背の高い木も生えないとても厳しいところなのです。なのでだれもそこを奪おうとはしなかったのでしょう。その歴史の長さから、秋津の源流とも言われていますね」


「……彼らに会ってみたいです」

 長内の目がキラキラしている。今は躁状態のようだ。


「商業区の出店ならすぐに行けそうだな。フィアン、場所を詳しく教えてくれ」

「かしこまりました。地図を書きますので、身分証明札のほうはレスター君にお任せしても?」

「ああ。レスター頼む」


「承知しました」

 サカキは書類の間にあった長内の身分証明札・小さな金属片を取り出した。

 それは縦3(ハロル)cm横2(ハロル)cmくらいの長方形の薄いカードのようなもので、それをレスターに手渡した。


 レスターはそれを長内に差し出した。

「長内様、利き手は右でしたね、では左手を、手の甲を上にしてこちらに伸ばしてください」


「?」

 長内はわからないが言われたとおりにする。


「そのままじっとしていてください」

 レスターは金属片を長内の手の甲に置き、その上から自分の右手を重ね

「ハーサルス」

 とつぶやいた。レスターの右手がわずかに光り、手をどけると金属片は消えていた。


「消えた……」

「消えたのではありません、その身分証明書が長内様の体内に登録されたのです。違和感ありますか?」

「えっ、体内?いえ、特に何も感じませんが……」


「これは、あなたの肉体がどのような状態になってもあなたであることを証明してくれるものです。

 一般人はこういうことはしません。騎士や皇族、貴族、白魔導士、兵士、そして今は忍者がこれを体内に登録しています」


 長内は左手の甲を上げたり下げたりして眺めているが、何も変わったところはない。


「どうやって私であると?」

 レスターは右手を長内に向け

「ヴァールト」

 と唱えた。ふっ、と長内の左手の甲から空中に向かって文字が浮かび上がる。


「わー!」

 長内は左手をぶんぶん振り回す。

「こういう風に、白魔導士が特定の魔法を唱えると身分証明の文字が浮かび上がるようになっています。うん、ちゃんとかかってる」

 文字がフッと消えると、長内は口を開けて左手を見つめた。


 キリヤは長内の様子を面白そうに眺めた。

「白魔法でも呪文を唱えるのって珍しいよな。たいていは無言で魔法起動させてるだろ?」

「魔法の対象が自分か、それ以外で違いがあるんだよ。自分対象なら頭の中で唱えてるからいらないけど、他人に起動させるときは魔力を帯びた言葉が必要になるのさ」


「だが、嘘か本当かの判定魔法は無言だったな。あれは他対象ではないのか?」

 サカキも尋ねた。


「ええ、あれは実は呪文を唱えているんですが、他人に聞こえると身構えられて黙秘されてしまうことがあるんですよ。

 なので人に聞こえないように消音の魔法をかけてから呪文を唱えています」

「ほほう、それは気が付かなかったな」


「唇も動かしませんしね。まあ、判別の魔法にも弱点はあるということで」

「黙秘か……たしかにな」


 フィアンが四つ折りにした紙をサカキに手渡す。

「書けました。〇印のところがそうです」

「ありがとう。では3人はこの地図持って商業区で出店の見学に行ってこい。向かう間にキリヤとレスターはゲンダル・アイラドの経歴を長内殿に教えてやってくれ」

「「はい」」

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