第102話 腹筋を割るのが楽しい

 ――第1コテージ前庭――


「よし、アゲハ、中忍認定だ。よくがんばったな」

「え、本当ですか、やったー!ありがとうございます!」

 アゲハと木刀を使った手合わせをして、サカキはその上達ぶりに驚いた。


 アゲハは戦闘の時は常に風遁を使い体に風をまとっていて、サカキの重い攻撃によるダメージを軽減しているのが中忍認定のポイントだった。

 アゲハが持つ異能「れん」。それは一瞬で終わるはずの忍術の効果を持続できる能力であった。

 高位の術には使えないが、風遁は低位のものでも有用なものが多い。


「上達が早かったな」

「はい、ここでは仕事と訓練に集中できますから」

「確かにそうだな。衣食住に時間をかけなくていい分、訓練の時間が取れるわけだ」


「サカキ様、僕は?」

「ゾル、君はもう少しだな。君も短期間でかなり上達したが中忍まではまだ及ばない」


「そうかあ……」

 ゾルは息を切らしながら地面にあおむけに転がっていた。彼もアゲハと同時にサカキに稽古をつけてもらっていた。

「あともうちょっとだと思いますよ、ゾルさんがんばって!」

「はいっ!」

 アゲハに励まされてゾルは反動をつけてくるりと起き上がった。


 ――朝の訓練後の雑談タイム――


 今日の空は晴れていて日差しも暖かいのでサカキたちはそのまま庭で朝食を摂ることにした。

 敷物の上で各自トレーに乗ったパンとミルク、ソーセージを食べる。


「ベネゼル(アルビノの上級白魔導士・白忍)が忍者の修行を始めたのは意外だったな」

「白魔導士仲間も驚いてます。彼は物静かでいつも本を読んでいるイメージだったんですが、最近は『腹筋を割るのが楽しい』と筋力トレーニングに夢中のようです」


「肉体派白魔導士か。すごいな」

「そういうタイプが増えています。そのうち白魔導士と忍者と騎士が合体した軍団ができるかもしれません」

 2人とも半分冗談で言っていたが、ひょっとしたらあり得るかもしれない、と胸の内で思っていた。


「まあ、この度の成果は訓練所の功績が大きいな」

「そう思います。あの、時間単位で訓練内容を選べるシステムは画期的です。今では騎士たちも同じような訓練所を作ってそこも大盛況です。

 さすがヒムロ様ですね。ローシェ軍全体が何段かレベルアップしたように思えます」


「あいつはそういうプロデュースするのは天才的だからな」

「そういえばヒムロ様も上忍なんですよね、何番目に強いんです?」

「君ら、そういう順位を気にするんだな。……そうだな、上忍の中では一番年上だし、純粋な攻撃力なら一番下ではあるが――俺も、恐らくケサギとムクロ、ヒカゲも一番戦いたくないのがヒムロだ」


「ほほー?」

「彼は一瞬の隙を見逃さない。上忍だとて相対して戦っていればわずかながら隙は出るんだ。そこをヒムロは精確に突いてくる。しかも彼は絶対に隙を見せない。こちらが偽の隙を見せても引っかからない。逆に彼の作った偽の隙にこちらが引っ掛かり体力が削られる。正直、彼とは2度と戦いたくない」

「そんなに?!」

 ゾルとアゲハがびっくりしている。


「ヒムロ様、何度か手合わせしていただいたけど、破格的に強い、とは思わなかったなあ」

「そう思わせているんだ」

「なるほど、強くないと見せて実は、という精神的に来る強さか……」


 その雑談の合間に「ふんっ!ふっ!」

 という掛け声がひっきりなしに聞こえてくる。


 サカキが声をかける。

長内おさない殿、貴殿もこちらで朝餉あさげをいっしょにいかがか?」

 着物の片袖を脱いだ若い侍が、木刀の素振りをいったん止めてこちらを見る。

「結構でござる」

 と取りつく島もない返事だ。


 若侍は非常に痩せていてあばら骨が浮いている。黒髪にやや薄い鳶色の瞳。髪は武士結い(※後頭部で結んだ髪の毛先を茶筅のようにきれいに切りそろえる・作者の造語)にしている。目は細めでツリ目、頬もこけていて全体的に枯れ枝のようなイメージがある。


 彼は三鷹数馬の代わりにローシェにやってきた連絡係だが、周りに全く馴染もうとせず、自分の立場に不満を隠そうともしない。

 3番コテージに1人で住み、気位が高いのでコテージ職員も扱いに慎重になっている。

 ただ、女子供にはあたりは柔らかいのでルゥ(※男の娘だが長内は女だと思っている)とルミルがなるべく彼の担当になるようにしている。

 歳は16と聞いている。


(おそらく、彼も城攻めの準備に参加したかったのだろうな)

 とサカキは読んだ。


 だが、このような外国に一人で追いやられて、しかも内容がただの連絡係。

 誇り高き武士の子が不満に思うのは仕方あるまい。

 とはいえ、16歳ならば秋津では大人の扱いになるのだが、彼は年の割に幼く感じた。


 そのとき。

 前庭の空間に結節点の波紋が現れた。

 その波紋が円形に広がり、中から3人が出てくる。


「サカキ、こちらでしたか」

 可憐な姫モードのイリアティナが声をかけてくる。小さな錫杖をシャトレーヌ(腰飾り)に下げている。

 今日は珍しくワイン色の、袖が大きく膨らんだドレスに、ブドウの形の髪飾りの装いである。


 その後ろにはケサギとムクロがローシェ貴族の長い縦襟上着に肩マントを付け、腰はサッシュベルトを巻いた華やかな格好で控えていた。その服装を見てアゲハが「ステキ……」と言って頬を染めた。そのアゲハを見て隣のゾルがショックを受けている。


「姫」

 若い2人の様子を見て苦笑しながらサカキは立ち上がり、女皇のもとへ跪き、差し出された繊手に口づけた。流れるようなローシェ風の所作である。

 ゾルとアゲハはサカキの後ろでローシェ式の礼をする。

 先ぶれがいないので非公式な訪問ということになる。


「朝の訓練を行っておりました」

「3人とも早くからご苦労様。今日はコテージの皆さんに新作のワインをお持ちしましたの」

 女皇が後ろを向いて合図をすると、従者たちがワイン瓶がたくさん詰められた木箱を運んできた。


「コテージの貯蔵庫に搬入しておきますので、後で味見なさってね。今年はなかなかの出来です」

「「ありがとうございます」」

 3人に笑顔が浮かぶ。


 ローシェのワインは香りと口当たりがよく、みんな気に入っていた。


 ケサギもうれしそうだ

「各属州にも評判がよかったぞ」

「ワイン親善大使、お疲れ様だったな」

 サカキがねぎらう。


「なかなか面白い体験だった。州のお偉方と商人相手に山ほど試飲させてきたよ。主流の輸出品はそうやって宣伝するんですね」

 ムクロが笑う。


 ローシェ帝国の北部には広大なぶどう畑があり、そこで作られる赤ワインは最も重要な輸出品の一つである。その売り込みに、女皇自身が赴いたのは、王国から帝国にランクアップしたことを属州7国に知らしめ、美しい女皇帝の姿をお披露目する目的もあった。

 その第1回の行脚の護衛に、ケサギとムクロが顔採用されたのである。この3人の宣伝は属州民たちをさぞ盛り上げたことだろう。


 その事を彼ら本人もわかっていて、

「ずっと笑顔でいたら能面みたいに張り付いちゃったぜ」

 と、ケサギが絶妙に笑いにくい冗談を言った。


「2人とも大活躍でした、ありがとう」

 女皇がくすくすと笑う。彼女はまだヒルに会っていない。

 能面がしゃべる場面を見ていないので想像がつかないのだろう。


 ふと、女皇が横に目を向けると、そこには木刀を持ったまま固まっている若い侍が目に入った。

「あら、この方は?」


「長内殿、いかがなされた?」

 非公式とはいえ女皇の目前で棒立ちは不遜である。サカキが咎めようとすると。


「あ……その……」

 長内は見る見るうちに顔が真っ赤になり、しどろもどろとなって、つんのめって地面に倒れこむようにして両手をついた。


「も、ももも、申し訳ありません!」

 耳まで赤くしながら土下座する長内。


 女皇の目が丸くなった。ケサギとムクロも驚き、ゾルとアゲハは「あらー」と声を漏らし、サカキはため息をついて彼を紹介した。


「姫、こちらは長内源治おさないげんじどの。秋津国より連絡の使者として参られた方です。長内殿、こちらはローシェ帝国女皇・イリアティナ・デル・ローシェ様である」

「じ、女皇様であらせられましたか、大変なご無礼をいたしました。この上はを……!」


「「わーー!!」」

 ゾルとアゲハが悲鳴を上げ、サカキは無言で長内が懐の短刀を取り出すより早く彼の右腕を抑えた。

 なぜそういう結論になるのか、周囲にはさっぱりわからない。


 ケサギとムクロは「おやおや」と女皇の前に立つ。


 その様子を見て女皇は、ケサギとムクロの間からひょこっと顔を出して

「長内殿ですか、まずは落ち着いてください」

 と秋津語で優しく語りかけた。


「し、しかし――!」

「あなたはおいくつですか?」

「は、はい、ええと、たしか16で……」

(たしかってなんだ――)

 サカキは心の中で突っ込む。


「まあ、わたくしと同じ年ですのね」

「え、同い年なのでございますか……」


 女皇が何事もなかったように振舞っているので長内も少し落ち着いてきたようだ。

 サカキは呆れながら長内の着物を整えてやり、彼の手を取って片膝をつくように誘導してやった。

 長内はまだ心ここにあらずといった風情だ。


(とても同じ年には見えないな)

 内心サカキはため息をつく。


「その年で連絡係を任せられるとは、将来をとても有望視されているのですね、良きことです」

 女皇はにこにこと話し続ける。


「え、有望視、ですか……」

 長内は意外そうだ。


「連絡係が扱うのは『情報』です。国と国とのやり取りにおいて最も重要なのがその情報なのです。

 たった一つの情報が遅れたために戦争になったり、商戦において莫大な損失に繋がったりということが過去の歴史において何度もありました」


「そんなことが……」

「国の未来を左右するほどの力が、情報にはあるのです。あなたはそれを任されています。

 それを任命した人はよほどあなたを信頼なさっているのでしょう」


 女皇は青い宝石のような瞳で長内の鳶色の目を見つめた。

 長内はまた顔を赤らめ、女皇の美貌にうっとりとなり、それからあわてて首を左右に振った。


「いえ、某はまだ若輩者でして……」

「だれもみな最初は若輩者です。あなたのこれからに期待しておりますよ」


 優しいまなざしと美しい声に長内は目を見開き、体を震わせた。

「はい、精進いたします」

 と頭を下げた。


(うまく言ってくれたな)

 サカキは女皇の言葉に感謝し、目で謝意を表した。女皇はうなずいた。

 長内は連絡係としての役目を今まで全く果たしておらず、注意をしても聞き入れず、秋津との定時連絡はサカキが代理で行っていた。

 彼が役に立たないことは最初から秋津側から伝えられてはいたものの、いつまでもこのままでは長内本人のためにもならない、とサカキが女皇に相談し、一計を案じたのだった。

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