第100話 子供には弱いローシェ上層部とアラストル皇子の現在

「しかし、この絵面はいやだな……」

「そうですね、大の男たちが浮いているお面と会話しているのはちょっと……」

「うん?じゃあ人型になろうか?おいら、今は実体にはなれないけど見かけだけは人になれるよ!」

「――そうか、お願いしようかな」


「あいよ!」

 ヒルは元気よく返事をし、ぽん!と軽快な音を立てて人間の子供の形になった。

 8、9歳くらいの小さな男の子で古いトンボ柄の着物に兵児帯を巻き、手には風車を、頭の横には翁面をちょこん、と乗せていた。


 おー、とロルドたちはどよめいた。

「羽角殿の面影がある。これは新吉さんの姿かな?」

「そうだよ、おいら、今はこの姿にしかなれないの。おいらをもらってくれたらその人の姿にもなれるよ」


「なるほど、人型はモデルの許可がないとなれないんだな」

「うん」

「しかし、本当にすごいな、ちゃんと呼吸しているように見えるし、生きてる、としか思えない」

「へへん」

 ヒルは得意げだ。


 不思議なことだが、人型になったとたん、垂れ流しになっていた感情は子供の表情だけに現れるようになった。

 そして、小さな子供の姿でうれしそうに話をする最重要機密の姿に、大人たちはヒルの扱いを人間の子供に対する態度に変わってしまった。ロルドもスパンダウも、ユーグも、そしてサカキも子供好きなのである。


 ヒルは自分が人間だった時のことはあまり覚えていないが、確かに昔は人間で、死んだときに『右』と『左』によって魂を翁面の中に入れられた。

 そのとき彼らは「こんな小さな子供は面にしたことはないが、まあ、試しに」と言っていた。

 ヒルは8歳の幼子だったので妖力も大したことがなく、ほかの面たちの難しい話も理解できなかったので皆から離れて自由にしていた。


 羽角家には人間の翁衆が連れて行ってくれて、新吉が受け取った。

 それからは黄昏時になると新吉の姿になって、富姫といっしょに遊んだりしたという。

 それが新吉の願いだった。その間、新吉は立花家の奉公人として幼いなりに仕事をしていた。


「で、聞きたいのは、今の状態で『右』と『左』に連絡が取れるのか?ということだが」

 サカキが問うと。


「んー今は無理。長いこと秋津から離れてるとできなくなっちゃうみたい。

 もともとおいらは好き勝手に遊んでるだけだったから、おいちゃんたちもあんまり構ってくれてなかったよ」


「「おいちゃんたち……」」

 ヒルの言い方に大人組は呆れた。妖が一気に人間味を帯びてきた。


 ロルドが懐中時計を見て言った。

「もっとお話ししてもらいところだけど、もう少ししたらおじちゃんたちは仕事があるからね」

「ん、じゃあ箱に戻るよ。寝るから用があったらトントンってして起こして」

 そう言うとヒルはシュッと消え、翁面に戻り自分から桐箱に入った。


「「……」」

 ロルドは頭を抱えて

「あああああ、なんかもういろいろキャパオーバー!」

と叫び、


 ユーグは

「わし、夢でも見てるのか?」

 と現実逃避し、


 スパンダウは

「このこと、どの範囲まで伝えればいいのか……」

 と思案し、


 クラウスは

「妖はちょっと専門外で……」

 と逃げ腰に。


 サカキは無言で桐の箱の蓋を閉じ、綴じ紐を結んだ。

 いつの間にか箱の隣にはヒルが持っていた風車かざぐるまがあった。


「実体だ……」

 風車を持ち上げてつぶやき、

「あとで考えるか」

 と、精神的に逃げた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 ――アラストル皇宮――


「ダールアルパ様!またワインが届きましたぞ!」

 皇子付きの従者が満面の笑みを浮かべてワインの瓶を差し出す。


「おお、これは……ヴァインツェル領(正式名はメサ・オルタ領)の赤ワインか。最高級のものだな、しかもこれは門外不出の――」

「さようでございます。ローシェの王族にしか許されていないワインです。ラベルにローシェ家の紋章の白薔薇が描かれております」

「やはり、かの姫君はダールアルパ様にぞっこんのようですな」


 お付きの従者たち3人は興奮した様子で皇子を取り巻き、ダールアルパも湧き上がる喜びを抑えきれない様子だった。皇子の私室の机の上には小さな肖像画立てが置いてあり、それにはイリアティナの似姿が描かれている。


 ダールアルパはため息を付きながらイリアティナの姿を思い出す。

 あの、神々しいまでの美貌は、初めて見た時から忘れるどころかますます鮮明に皇子の心に張り付いていた。


(一度しか会っていないが、このように何度もワインや美しい織物を非公式に贈って来るとは……)

 従者たちの言葉の後押しもあり、ダールアルパはイリアティナが自分に一目ぼれしたのだと思い込んでいた。それを証明するかのように、ローシェ皇国からの届け物は2週間に1度の頻度で皇子のもとに届けられていた。


 一度は戦争を仕掛けた相手である。

 しかし、皇子は女皇をハレムに連れてきて、丁重に迎えいれればそれを受け入れるだろう。

 ローシェで忙しく国政に携わるよりも、日々を美しい音楽と踊りや劇、それにあふれるほどの宝石に囲まれる生活をきっと気に入る、と心の底から思っていたのである。


 女は美しく着飾って、生活の面倒なことはすべて男に任せるのがよい。それがダールアルパの愛し方であった。


 それに、異母弟であり、表向きは仲が良いが、裏では政敵であるムーンダムドが、

「お忍びで女皇帝に会いに行きましたが、交際を断られました。あの方には思い人がいるようです」

 とわざわざ直接ダールアルパに伝えに来たのだ。


 あの時の彼の悔しそうな顔を見たとき、己の勝利を確信した。

 生まれたときから凛々しい容姿を「昇陽しょうようの御子」と謳われ、卓越した頭脳と権謀術によって政敵を葬り、ついに最終ゴールである皇帝の座の一歩手前まで来た。


「もう少し、もう少しだ……」

 あとはあの世界最高の美女を手に入れるだけ。それももう叶ったようなものだった。

 イリアティナ女皇が全身を美しい宝石のドレスで飾り、宝石宮の頂点に立つ姿を、ダールアルパは彼女からの贈り物、というワインを飲みながら時を忘れて夢見ていた。

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