第93話 闇のものたち

※あらすじ補足:白露の下忍・マトに憑りついていた翁面の名はヨル。13席存在する翁面のうちの第12席であった。ヨルはうかつに月牙げつがを持つサカキに近づき、斬られて消滅した。翁衆とは翁面の形をした妖怪集団である。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

 

――龍田藩松崎城内の、とある空間――


 薄暗闇の中でめんたちがひそひそと話し合っている。

 そこに人影は2人だけ。

 その周りに翁面おきなめんが数体、宙に浮いていた。


『……ヨルが消えた』

『消えた』

『消えたな』

『月牙め……』

『不死の我らを唯一消せる光……』


『ヨルは我らの中でも新参ではあったが』

『女にうつつを抜かすとは』

『あれだけの美女を前にしては若輩者は我慢できなんだか』

『あれにくらぶればローシェの女皇帝など目ばかり大きいよ』


 ヨル、すなわちマトの姿を写し取った翁面のあやかしは白露忍軍のくノ一・サヤに劣情を抱いていた。

 サヤの顔は、彼ら翁衆にとっては非常に美しく、好ましいものだった。

 彼らの時代――250年前、彼女のような細目、鉤鼻かぎばな、小さな口元、広い額こそが美女の条件であった。そして、”右”と”左”にとってもサヤの顔は遠い日の、彼らが命よりも大切にしていた姫君とよく似ていた。


 それゆえに、白露忍軍への訓練は特別安い料金にし、山吹や桔梗の里とは違い、手出し無用という事にしていたのである。


『海の底に……』

『千尋の谷の底に……』

『流砂の渦に……』

『生きたまま沈めねばならぬ。次の月牙の主が現れる前に』


 月牙の主が死ぬと、次の主が現れるまで月牙は20年間眠り続ける。

 妖たちは、不死ではあるが妖刀・月牙に斬られた時にのみ消滅してしまうため、月牙の主サカキを、妖と縁を結ばせ、不死を与えたまま二度と戻れない場所に閉じ込める算段であった。


 妖と縁を結ぶことはすなわち、生のことわりを離れ、不死となることを意味している。それは人と妖による契約であり、契約者の意思が必要だ。

 しかし、上忍サカキに契約を結ばせることは不可能に近い。それゆえに、”右”と”左”はウツロにサカキの体を乗っ取らせようとしていた。


『ウツロは……屍四季舞ししきまいをしくじっておるな』

『安定しておらぬな』

『はよう移ってもらわねば』


あやつウツロの弟は?』

『ローシェの中枢におる』

『……風向きがおかしい。裏切るつもりか?己の命がかかっておるのに?』


『人間は、時に己の命を捨てても事を成そうとするものよ』

でありながら性格も、異能もまったく違うのはおもしろい』

『弟の方が器にはよかったか?』


 ウツロには双子の弟がいる。その弟は不治の病に冒されているようで、翁衆と縁を結ぶことで生き延びていた。

 もし、縁を切られれば時を置かず死ぬことになる。


『いや、弟の中にはなにか嫌なものがいる。我らには感知できない何かが』

『……稀有な兄弟よ』

『20年前、雪山で行き倒れておった双子の子供らが……』

『あのような異能をもっていたのは偶然かそれとも必然か』


『我らは月牙には恐ろしくて近づけぬ。弟の力を借りねばならないな』

『だが早まるな。側にあの頭の切れる宰相ロルドがいる』

『あの宰相も……恐るべき何かを持っているな』

『やっかいな』


『……あの女皇帝。光が増して来ているな』

『あの光は闇を駆逐する。あれは光の神の――』

『生かしてはおけぬ』

『生かしてはおけぬ』

『生かしては……』

 薄暗闇の中、翁面たちの声は徐々に小さくなり、やがて消えた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


「だれがタヌキですってえ!!?」

 深夜。イリアティナは、ガバっと寝台の上で半身を起こして声を上げた。

 キョロキョロとあたりを見回すが何も変わったことはない。

「何か今、なことを言われた気がするけど……夢かあ……」

 小さくあくびをした後、すとん、と再び眠った。

 まぶたを閉じる直前、イリアティナの瞳が薄く金色に輝いていたが、本人は気づいていなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 ――ローシェ王城:円卓会議室――


「立花殿、予想よりもかなり早く目的を達せましたな」

 ローシェ帝国宰相ロルド・ヴァインツェルがにこやかに来客を迎えた。今日は金糸の飾りが多い、ちょっとおしゃれな宰相服である。


「すべてはローシェの皆様のおかげでござる。我らの疑いも晴れ申した」

 立花春城は髪と髭を整え、羽織と袴という武士の正装で、浅野三郎、三鷹数馬、そして羽角老とともに報告にやって来た。手土産に秋津の名刀が3振りときらびやかな絹織物を持参していた。


 羽角は痩せてはいたが、服装を整えているとかつての眼光鋭い、有能な家老であったことを思わせる顔付を取り戻していた。


 立花と三郎はすでに剣客コテージを出ており、数馬はローシェ残りとなったが1人でコテージを使うのはしのびない、とコテージ職員棟の1室に引っ越ししていた。

 その数馬も本日付で秋津に戻ることになっていて、3号棟は空き室になる。

 立花が女皇寝所へ侵入してからわずか一か月のことである。


 短期間で事が成った理由の一つに、真相を知る当事者が生存していたこと、立花の手の者たちがその居場所を突き止めたこと、金をエサに(嘘の)証言することを求めたら応じたこと。当事者を光川の大広間に呼びつけ、証言をさせ、白魔導士がその嘘をすべて暴いたことだった。


「光川慶忠様が、ケガをおして動いてくださったおかげでござる。

 曰く『期に乗らねば達せず』と。今こそ時代の波が変わる時であり、性急ではあるがこの期を逃すと次は数年後になるだろうとおっしゃられまして」


「光川殿は時代を視る力に秀でておられましたな」

 ロルドも秋津の事情はかなり把握できている。


「はい。お傍にお仕え申して感服いたしました」

 立花が過去の濡れ衣を暴けたのはかなり大きな一石となった。紫藤派は数を減らし、今は光川の勢力が5割、紫藤が4割、残りは様子見といったところか。


「詳しい報告は姫が到着してからお聞きしましょう。――しかし、遅いですねえ」

 とロルドが言うと。


 いきなり会議室の戸がバアン!と開く。


「いえーい、立花さん、久しぶりー!元気ぃ?」

 と、片手を上げにこやかに声をかけながら入ってきたのは素のイリアティナである。

 今日のドレスは若葉色の地に花々の刺繍が華やかなドレスである。

「キャアア、姫!なんで!?」

 ロルドが両の頬に手をあてて悲鳴を上げる。


「「???」」

 立花一行が事態に理解できず固まる。


「姫!城内で縮地を使ってはいけないと言ったでしょう!ほら、錫杖を!!」

 続いて飛び込んできたのはサカキ。背中に夜香忍軍の紋・月に桔梗と山吹があしらわれたものが入った新バージョンのロングコートを着ている。


 最近出来上がったばかりの新作で、裾や袖には銀糸の縫い取りや飾りボタンなどが付いていて華やかである。城内の公務のときはこれを着用することになっている。ますます忍者という存在に疑問がわく隊服であった。


「んもおお、この頃ますます追いつけなくなっちゃってええ!」

 アカネがエプロンドレスを両手で捲し上げながら続いて入ってくる。息が切れている。


「じょ、女皇、陛下、ご、とうちゃくぅうう」

 さらにその後を役の年配侍従がへとへとになりながら入ってくる。

 サカキがすばやく錫杖を姫に手渡す。本当はアカネの役目だが、サカキのほうが足が早いのでアカネに頼まれた。


「久しぶりだな、立花殿。息災か?」

 一瞬でイリアティナの背筋が伸び、威厳のある女皇の声で、先ほどのことはまるで何もなかったかのように声をかける。

 アカネが女皇の結い上げた髪のおくれ毛や、抜けかけた真珠の髪飾りとドレスの裾の乱れをシュバババババと直す。一応忍者なので早い。


 立花たちは頭を下げるのも忘れてしばらく女皇の姿を見ていたが、はっ、と我に返り、慌てて正座をし、両手と頭を床に付ける。

「ははっ、おかげさまでみなつつがなく。女皇陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう」

 とローシェ風の礼を述べた。


おもてを上げてよいぞ、立花殿。三鷹殿と浅野殿もずいぶんと立派になられた」

 女皇がほほ笑みながらねぎらう。

「「ありがとうございます」」


(そうだったのか――やはりアレは女皇ご本人であられた)

 立花はようやく謎が解けた。先ほどの元気のいい?ときの女皇は運動神経が上忍並みで、今はまったくない。その違いは錫杖。そういう絡繰りだったとは。


 三鷹数馬、浅野三郎も目を丸くしていたが理解はしたようだ。

 家老の羽角だけがさっぱりわけがわからなかった。


 女皇から香るほのかな薔薇の匂いはひと月ぶりだったが記憶の通りの甘やかさだ。


 誠に……不思議なお方よ――


『今見たことは忘れてくれ』

 とサカキから困った風な矢羽音(忍者同士にしか聞こえない音声)が飛んできた。


『承知』

 立花は笑みをこらえてうなずいた。

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