第90話 黄昏の隠形
太陽が地平線に沈みかかり、世界を赤く染めている。
光と闇が交わる、曖昧な境界――黄昏時である。
サギリの目が細まった。
夜香忍軍詰所の裏手は、小さな空き地になっていていて人目に付きにくい。背丈の低い草がまばらに生えていて、ところどころに木の箱が置かれている。
その1つに座り、おやつの塩にぎりを食べていたサギリは、ご飯粒が喉にひっかかってゲホゲホとせき込んだ。
「だいじょうぶですか?」
1人の濃い茶色の忍服を着た若者が声をかけてきた。
「だ、だいじょう…ゲホッ」
「背中さすりますよ」
そばかすがある、まだ幼さが残る黒髪黒瞳の若者は、先ほどの訓練で2組の最後まで立っていた人物だ。
笑顔を浮かべながら若者がサギリの後ろにまわる。
その手には苦無が握られていた。
気配を消してそばにいたケサギが声を出した。
「やめておけ」
苦無を持つ右手首を、ケサギが握った。
だが、その手首はまるで煙のように本体ごと消える。
「幻影?!」
「えっ?なになに?」
サギリが慌てる。その体を、ケサギと同様に姿を消していたムクロが抱きかかえ、後方に跳ぶ。宙に浮いた苦無がサギリがいた場所を斬る。空を斬った苦無が溶けるように消える。
ケサギとムクロが目を潜める。
見えない敵か……。
サギリを抱えたムクロの前に、ケサギは両刀を抜いて構える。
右から苦無を持った若者がいきなり現れ、斬りかかってくる。
その胴を忍刀で薙ぎ払うが、感触がない。
苦無だけがケサギの右の二の腕を掠った。
忍服が切れ、下から赤い筋となって血が流れる。
「ちっ」
「毒は?」
「ない」
「上」
3番目に姿を現したヒカゲの声に反応し、ケサギが頭の上で両手で忍刀を交差して苦無を受け止める。予想外の力に、ケサギは腕に血管が浮き上がるほど力を込めた。
下忍の力とは思えない、恐ろしい力だ。
苦無は、フッと消えた。
ヒカゲも左右の忍刀を抜き、サギリの前に立つ。
「苦無だけが……実体……」
「そうか。やっかいだな」
「何これえー?僕、襲われてるの?」
「そうだ、おとなしく抱っこされててくれ」
「はい!おねがいします!むぐむぐ」
サギリは左手でおにぎりを食べながら右手をムクロの背中に回しぎゅっと抱きついた。
「本体が斬れないとなるとどうしたらいいんだろう?」
「はてさて」
「困る……」
ケサギ、ムクロ、ヒカゲは気を張り詰め、敵の気配を探る。
「マト!やめな!!!」
サヤが到着した。
何もない空間なのに、なぜか動揺が伝わってくる。
「月牙」
サカキの声。右手に来た大太刀を左腰に構え、腰を落とし目を閉じる。
そして――
ザン!!
神速で空間を斬る。
居合である。
「ぎゃああああああああ!!!!!!」
耳を覆いたくなるような大きな悲鳴が聞こえた。
一同が目を見張る。
空中に面が現れた。
「「翁面?!」」
横にまっぷたつになった翁面がコトリ、と地面に落ちる。
続いて苦無がカランと転がる。
「サギリの言葉じゃないけど……」
「「何だこれ!?」」
全員同じ言葉が出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「すごい悲鳴が聞こえたが?!」
詰所の忍者たちが駆けつけてくる気配がする。裏手の引き戸を閉めてサカキが応答する。
「だいじょうぶだ、……拷問訓練の模範演技の声だ。つい力が入ってな、驚かせてすまん」
「……そうでしたか、承知しました」
複数の足音が去っていく。サカキの機転に、ムクロ、ケサギ、ヒカゲが親指を立てる。
サギリだけがまだムクロにお姫様抱っこされたまま「え?え?」と訳がわかっていなかった。
おにぎりは完食している。
「この面、触ると危なくね?」
「どうしよう、このままにしておけないし」
「サギリ、お前、実は大物だな?この騒動の中、おにぎり全部食ってやがる」
「えっ、そんなことないと思うけど……」
「さぎりっちーー無事でよかった……」
サヤが泣きそうになっている。
「「こいつも人の子だったんだな」」
と夜香忍軍上忍たちは失礼なことを思った。
サヤは女性でありながら白露忍軍を統率する力量と冷酷な判断力は周囲に恐れられており、血も涙もない無感情な女、と思われていた。
「なんだかよくわからないけど、無事です。ご心配をおかけして……」
「あっ、面が!」
翁面がぼろぼろと崩れていく。
まるで一気に数百年の月日が流れたように。
「「消えた……」」
「サヤ様ー!!どこにおられます?」
白露の者がバタバタと走っている。
「ここよ!どうした?」
「マトが急に倒れました!」
今度はサギリも含めて全員が顔を見合わせた。
ちなみに、サキリはまだ抱っこされている。
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