第87話 『くっころ』忍者バージョン

「ぐぅっ!」

 腹を思い切り殴られ、サカキはうめき声をあげながらのけぞった。

 上半身は袖なしの黒い短襦袢1枚の姿で、両手は後ろ手に荒縄で縛られている。


 後ろへ倒れ掛かるところを、目以外を黒の忍服で覆った男に受けとめられる。

「おっと、倒れるにはまだ早いぜ」

 サカキの首を後ろから腕で締めあげながら男が楽しそうに言う。


「さて、そろそろ吐いてくれないかな?」

 サカキの正面にもう1人、黒尽くめの男が立つ。


「く……さっさと殺せ……!」

 荒い息をつきながらサカキが吐き捨てる。


 正面の男が右膝でサカキの腹を蹴る。

 ゴスッ、っと大きな音が鳴る。

 容赦ない力だ。


「聞かれたこと以外しゃべるな」

 冷たい声。


 サカキの体がくの字に折れ曲がる。

 後ろにいた男が前に移動し、左手で胸を殴る。


 サカキは足が浮くほどの勢いで後方へ吹っ飛んだ。

 後ろの壁に体を叩き付けられる。

 衝撃で跳ね返り、そのまま前のめりに倒れた。


 サカキの顔が苦痛に歪んでいる。

「ゴホッゴホッ」

 体を丸め、激しく咳き込み、その唇からは血が一筋流れている。

 黒尽くめの男たちは顔を見合わせた。


「まあ、こんなもんか」

 ケサギの声だ。

「はーい、ここまで!これが『くっ、殺せ』の模範演技でーす」

 先ほどの冷たい声とは打って変わって明るい声で手をパンパンと鳴らすのはムクロ。


「「「ええええええええ」」」

「「無理無理無理ぃいいいいい」」

 模範演技を見学していた若い男たちが一斉に声を上げた。

 全員怯えている。


 サカキは後ろに手を縛られたまま、両足に反動を付けてくるりと立ち上がった。

 背中からぱらりと縄が落ちる。何事もなかったような顔だ。

 両手首を振って落ちた縄を拾う。


「今のは下忍の初歩だぞ……」

 サカキは呆れ顔だ。


「いやいやいや、だってあんな衝撃……」

「無理ですってばああ」

「うちでこんな訓練やったことないっす」

 見学人たちは両手を前に出してプルプルと顔を振っている。


 抗議するのは白露忍軍の訓練不足組15人である。

 いい具合にサカキ、ムクロ、ケサギの上忍3人の時間が空いたのでまとめて稽古を付けてやっている。

 普通、下忍に稽古をつけるのは中忍の仕事であるので、特別大サ―ビスだ。


 ――夜香忍軍:第2訓練所室内――


 30畳ほどの長方形の部屋で、床は板張り。

 主に少人数での手合わせや、時には備え付けの畳を敷いて投げ技の室内訓練に使われている。


「中忍なら気を失った演技の後、不用意に近づいた者に足技かけて転ばせて、縄ぬけしてから両手で首を絞めて落とす」

 ケサギがしれっと説明する。

「ひええ」


「君ら、下忍だろう?それなら気を失う演技だけでも身に着けておいたほうがいいぞ。生存確率上げて行こうな」

 頭巾と口布を外しながら言うケサギの言葉に。

「「はい」」

 痛いところをつかれて、しょんぼりした声で下忍たちが返事をする。


「でも、俺らにあれだけの力で殴られて耐えることってできるでしょうか」

 下忍の一人が不安げに聞く。

「殴られる箇所に力を集中して筋肉を固くするんだ。そのためには相手の身体の動きをよく見て。

 普段から体の一部分に力を入れて外からの力に抵抗できるよう、自主的に訓練しておいてくれ。

 詳しいやり方はあとで見せる。

 それに、今の殴られたり蹴られたりの衝撃は、音はすごいがどれも大したことはない。ムクロもケサギも加減してくれていたからな」


 サカキは黒い袖なしの短襦袢を脱いで腹と背中を見せた。

 うっすらと赤くなっているところはあったが、一日で消えそうな程度だった。

 ケサギとムクロも腰をかがめてサカキの上体をチェックして、うんうん、とうなずいた。

 そもそも、上忍が本気で殴れば内臓が全部破裂するものだが、サカキもケサギもムクロも黙っていた。

 忍者は余計なことは言わない。


「ほんとだ」

「あんなに大きな音だったのに……」

「あれで加減してたんですか……」


「そう見えただけだ。体が浮いたり、壁に叩きつけられるのは俺がやっていた。

 本当に殴られているように見せるのも忍者の大事な技だ。コツを掴むのはむずかしいが、慣れるしかない」


「え、自分で?!」

「とてもそうは見えなかったっす」

「……サカキ様、血が……」


「ああ、これは血糊だ。甘くてうまい」

 サカキは口元の血を舌でぺろりとぬぐった。

「「ええー?」」


 黑づくめのもう一人の男が頭巾と口布を取ると亜麻色の長い三つ編みが背中にハラリと落ちた。

 ムクロがにっこりと笑う。


「ワタシのお手製の血糊玉だよ。ユスラウメの実を煮て蜂蜜と食用の染料を混ぜてある。

 外の皮は企業秘密。口に含んでも溶けないから、使う時は噛んで潰してね。

 あとで全員に配るから味見してみてくれ。これは兵糧がわりにも使えるから、余ったら懐に持っているといい」

「「ありがとうございます」」


(しかし、初歩の初歩すらも履修していないとなると――困ったな)

(そうだな、まずは縄ぬけから。そのあとで軽く手合わせするか)

(だね、演技や耐久訓練はこの様子では無理だ、けが人が出る)

(騎士見習いたちや白魔導士たちのほうがずっとマシだな。面構えが違う)


 上忍3人は矢羽音で打ち合わせをした。

 同様の訓練はローシェ騎士と白魔導士にも行っていたが、彼らは積極的かつ果敢に課題をこなしている。


「それじゃあ、まずは縄ぬけから始めようか」

 元山吹の縄師と呼び声の高いムクロは15本のほどよい長さの縄を持ってにやりと笑う。

 その顔に加虐の相を感じて15人は背筋が冷えた。

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