第86話 右と左

 これまでの簡単なあらすじ:秋津の国・校倉あぜくら藩10万石を擁する藩主の長男であった立花源一郎春城は、謀反の濡れ衣を晴らすためローシェに滞在していた。立花とサヤ、アサギリの話から翁衆がウツロと関わりがあることを知ったサカキは、翁衆の記録本を手に入れ、ウツロの他人を次々と乗っ取る異能の名が『屍四季舞ししきまい』であることを突き止めた。


 ウツロ:年齢は28歳だが、異能・屍四季舞ししきまいによって松崎城城主・泰時の体を乗っ取っているため、一人称を「わし」に改めている。本来は「私」

 人間の残酷さ、醜さを厭い、人ならざる者による秋津統一を目指しているが手段は残虐 般若衆頭目 翁衆首領

 弟がいて、ローシェに潜入させ、資金や情報を流させている


 ※脇坂泰時本人はすでに殺されて魂は霧散しているが、その記憶の一部分をウツロが受け継いでいる


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 ――龍田藩松崎城・一月下旬――


「立花家だと?」

 急報にウツロが声をあげる。

「はい。18年前にお取り潰しになったあの立花家が……」

 右近次が珍しく慌てている。


「一条将軍を暗殺した犯人を突き止め、濡れ衣だったことを伊津河いづがわ城(光川家主城)の大広間にて大勢の藩主の前で証明しました」

 左近次が続ける。

「……ローシェか――」

「「はい」」


「おのれ……なぜ今までその情報が此の方に持たらされなかった?!」

「あの御方(ウツロの弟・ローシェに潜入している)がおっしゃられるには……『そろそろ疑われ始めていて自分は蚊帳の外になっている』とのことです」

「言い訳がましい。くそう、立花め。まさか18年もの間、諦めずに潜んでいたとは」


 ウツロがぎりり、と唇をかみしめる。今は脇坂泰時の姿をして見かけは老いているが、まだ28歳であり、18年前は翁衆の根城で読み書きの学習をしていた頃だ。


 (――立花家を侮り過ぎていた)

 80年も前から翁衆についていろいろと調べ、文献に残していた一族がこのまま存続してもらっては困る。

 そのために濡れ衣を着せ、断絶に追いやった、と翁衆の実働部隊から聞いている。


 藩主の息子(立花春城)と家族や郎党何人かは逃したが、とっくに市井に身を置いてひっそりと死んだか、外国で生計を立てているか、程度の認識でしかなかった。

 それらが集結し、再興するためには莫大な資金がかかる。なぜローシェに繋がった?


 左近次が正座をしたまま頭を低く下げて報告する。

「このことが紫藤側にも広まり、翻意を持つものが出て来ております」

「今はまだ少数ですが、一条将軍の死を画策したことに紫藤氏が噛んでいたことは多大な影響を与えています。……残念ですが紫藤による全国統一はしばし後退した、と言わざるを得ませぬ」

 右近次の声がかすかにふるえている。

 頭を深く下げる右近次と左近次を、ウツロはじっと見る。


 ……潮時か。

 今までよく尽くしてくれ、忠義に厚い2人だったが……


「わかった。こうなってしまっては仕方がない。右近次、左近次」

 ウツロは、後ろの刀箪笥の引き出しから面を2つ取り出した。


「これを付けよ」

 翁面である。


 右近次と左近次は首を傾げた。

「我らの面はすでにいただいておりますが……」


 そのとき、いつものように黒猫がトテトテとやって来た。

 ウツロが持つ翁面を見て「ピャッ」と鳴いて逃げる。

 その気配に尋常ではないものを感じたが、右近次と左近次は面をウツロから受け取る。

 それはかなり古い翁面であった。


 右近次が持つのは白く、左近次のは黒い。

 笑い顔の目の空洞が不気味だ。

 2人は戸惑うが、主の命には従わねばならない。翁衆の掟だ。

 ゆっくりと面を付ける。


「……」

「……」

 2人はしばらくは何も言わなかった。

 だが――

「ウツロ様……まさか……」

 絞り出すような声は右近次。

「……おのれ……意識が――」

 恨みを含む低い声は左近次。

 正座をしていた2人の体がぐらりと揺れ、腰を曲げ頭をとん、畳に付ける。


 むくり、と2人の体が同時に頭を上げる。

『久しいな、坊主』

『おお、立派になって……まあ、あのときとは別人だがな。ははは。もう20年になるか』


 ゆっくりと顔を上げた2人は翁面を付けたまましゃべり始める。

 声は2人のものだが、口調がまるで違う。


『我らのは役に立ったか?』

『弟は息災か?』


「うるさいな。すこしは黙ってこちらの話を聞かぬか」

 ウツロは憮然としている。


『言うようになったのぉ。初めて会ったときは死にかけておったくせに』

「そなたたちのおかげで命が助かったのは感謝する。しかしこの屍四季舞ししきまい(おくりもの)、条件が厳しすぎだ」


『ほっほっほ。強力な異能ほど条件が厳しくなるのは当たり前』

『して、我らを呼んだ、ということは月牙げつがが見つかったのだな?』


「そうだ。持ち主には移り替わりの血をすでに浴びせている。しかし手練れの忍者ゆえになかなか近づけぬ。手を貸せ」

 2人の翁は

『おお、おお!』

『忌々しき月牙が、ついに!』

 と、はしゃいだ。

「だから、『右』と『左』よ。まずはわしの話を聞け」


 ウツロは騒がしい2人に経緯を話す。

 秋津の統一はしばし遅れることになるが諦めたわけではない。

 しかし、ますます自分の意識が薄くなっている。

 もうあまり時間は残されていない。

 自分の傍付き(右近次と左近次)までをあやかしの者に渡し、その手を借りるのは避けたかったが仕方ない。


(人は愚かで醜い……平和を望みながら戦からは逃れられない)

 己の父母、兄弟、村人たち。すべて戦で失った。それも略奪された上での虐殺だ。

 奪うだけならまだしも、自分たちの楽しみのために無辜の民を、まるで猫が得物をいたぶる様に笑い声をあげながら惨殺した奴らの顔は絶対に忘れまい。


 ウツロが野垂れ死しそうなところを救ってくれたのは妖のものたちだった。

 彼らと縁をつなぎ、過去にあった貴族どもの、面の妖が生まれるきっかけとなった惨たらしい所業を知り、ウツロの心はますます人を忌むべきものと認識した。


 そういった経験がウツロに戦のない世を作ることを決心させた。

(そのためには人が世を支配していてはダメだ。人がいる限り必ず戦は起こる。ならば、人ならざるものが支配すればよい。妖は力こそがすべてを決める。純粋に力あるものが力なきものを統べ、戦など起きる余地はない)


 それこそが彼の悲願であり、それを諦めたわけではない。そのためにはどんな非道な行いも躊躇なくやってきた。

 今は意識が曖昧になっているが、月牙を手にすればはっきりとするはず――

 ウツロはその考えに憑りつかれていた。


 薄暗闇の中。


 トントコトン トトトントン


『右』と『左』がどこからともなく聞こえる太鼓に合わせて踊っている。

 手を上げ、足を上げ、時折ぴょん、と跳ねる。


 久々に得た肉体に喜んでいるのだ。

 奇妙な宴は朝日が昇る間際まで続いた。

 その後、黒の子猫がここに戻って来ることはなかった。

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