第85話 翁衆の記録本
簡単な自己紹介の後、立花は本題に入った。
「確かに、翁衆の記録本は我が家で管理しておりました。しかし、ご存じのように18年前、お取り潰しとなり、我が家の蔵に保存してあった巻物、竹簡、写本ものはすべて
「
「ですが、何冊かは持ち出しが出来ました。それは部下の者が守っております」
「それを借りてもいいか?ロルド様にお見せしたい」
「承知いたしました。すぐにこちらに持って来るように連絡を取りましょう――往復で7日はかかるかと思いまするが」
「光川の結節点を使わせてもらえば2日程度に短縮できるか?」
「……可能かと」
サカキはアサギリの方を見た。アサギリはうなずいた。
「よし、俺が直接受け取りに行く。胸騒ぎがする。早い方がいい。立花、案内してもらえるか?」
サカキの顔を見て立花もただ事ではない気配を嗅ぎ取った。
「つかまつる」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
サカキと立花は薬の行商人に変装し、光川家の根城にある結節点を使わせてもらい、そこからは全速力で道なき道を走り抜け、立花の手下・羽角という人物の家へわずか一日で到着した。
そこは山の中にぽつんと建つあばら家で、数人の男たちが家の周りを窺っている現場に出くわした。
サカキと立花は無言でその男たちに素手で飛び掛かる。
一瞬で片が付いた。6人。ただの野党だったようだ。
家の中から老人が飛び出て来た。
「これは……お館様!」
「久しいな、
サカキは老人に一礼する。
「急ですまぬ、預かってもらっていた書物を渡してもらいたい」
「は、はい、ただちに。立花様どうぞ、そちらの方も中へ」
羽角は60歳で、かつての立花家の家老役を務めていたが、謀反の疑いを掛けられた折は城の抜け道を通って落ち延び、住まいを転々として書物を保管していたという。
「長年の潜伏、ご苦労だった。そなたも光川様の所領内で仲間と合流してほしい。ここは一人暮らしには不用心だ」
「おお……それでは」
「うむ。目途はついた。待たせてすまなんだ」
老人の目から涙があふれる。かつての家老とは思えぬほど頭は白髪でぼさぼさ、体はやせ細り着物もところどころほつれてやぶれている。
「まだ胸騒ぎが消えない。ここは一刻も早く発つほうがよい」
「承知した」
気絶した野党はそのまま放置し、羽角のわずかな身の回りのものを立花が持ち、羽角は足が悪いのでサカキが担いで再び夜の道を走る。
往路よりも倍の時間がかかったが、光川家の所領の立花の手のものが正体を隠して集まっているという里に着いた。
そこは100人規模の小さな廃村で、それを修理して住めるようにしているらしい。
サカキの姿を見た男たちが数人、緊張した顔で出てきたが立花を見て警戒を緩めた。
みな、
立花はサカキのことは紹介せず、里人も挨拶はしなかった。余計な情報は今は渡さないほうがいい。
羽角は一晩中背負われ続けていてかなり憔悴している。
一軒の家で休ませてもらえるよう頼み、立花は今回のことや現在の進捗の話合いをするために明日まで里に滞在するというので、サカキは書物を持ち、1人離脱した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝陽が登る。
2か月ぶりの秋津の国は、ローシェよりも空気が湿っていて重たい。
サカキは太い木の枝の上に座り、竹の水筒から水を一口飲んだ。
竹の香りがする、なつかしい味だ。
木々が鬱蒼と生い茂る森も、ローシェとは表情がまったく違う。そのまま木に背をもたれかけさせて、5分ほど目を閉じた。薄い唇からため息が漏れる。
あの、里の男たちの顔――
18年も身分を隠して逃亡し続けることの過酷さを目の当たりにした。
背負った老人の軽さが悲しかった。
しかし、彼らの瞳に絶望はない。ローシェからの資金も届き始めており、今は冬の寒さに耐える若木の芽のように潜めているが、ため込んだエネルギーを爆発させる時を待っている。そんな印象に見えた。
(立花たちを殺さなくてよかった……俺の中で”死なせてはいけない”という意思を感じたのはいったいなんだったのかはわからないが――)
後日、羽角老がいた小屋のあたりは戦渦に巻き込まれ焼失した、という報がサカキの元へもたらされた。
サカキは間に合ったのだ。この記録本と羽角を救ったことは後々にローシェに多大な恩恵をもたらすことになる。
――王城内:宰相執務室――
サカキが持ち帰った書物には驚くべき情報が記されていた。
「80年前の記録が残っていたとは……」
ロルドの目が真ん丸である。
執務室にはロルドとスパンダウ、サカキの3人が机の上に置かれた古い書物を見ながら話し合っていた。
「ところどころ紙の変色や虫食いもあって読めないところがありますが、翁衆、という名前はすでに80年前に確認されていたのですね。
その首領の名前は不明ですが、側近2人は『右の』『左の』と呼ばれていた。
これは……代々そういう家系で名前だけを継いでいるのでしょうか。今のウツロの側近名も
ロルドが書物のところどころを指さしながら言った。
「ウツロが般若衆だけではなく翁衆の首領も……サヤの勘は当たっているようですな」
スパンダウがうなずく。
ロルドもスパンダウの顔を見てうなずいた。
「それに、気になる言葉が出てきましたな。『
サカキも本を注視しながら述べる。
「その字面から考えるに――ひょっとしてそれが我々が『
「その可能性は無きにしも非ず、かな?ただ、それが何なのか、『おくりもの』という意味はまだちょっとわからないけど。いやー、立花君たちを処刑しなくてよかった」
ロルドは、胸に手を当て、はー、っと息を吐いた。
「今回はサカキ君の大手柄だな。君の判断が早くてよかった。あと数分、到着が遅れていたらこの書物はここになかったな」
「胸騒ぎがしましたので。それに、俺の独断で動くことをスパンダウ様が許可してくださっているおかげです」
サカキが軽く頭を下げる。
スパンダウは、ふふん、と笑う。
「いちいち上に許可をもらわないと動けないようでは情報部は立ち行かない。
これらのことから考えるに、立花家がお取り潰しになるように画策したのは翁衆の可能性がある。実行犯は紫藤氏。理由は立花家が翁衆に関する重要事項の記録を保持していたから。18年前、そのことをかぎつけた結果の謀反のでっちあげでしょう」
「その紫藤氏とウツロは手を組んでいる。忍者の里を潰し、武士を全国から集めている。ウツロの目的は秋津の国統一と武士の統制?にしてはそのための最善の一手を打ってない……当代の紫藤
ロルドが首をかしげている。彼の頭脳でもそのへんの理由は思いつかないようだ。
「字がかすれて詠みにくいですが月……牙?片?かな、月のなんとか、というものを翁衆は追っているようにもとれますね」
「
「そういえばそうでしたな」
サカキは月牙について説明する。先代城主脇坂幸保から賜ったこと。脇坂家の家宝であるが、刀自らが主を選び、主にしか
主に危険が迫ると鞘鳴りがし、鞘を抜いてひとたび振れば衝撃波が生じ、呼べばその手に瞬間移動してくることなどなど洗いざらい話した。
ロルドとスパンダウがびっくりして口を開けている。
「「そんなすごい刀だったのか!!」」
「黙っていて申し訳ない。亡き主君の幸保様から刀の素性は他に話さぬように、と申しつけられていた」
「まあ、確かに」
「そんなすごい刀ならほしがるものも大勢いそうですね」
「どれだけ欲しがろうが、刀が主と認めない限り手に入らない。なるほど。だからウツロはサカキ君の体を狙っているのか……」
「月牙は翁衆にとって昔から追跡する対象だったのだね。その理由までは書かれていませんが、そういう事実がある、というのがわかったのは大きい」
「ふむ……ウツロの目的――、般若衆の頭目としては秋津統一、翁衆の首領としては月牙、というところかな。秋津統一とその維持のためにはローシェの財力もほしいと」
「やつの目的がはっきりすれば対処もしやすくなる。サカキ君の体が今は乗っ取られない、という前提をウツロに知られたほうがむしろ良い気がしてきた。やつの目的を一つに絞れる」
「うーん、それはアリですが……その理由を開示できません。それに、その前提は私の頭の中だけの話ですからね。実際に会ってみたら乗っ取られちゃった、では済まされません。
それより、ウツロがサカキ君に会うために人質を取る、とか卑怯な手を使って来るのが心配」
ロルドが不安げな顔になる。
「そうだな……己の目的のために里を無関係な農民ごとつぶすようなやつだ。どんな卑怯な手を使って来るかわからない。秋津の統一が立花の登場で危うくなればこちらに矛先が向いて来るだろう。……すまないが、だれが人質に取られても俺は応じない。ただ一人を除いて」
「……姫だな」
スパンダウが即答する。
「ええ」
「そうですな。そういう事態が来ない……ことを願うしかありませんが――」
ロルドは、ふう、と息を吐いた。
「今日はこの辺にしておきましょう。……時に、サカキ君、月牙、近くで見せてもらっていい?」
「ここでですか?」
サカキが問う。今は私服で丸腰だ。
「あー、ここだと武器障壁にはじかれちゃうかな?」
「やったことないからわかりませんが、月牙が手元に来たとたん吹っ飛ばされそうな気がする……」
「まあ、そのために常設の障壁を消すのもアレですから、宰相、後日にされたほうが。この後もまだまだ会議があります」
スパンダウが苦笑している。
「そうだねえ――いや、そうしましょう。サカキ君、今日はお疲れ様でした」
しょんぼり顔をするロルドを見てサカキも苦笑する。
(この中年……かわいいな。早いうちに刀をお見せしないとな)
ロルドも、ユーグも、スパンダウもだが、この国の人々は心根が暖かい。寒さの厳しい気候だから却ってそうなるのだろうか。それとも裕福だからか。
いや――
ロルドから聞いた話だが、この国もかつては何度も飢饉に見舞われ、戦争で傷つき、豊富な水源を狙って異民族が侵入し、領土を削られていたという。
そのたびに国民と王が力を合わせて立ち上がり困難に立ち向かって行った。
あの暖かさは、不屈の精神に支えられた逞しさが元になっている。
(それを、あんな非道な者たちになど――)
山吹の里をつぶされたことは絶対に許せない。我らを救ってくれたこの国を、それを支えるものたちを、同じ目には絶対に合わせない。
その意志に、ふつふつ、と熱が沸き上がる。
その熱が作る形こそが今の自分の形だ、とサカキは自分の胸に手を当てた。
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