第58話 魔女を追う
――ローシェ郊外黒影の森――
「サカキ様!かなり近いです」
「了解だ」
サカキは愛馬モクレンを全速力で走らせていた。
その両隣をゾルとルゥが宙を飛びながら追従していく。身体を地面と平行にしているのは、空気抵抗を減らしているのだろう。
白魔導士が飛べることをサカキは初めて知った。
ゾルは「あまり人前で見せてはいけないことになってますのでね」
と苦笑しながら言った。
追跡の要はルゥの魔力の糸によるものだった。
ルゥは預言の魔女の幻影に魔力で編んだ糸を結び付けた。
幻影が消えるとき、魔力は本体に戻る。
糸はその魔力をたどって本体へと伸び続けるのである。
「あの洞窟です!」
ルゥが叫ぶ。
「彼女は黒魔導士です、が、今は精神の乱れが感じられます、大した魔法は撃てないでしょう。
彼女が逃げられないよう、僕たちはここでバリアを張っておきます」
とゾルが言った。
「わかった、俺だけで行く」
「「お気を付けて!」」
モクレンから降り、サカキは洞窟に音を立てずに忍び込んだ。
中はところどころに蝋燭の火が灯されていたが薄暗く、魔術の道具なのか何かよくわからないものがところどころ散乱していた。入り口は狭かったが、奥へ行くほど広くなっており、その最奥に魔女はいた。
「な、ここまで追って来たの?」
魔女ベクトラは驚愕し、壁に背を張り付け、火魔法を唱えた。
が、その魔法が着弾した場所にサカキはおらず、いきなり魔女の眼前に姿を現し、大太刀:月牙をスラリと抜いて魔女の顔の前に突き付けた。
「ひ、ひ……」
サカキはロングコートのフードを取り、口布を外し顔と髪をあらわにして、静かに言った。
「魔女ベクトラよ。俺はあなたの過去は知らぬ。だが、ひとつ言わせてくれ」
「何を……」
「16年間も、国を救うための準備ができたのはあなたの預言のおかげだ。礼を言う」
ベクトラの赤い瞳が限界まで見開かれた。
だれかから礼を言われるなど十年以上なかったことだ。
ベクトラはかつてはローシェ王国で預言の魔女として大切に保護されていた。
望むのは何でも手に入り、大勢の男たちにかしづかれ、まるで女王のようにふるまっていた。
その日々が彼女を増長させ、わがまま放題になり、次第に周りから嫌われていった。
そしてついに事件が起こる。
ベクトラはある日、心の中で憎からず思っていた貴族の男に、夜にとある場所で会おうと誘いを受けた。
だが、それはベクトラを快く思っていなかった大貴族の娘の罠であった。
誘われた場所にいたのは貴族の男と大貴族の娘。彼女はのこのことやってきたベクトラを指を指して嘲笑し貴族の男を抱きしめて見せた。
ベクトラは激怒し、娘に自分の姿が鏡にヒキガエルに映る呪いをかけた。
大貴族の娘は己の姿に絶望し、塔から身を投げた。
というのがローシェ史に残る記録である。
ベクトラは本来なら死罪になるところを、それまでの預言の魔女としての功績が認められ、国外追放の処分に減刑された。
ベクトラは自分をこんな目に遭わせたローシェという国そのものを呪い、同時に終焉の預言を与え、それから16年もの間各地の洞窟を移動しながら身を潜めてローシェの最も晴れやかな日を台無しにする瞬間を待っていたのだった。
ベクトラは自分を静かに見つめる男の姿を見た。
(なんという美しい男だろう……もし傍らにこういう男がいてくれたなら、自分のねじくれた性格ももっとマシになっていたのだろうか)
死を目前にしてこういうことを考える自分に驚いた。すべてが遅いのに。
月牙の刀身に月のような光が灯った。
「この光が出ている状態の剣で斬られたものは痛みを感じない。自分の信じる神に祈れ――」
ベクトラはふ、と笑った。絶望の笑みだった。
「神などいない。この世に神などいるものか――」
サカキは左手で印を結び、風がベクトラの赤く長い髪を巻き上げた。
その瞬間――
ザンッ!
刀風一閃。
(本当に……痛くない……)
視界が急速に狭まり、すべてを諦め、命の灯が消えようとして行く中、ベクトラは己の内に字が灯るのを感じた。
(ばかな!こんなときに――)
予言の魔女は運命の神との契約により力を行使することができる。その神があざ笑うかのように死の直前に預言を与えたのである。
『ローシェ最高の美貌は近しいものによって奪われた』
伝えなければ。目の前の悲し気な顔をしているこの男に――
(ああ、もう……声が出な……)
最期の預言を世に出すことは出来ずにベクトラの意識は闇に飲まれた。
44年の人生であった。
宙を舞ったベクトラの首がごとり、と音を立てて落ちる。その顔には苦痛の跡はなく、安らかで眠っているようだった。
彼女の赤い髪はミヤビを思い出させた。
サカキはベクトラの髪まで斬らぬよう風遁を使ったのだった。
ベクトラの生命反応が消えたことを知り、ゾルとルゥがやって来る。
転がった生首を見て目を閉じ、黙とうをささげた。
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