第57話 キーリカとパシュテと宦官見習いのルミル君

「おーい」

 ケサギは、白い布を広げながら駆け寄り、黒魔導士たちに呼びかけた。

 白い布は敵意のない印である。


「お嬢さんたち、いかがなされました?」

 ケサギが口布をはずし、笑顔を浮かべながらアラストル語で話しかける。

 しかし、黒魔導士たちはケサギを見て慌てているようだ。


「あー、大丈夫ですよ、もし、国へ帰る手段がないのなら我らが馬車でお送りいたしますが……」

 黒魔導士たちは首を振った。違うらしい。


 そこへ、軍が撤退したあと、ようやく収まりつつある土煙の中からこちらへ走って来る者がいた。

「す、すいません、僕が間に入って、姉さまたちの言葉をお伝えします!」

 駆けつけたのはまだ10歳ほどの少年だった。


 アラストル人特有の浅黒い肌に、短い金色の髪はクルクルときついウェーブがかかっていて、瞳は濃い青。なかなかの美少年である。


 息を切らしながら

「ぼ、僕は、ルミル、といいます。宦官見習い、です」


 ケサギは彼の側へ歩み寄ると、片ひざをついて話しかけた。

「ゆっくりでいいよ、ルミル君。オレはケサギ。

 君は彼女たちのために戻って来てくれたんだね?すごい勇気だ、偉いぞ」


 ルミルは顔を真っ赤にして

「お、恐れ入ります……ほめていただけるなんで初めてで……」

 と照れた。


 黒魔導士の2人もほっとしているようだ。

「こそこそこそ」

 と手で口元を隠し、少しかがんで小声でルミルに言う。ルミルはうなずき、


「こちらがキーリカ様、あちらがパシュテ様です。お2人ともアラストル帝国黒魔導士、第3階梯の魔力をお持ちです。あっ、簡単に言うと上から3番目です。階梯は全部で7あります」


「キーリカさんとパシュテさん、かわいい名前だね!高位の黒魔導士さんたちなんですね。

 オレはローシェ帝国の忍者でケサギと言います。それで、お2人がここに残った目的はなんと?」


「こそこそこそ」

 と、また小声で何か言っている。まどろっこしい。


「お2人ともローシェに亡命したいそうです」

「おお……」

 ケサギはフードを取り、男性的な美貌をあらわにし、にこやかにほほ笑んで言った。

「それはすばらしい!ようこそローシェへ!歓迎いたします」と恭しく礼をした。


 キーリカとパシュテの瞳がケサギにくぎ付けになる。

 しばらくケサギを見つめたあと、2人は顔を見合わせて、うんうん、とうなずいた。


「そうだ、そこの従者さんのご遺体はどうします?アラストルへお送りしたほうがよいかな?」

「いえ、宦官は死ねば無縁者として共同墓地に放り込まれるだけです。それに、彼は皇子に殺されましたので犯罪者扱いとなり、死体は狼に食わせられます。アラストルでは狼に食われたものは魂は地獄に堕ちる、と言われています。よければローシェ国で安らかに眠らせていただけたら、と思います」


 幼いのにしっかりした子だ。

 ケサギは感心した。


「わかった、彼はローシェで手厚く葬ってもらえるよう進言しておくよ」

「ありがとうございます」

 黒魔導士たちも深々と頭を下げた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 ヨシュアルハン皇帝崩御の報はローシェ国にもすぐに届いた。


「……間に合ったか……」

 ロルドがへなへなと力が抜けて猫背になっている


 スパンダウも部屋入って来た。

「最終確認はまだですが、おそらく我が国の犠牲者はいないようです。

 20年前から潜入させていたジュールベル(皇帝の側近)の最後の報告です。ヨシュアルハン皇帝は自らの意思で杯の中身を知っていて飲み干したそうです。


 彼は自分の死がローシェを救うことをご存じだった。アラストルにとっても、ローシェにとっても、彼は最後まで偉大な皇帝でありました。……ジュールベルも皇帝の後を追いました――」


 スパンダウは左目を閉じた。眼帯をしている右目はかつてのローシェ国最大の戦争において、敵兵から部下をかばったときに失った。その部下もすでに重傷を負っていて結局助からなかった。

(私はまた部下を……)

 ジュールベルも彼にとって優秀な部下であり、沈黙してその死を惜しんだ。


「そうであったか……ジュールベルにイルミナの祈りが届くよう祈念しよう」

 女皇は目を伏せ「天界への道を白の女神に守られて渡りたまえ」と死者へ祈りの言葉を捧げた。


 祈りの後、女皇は悲し気に目を伏せ、少し考えたあと言った。

「あの御方に、我が国は返しきれないほどの御恩を受けた。アラストル帝国には後ほど追悼の意を表す文書と、皇子の今回の遠征の費用をこちらが持つよう通達をだす。ロルド、それでよいな?」


「よき判断かと」

 ロルドもうなずいた。


 ロルドは皇子の失態をこちらで埋め合わせることに賛成だった。

 あの皇子には当分アラストル帝国の後継者でいてくれるほうが、ローシェにとっても都合がよい。

 それに、皇帝崩御の日に皇子の恥ずべき行いがあったなど、女皇は歴史に残したくないだろうとロルドは思う。


 軽くため息を付いた後、女皇がロルドの方へ歩み寄り、ふわりと抱きしめる。

「えっ、あの、えっ?」

「慌てずともよい。16年に及ぶ計画と尽力、実現、すべて大儀であった!」

「姫……いや、もう陛下とお呼びすべきでしょうか」

「姫でよい」


「まさか……姫に抱きしめていただける日が来ようとは……」

 ロルドの灰緑の瞳から涙があふれ出て来た。イリアティナが小さなころから自分の娘とも思うほど大切に思ってきた、その歳月が心に蘇る。


「そなたがいなければローシェは私とともに滅びていた。今があるのはロルド、そなたのおかげだ。スパンダウ、クラウス。そなたたちもだ。よくぞこの危機を乗り越えてくれた。私は必ずそなたたちの望む国を作る。どうかこれからも供に歩んでほしい……」


「「姫……」」

 イリアティナが小さな時からずっとその成長を見守ってきた男たちは、やっと、この時が、預言による終焉を退ける時が来た――と涙ぐんだ。3つの人格を持ち、稀有な才能と小さな子供のようなあどけなさの稀代の女皇と共に綿密に計画を立て秘密裏に実行してきた作戦がついに成功したのだ。


 スパンダウとクラウスは片ひざを付き、右手を自らの心臓の上に当て、深く頭を下げる。

「もちろんです」

「まだまだ問題は山積しております。我らも歩みを止めず邁進してまいります」


 頼もしい男たちに囲まれながら、女皇――イリアティナは流れる涙をそのままに空を見上げた。


(空の上の国の父上、母上、ご覧いただけているでしょうか……。イリアティナにはたくさんの忠臣が傍にいます。彼らと、父上母上が命を懸けて守ってきたこの国を、絶対に終わらせません。どうかこの険しい道行を立ち止まることなく進めるよう見守っていてください)


 ようやく、両親に報告ができたイリアティナは空に向かって祈り、ヨシュアルハン皇帝の最後の笑顔を決して忘れまいと心に誓う。彼自身が望んだ死とはいえ、そのきっかけは他ならぬ自分だということ。

 これからきっと幾度も人の死に関わっていくことになるだろうことも。


 そう。この先も帝国の危機は必ず訪れる。女皇は自分とこの国を狙う何者かの存在に気が付いてた。それが人間よりもはるかに上の存在であることも。


 そしてまた、女皇イリアティナ自身も人間でありながらその本性は人智を超える存在であったが、そのことにはまだ気が付いていなかった。

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