第50話 アラストル帝国潜入作戦

 ――アラストル帝国内――


 王女は幅広で長い布を体に巻き付けた上に長いベールをかぶるアラストル風の衣装を、サカキは頭にターバンを巻き、首元から足元までを覆う長衣を着てアラストル帝国内にある貴族の家で潜入の説明を受けていた。


 貴族の名はデヘテル・ストーダ、本名はモールタス・イベルドといい、16年前からアラストル帝国に商人として潜入し、財を成して貴族の称号を金で買った人物で、ロルドの盟友だという。

 にこにこと笑いながら二人をもてなすその姿は日焼けした恰幅の良い、アラストル人にしか見えない。


「帝国には、女であれば皇帝にまみえるチャンスが一度だけあります。

 取次婆とりつぎばばに金を渡し、皇帝への面会を取り付けるのです。

 ただし、1度は取次婆とりつぎばばに顔を見せなければなりません」

 王女とサカキは真剣に説明を聞いている。


「そしてこちらが私の娘、ミンメルです」

 少し離れて控えていた少女がこちらへやってくる。

 王女とまったく同じ模様の、頭から足までを覆うベールをかぶっている。見えるのは目と手だけである。


 ミンメルはぺこりとお辞儀をした。

「娘がまず、取次婆に顔を見せます。その間、王女様には姿を隠していただくことになりますが……」


「「その辺はだいじょうぶです」」

 と王女とサカキは2人そろって親指を立てた。

 上忍並みの運動神経を持ち、忍者風の訓練も行っている王女は気配を完全に隠すこともできるようになっている。30分ほど説明を聞いてからすぐに3人の出立の時刻になる。


「それでは、姫、参りましょう」

「うん、ドキドキしてきたあ!」

「だいじょうぶ、俺がついてる」

「……キュン……」

 王女は忍者同士にしか聞こえない矢羽音やばねという会話術まで会得していた。サカキと2人でいられるのでうれしそうだ。


 夜。月は無く、明かりは街のそこここに灯された複雑な唐草模様のガラスシェードに覆われたランプだけだ。

 3人はストーダ家の紋章の入った馬車に乗りこみ、帝国皇宮の裏手の門衛に大金を渡して中に入れてもらった。

 王女は完全に気配を消していて、門衛には御者と馬車の中には男と女一人ずつしか見えていない。


 デヘテルの話では、アラストル帝国では賄賂わいろがものを言うらしい。

 それに、女を皇帝に会わせようとする貴族はいくらでもいて、こういうことは常習化されているという。

 なので、夜に男女の2人が今通っている城の回廊を歩いていても特にとがめられないのである。


 馬車停まりに馬車を置き、王女は気配を消し、ミンメルとサカキは取次婆の場所へと急ぐ。

 皇宮の中は柱や床、壁に金色や赤、青の装飾が施されており、そのどれもが非常に高価な染料を使ってその財力の高さをうかがわせる。


 南国のヤシの木やソテツ、赤くて大輪の花々などが皇宮のいたるところに飾られている。

 中庭には泉があり、今まで見たこともない極彩色の鳥たちが自由に遊んでいる。

 その煌煌(きらきら)しい威容は皇宮自体が宝石のようだ。


 こういう状況でなければゆっくりと姫に見学させてやりたいところだったが、そういう場合ではない。

 姫もミンメルも緊張した面持ちで速足で、皇宮の地図を完璧に頭に入れているサカキの先導についていく。


 たまに頭に布を巻いて曲刀を下げた衛兵に呼び止められるが、サカキがアラストル金貨1枚を渡すと無言で通してくれる。

 デヘテルの話によると小遣い稼ぎだそうだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


「話は聞いてるよ、ストーダの娘さんだね?」

 黒い毛織物のベールをかぶった人物がしわがれた声で言った。

 取次婆の個室である。

 それほど広くない部屋には金色の皿やランプ、燭台などが机の上にぎっしりと乗せられていた。


 その場所から皇帝の寝所までは近い。

 取次婆にはすでにデヘテルから話が行っている。

 金も渡してあるが、女の顔を見て、婆がダメと判断したときは金は返してもらえずそのまま帰らねばならない。


「さあ、顔をお見せ」

 ミンメルは、取次婆の前へ進み顔のベールを上げた。


「ほうほう、なかなかかわいらしい子だねえ、だが、皇帝の気に入るかどうかは……」

 と言葉を切り、チラリとサカキを見た。

 サカキは無言で取次婆の手にアラストル金貨50枚が入った革袋を渡す。


「ひっひっひ」

 と婆は気味悪い声で笑い

「ついておいで」


 と歩き出した。

 婆の後ろで、王女が気配を表し、ミンメルは物陰でベールを脱いだ。

 その下はサカキと全く同じ服で男装していたのである。


 靴も15ハルツ(cm)の上げ底のものに履き替えたが、それでもサカキよりは低い。

 ミンメルは皇帝の私室の前で男装で待機する。


 そして、次はサカキが気配を消し、姫と婆とともに移動する。

 いよいよ皇帝の私室である。


 まずは取次婆が皇帝ヨシュアルハンの部屋の前でノックをし、声をかけた。

「偉大なる皇帝陛下、今宵の花をお持ちしました」


「いまはそんな気分ではないのだがな……まあよい、入れ」

 中から聞こえたのは、太くたくましい、よく通る声だった。

 王女とサカキはついにアラストル帝国現皇帝ヨシュアルハンに見えたまみえた


 皇帝の部屋に入るのは女一人に限られているが、サカキも完全に気配を消し部屋に入る。サカキには別の使命があった。


 取次婆は、足を組み、壁際にもたれかかって立っている男装姿のミンメルをお付きの男だと思い込み

「シルヴァーラ(運命の神)のお恵みがあるといいのう」

 と声をかけ、歩いて去った。彼女の目が悪いのはスパンダウの調査済みであった。


 皇帝の部屋の中に通された王女は、教えられた通り、ドアの前で静かに皇帝の声がかかるまで待つ。

 目も伏せていなければならない。


 サカキは物陰に身を潜め、そこからまじまじと皇帝を見た。

 長髪で白髪。瞳は金色のようにも見える茶色。両のこめかみの位置の髪の毛を少量とって後ろに結んでおり(ハーフアップ)、額には宝石が一つだけついた額飾りをつけていた。

 部屋着は白い貫頭衣の上に長い紺色のローブをかけている。

 シンプルではあるがすべて絹製の豪華なものである。


 歳は50を超えているだろう。

 長い病気のせいか頬はこけているが眼光は鋭い。

 若い頃はかなりの美男子であっただろう。


「ここまで来てもらったが、すまぬ、今宵はゆっくり一人で寝たい。そちらの白い扉から去るがよい」

 と皇帝が王女に声をかける。

 白い扉は皇帝の情けを受けた女が出る扉で、大変な名誉になる。

 ヨシュアルハンは女が不遇な扱いを受けぬよう気を使い、そこを指し示したのだった。


 王女はどうしたものか、少し考えたが、深く礼をして、白い扉の方へ行こうとした。

 そのとき。

 衣擦れの音とともにかぐわしい香りが皇帝の鼻腔をくすぐった。

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