第41話 預言の魔女と夜香忍軍
アラストル帝国の第一皇子ダールアルパは非の打ちどころのない作法に内心舌打ちをした。これではなんの文句も付けられない。
それならば、と、いきなりアラストル語を話し出した。
『美しき王国の王女。よければ一度我が国へおいでなさいませんか?』
『まあ、ありがとうございます。一度は黄金に輝くアラストルの都、メセナムを見てみたいと思っておりました』
王女も完璧なアラストル語で応えた。
文字が難解で発音もかなりむずかしい言語であるが、まるでアラストル生まれのように見事な発音であった。
(言葉もマスターしていたか。これは……女だと思って侮ってはいられないな)
アラストル帝国は、表向きは女性を大切に保護する国、と言われているが、実際は女は男の持ち物であり、男が同伴していないと外にも出かけられず、結婚も女性の意思ではできない男性上位の国だった。
それゆえに、ローシェ王国のように女が国を支配する、という事実も認めることはできない。
皇子は正しい価値観をこの国に教えてやるのだ、という傲慢な考えを持って乗り込んできたのである。
しばらくアラストル語で取り留めない会話をしたあと皇子は大陸公用語に戻した。
(受け答えも頭の良さがよくわかる、好ましいものだった。ハレムの女たちとはまるで違う……)
ハレムの女たちはみな高い教養を身に着け、歌や踊り、楽器のたしなみも深い。
しかし、それらはすべて皇帝を楽しませるものであり、普段の会話もいかに皇帝を褒めたたえるべきか、に寄っていて王女のように素直な自分の感想や意見を述べたりすることはない。
「……楽しいひとときをありがとう。最後に一つ、お願いしてもよいだろうか」
「なんなりと」
と王女はうなずいた。
「そのお顔を見せていただいてもよろしいか。この国へ来た記念の思い出がほしい」
サカキとロルド、従者たちに緊張が走る。予想はしていてもやはり不快であった。
本来なら一国の王女に「顔を見せろ」など不遜の極みである。
「皇子様のご希望であれば……」
王女は立ち上がり、ゆっくり歩いて皇子のすぐ傍で止まり、両ひざをついた。
従者が2人王女の両横にたち、ゆっくりと黒いベールを上げる。
その下から現れたのは――
「……おお……」
皇子は王女の顔を見て息を飲んだ。
青い瞳は宝石のように輝き、名工の手によって掘られたかのような鼻梁、少女らしさを残した赤い唇は彼の想像をはるかに超えた美しさだった。アラストル人はみな浅黒い肌であるが、彼女の肌はまるで真珠のように白く、皇子の心に衝撃を与えた。
(我が国の宝石で着飾ったどの美女よりも美しいとは……これでまだ15歳とは信じられぬ)
この美女を加えずにしてなにがハレムだ。
ダールアルパ皇子は、もうすぐ自分のものになるハレムは、父親以上のものでなければならない、という妄執に憑りつかれていた。
絶対手に入れてやる。と心ひそかに彼の信奉する運命の神・シルヴァーラに誓う。
従者たちがベールを下し、王女が元の位置に下がる。
「美しき思い出をありがとう。私はこのことは生涯忘れぬ」
「ありがたきお言葉でございます」
表向きは何事もなく、謁見は終わった。
皇子はかねてより進めていたローシェ王国急襲の計画を実現に移すべく、急いで自国に帰って行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日のうちにロルドは動いた。
城内第5会議室にサカキ、ケサギ、ムクロ、ヒムロ、ヒカゲを呼んだ。
部屋にはロルドの隣にユーグと、もう一人筋骨たくましい壮年の騎士がいて
「スパンダウ・ソルクと申します。情報部長官を拝命しております」
と丁寧に自己紹介をした。
短く刈った黒髪に黒い瞳、高い鼻、そして右目に眼帯をかけているのが印象的な好男子である。
ただ、その眼光は鋭く、今まで忍者たちが接してきた騎士とはまったく違う種類の人間のようだ。歳は33。
ロルドが神妙な面持ちで話し始めた。
「今日はかなり重大なことをお知らせします。まずは、みなさんに『預言の魔女』について説明しましょう」
「『預言の魔女』?初めて聞いた」
と、サカキが首をかしげた。
「秋津の方々にはそうかもしれませんが、フランツ公国よりも東側の国々では知る人ぞ知る存在で、各国に必ず1人現れる、と言われています。が、なぜか昔から秋津にはいない、ということになってます。ひょっとしたら別の名前で存在しているのかもしれません。
で、まず、預言とは、”予言”ではなく、未来で起こったことを、まるで歴史書のページを先に読んだかのように、文字で告げることを意味しています」
「それは……必ず預言の通りになる、ということですか?」
「その通りです。魔女の存在が歴史に記されてから300年になりますが、今まで一度も外れたことがありません。告げられる内容は大小様々ですが、不吉なことが多い、という傾向があります」
「――恐ろしいな」
「ええ。とても。そして我が国の預言の魔女、名はベクトラと言いますが、彼女は15年前に預言しました。
それは『イリアティナ女王の治世にローシェ王国は終焉を告げた』というものでした。
このことはごく一部の者しか知りません。王弟にすら知らせていないのです」
「「「……」」」
サカキをはじめ秋津の者たちは言葉を失った。
この、大陸でも有数の強国・ローシェが終わる?本当に?
とても信じることができるような内容ではない。
淡々とロルドは続ける。
「先ほども言いましたが、預言はあくまで未来の歴史書の『文字』を読んだものである以上、抜け道はあります。
それを秋津の方々に知っていてほしい。ただし、絶対にこの人数以上には知らせないでください。
情報が洩れればすべてが水の泡となる可能性があります」
「「承知いたしました」」
5人が声を揃えて答える。
「その抜け道というのは――」
ロルドが計画を話す。
それは奇想天外なもので、サカキはそれが本当に可能なのかさっぱり予想がつかなかった。
「そんなことが可能なのか?」
「我らは15年間そのために準備をしてきました。可能にしなければ我が国は終わりです」
「……わかった。我らは何をすればいい?」
「ローシェ忍軍、一番隊隊長サカキ、二番隊隊長ケサギ、三番隊隊長ムクロ、四番隊隊長ヒムロ、五番隊隊長ヒカゲ。隊は隊長含めて10名ずつ計50名。よくぞこの短期間で集めてくれました。
作戦を話す前に、王女からローシェ忍軍、というよりも秋津風の名前にしてはどうか?という提案をいただいております」
「といいますと?」
「王女が、『初めてサカキに会ったとき、夜の香りがした』とおっしゃってまして。
夜露に濡れた露草の花の香りが印象に残っているそうです。なので『
「おお、それは……」
ヒムロが進み出た。
「もともと山吹の里の山吹、という名は表向きの名で、本当の名は『
夜中に花の香りがしたときは外に出てはならない、出れば取って喰われるという伝承もあります。とても我らにぴったりな名かと思います」
ケサギやムクロ、ヒカゲもうなずいた。
「「我らも賛同いたします」」
「良き名だと思います」
王女の配慮をサカキはうれしく思った。自分たちは今はローシェの忍軍としてローシェ王国のために働いている。
しかし、秋津の忍者であることも忘れたくないのだ。また、いつか山吹の里を奪還したいことも。
王女はそういう忍者たちの気持ちを汲んでくれたのだろう。
「それはよかった、では今からは夜香忍軍、と呼ばせてもらいます。そこで我が右腕のスパンダウ君の出番です。夜香忍軍は彼の下についてもらいます」
「「承知いたしました」」
「初顔合わせでそういうことになってすまない。ユーグ殿はこの度の作戦では近衛騎士団に加えて5つの歩兵大隊と3つの騎兵大隊を指揮することになっている。なので身軽な私が君たちの担当になる。よろしく頼む」
スパンダウは低くて良く通る声で一礼した。つまり、夜香忍軍は軍隊ではなく情報部所属になる、ということだ。サカキにとってはどちらでも変わりなはい。
ユーグは両腕を組んで苦笑している。
「そういうことなんだ、すまないな、だがスパンダウは長年情報部を率いて来た男だ。ワシよりも君たちをうまく使いこなせると思う」
「ありがたきことと存じます」
サカキも一礼した。
「では、まず作戦の全容を説明する。もちろん、書面はないし一度しか言わない。心して聞いてくれ」
忍者たちはうなずいた。
スパンダウの説明は概要だけで1時間を越した。作戦の内容はユニットごとに100以上に分かれており、状況の変化によってそれらの組み合わせが複雑に繋がりを変えていく、というものである。
複雑ではあるが実によく考えられた作戦であり、しかも忍軍、という新しい要素を加えても破綻せず見事に独立ユニットとして成立していた。
(これは……あらゆる事態に各師団が柔軟に対応できるように組まれた作戦だ。恐るべき頭脳だな、ロルド様。まるでオボロのような……)
サカキは感嘆しながらもすでにいない彼のことを思い出してしまう。
「……以上だが、質問は?」
スパンダウが5人を見渡して言った。
「作戦開始日は?」
サカキが問う。
「君たちが動くのは12月16日。喪が明ける日であり、王女の16歳の誕生日、女王の戴冠式の日でもある」
「承知」
「さて。ではこれから君たちには大事な要件がある。これは忍軍として最も重要なことなので拒否しないでくれたまえよ?」
スパンダウが真剣な顔で言う。
「今からですか?」
「そうだ」
「あ、私とユーグはこれで失礼するからね!あとはよろしく!」
とロルドとユーグはピューっと慌てて会議室から出て行ってしまった。
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