第3話 帰りたい
サカキは大男の険しい瞳をまっすぐに見たまま微動だにしなかった。
大剣がサカキの首筋の直前でピタリと止まっている。
首の布越しに剣の刃の冷たさが伝わる。しかし傷はついていない。
「……見事だ。本当に害意はないようだな」
と、剣をサカキの首筋に当てたまま大男がニヤリと笑った。
サカキは眉をひそめた。
重い大剣をピタリと止める腕力と技はただの衛士ではない。
騎士、それもかなり上級の騎士か。
「こやつは忍者で間違いないようだ。ワシの殺気が途中で消えるのも正確に読みおった。度胸もある。かなりの手練れだな」
「ですな……いやあ、実物の忍者、初めて見ました」
どこか興奮した口調で、大男の後ろに立っていた太めの体躯の男が言った。
サカキの記憶では衛士たちの一番最後に部屋に入ってきた、灰色の髪に太い眉、小さめの灰緑の瞳をした老年に近い年代の男だ。人好きがしそうな穏やかな表情は、秋津の国で贔屓にしていた粉屋のおやじを思い出させた。
「あーっ!ユーグだめえええ!!」
首筋に剣をあてられたサカキを見て少女が駆け寄ってくる。すごい速さだ。
速すぎたのか床の出っ張りにつまずき回転しながら大男の膝裏にドン!と音を立ててぶつかった。
「きゃん!」
「うわっ」
「!!!!」
サカキは首筋に食い込む刃の感触に背筋を凍らせながら床に仰向けに体を倒し間一髪で剣の軌道から逃れた。
髪が数条、宙に舞った。
床に手を付き、ゆっくりと起き上がると、左の首筋にピリリと痛みが走った。
左手で押さえると、濡れた感触があった。
手の平にはべったりと血が付いていた。
「その人、殺しちゃらめええええええ」
少女は起き上がりながらサカキのほうを見た。
「あっ、血はダメ……」
と叫ぶと白目をむいて後ろに倒れかけた。
(今、あなたに殺されそうになったんだが)
心の中で愚痴りながら、サカキは急いで立ち上がり、少女の背に右手を伸ばして受け止めた。
同時に大男も左手を背に伸ばしていた。
「あっ、姫に触れてしまった。だが気絶しているならセーフか?」
「セーフ!」
粉屋のおやじが答えた。
どうやら、この少女に触れてはいけない決まり事でもあるようだ。
それが衛士たちの微妙な反応の理由らしい。
「今のうちに姫を別の寝室へお連れして。あと侍女たちは何やってるんですか、こんなに騒ぎになってるのに」
粉屋のおやじが指摘する。
「それが、いくらゆすっても起きないのです」
「ふーむ」
衛士たちは気を失った少女にシーツをかけてから抱き上げ、部屋を出る。
サカキは眠り香のことは黙っておいた。効き目はもう切れているはずである。
「すまなかった、傷つけてしまったな」
大男はサカキの首筋を見て謝った。意外だ。
「気にするな、このままでいい」
「そうはいかん、手当させよう……白魔……ゴホン、いやなんでもない。おい、アカネを呼んで来てくれ」
「隣で寝てますが」
「叩き起こせ!」
(アカネ……?)
嫌な予感がした。知っている名だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おはようございま~す~、で、けが人はどこですかぁ?」
と寝起きの間抜けた声を出しながら仕切カーテンの下からもぞもぞと入って来たのは。
「あっ、サカキ様!サカキ様じゃないですか、お久しぶりです、アカネです!!
けが人ってサカキ様なんですか?まさか上忍の貴方様がケガするなんて!!クマにでも襲われたんですか?!」
前髪を眉毛の上でまっすぐ揃えた、丸い目と丸い口の侍女服の若い女が名前を連呼した。
彼女は元山吹の里のくノ一だった。
栗色の髪を左右2つにくくっている。
サカキは心の中で頭を抱えた。
まさか忍務中に個人情報をばらされるとは。
「ああ、狂暴なクマに襲われた」
「おい、今なんつった?」
本物のクマのように牙を剝きだして大男が怒ったが、サカキはそっぽを向いた。
アカネはサカキに会えたことがよほどうれしかったのだろう、何度も名前を呼んでは里の近況を尋ねたりした。
サカキは肩を落とした。
今日は厄日だ。
アカネは忍者としての運動能力は優秀だったが、忍者としての作法がまったく覚えられず、とうとう厄介払いとして秋津の隣国であるフランツ公国へ間諜の名目で奉公に出されたのだった。もちろん、彼女は間諜としてはまったく動いておらず、普通にメイドとして働いている。
アカネの作法担当の中忍がよく「教えたはずなのに……」と頭を抱えてうずくまっていた光景を思い出す。
その様子を見て大男がニヤニヤ笑った。
「ほうほう、そうかサカキというのか良い名だな!」
「サカキさん、血の付いたその布はこちらで処分しますね」
粉屋のおやじは変に顔を歪ませながら布を受け取った。笑いを我慢しているようだ。
(もう帰りたい)
アカネに首に包帯をぐるぐる巻かれながらサカキは深くため息をついた。
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