第2話 姫?

 上忍の自分よりも早く動ける者がいるとは――

 手首を掴む力は予想以上に早くて強く、サカキは驚いて娘の顔を見た。


 とたんにサカキの意識に過去の映像が蘇る。

(?!)


 周囲の景色がすべて溶けたように消え、サカキは前後左右の感覚が狂う。

 慌てる彼の耳に聞こえてきたのは――


 ザザーン……


 と、波の音。視界が青く染まった。

 いつの間にか自分は海の底から上を見上げており、急にぐん!と上に引っ張り上げられた。

 波間に顔を出し、上を見ると、それはどこまでも澄み切った夏の青空。

(過去の記憶か?……いや、俺は海を泳いだことはない、なのになぜ……)


 サカキは茫然としたが、次の瞬間には現実の中に戻されており、目の前にいたのは。


 真夏の空のような濃い青の瞳。

 月の光に照らされて金色に輝く長い髪。

 神の手によって彫られたかのような優美な線を描く鼻梁。

 少女らしい、小さな唇はつややかな桃色。


 華奢な体からはほのかに花の香りがする。

 サカキが今まで見たことがないような、外国とつくにの美しい少女だった。


 濃い金色のまつ毛に縁どられた大きな瞳がパチパチと瞬きをした。

「……忍者来たーーーー!!」

 素っ頓狂な声を上げると、少女は右手を離し両手をサカキの首に回してぎゅーっと力を込めて抱き付ついた。


(え、あっ、ちょっと……!)

 少女の行動にサカキが慌てているとドアが乱暴に開いた。


「姫、どうなさいまし……うおおおおお、曲者ぉおお!!!」

 入って来たのは2ハロン(2メートル)を超える筋肉の塊のような大男であった。

 こげ茶色の髪に無精ひげを生やした大男の赤茶色の瞳は怒りで燃え上がるようだ。


 大男の後からなだれ込むように衛士たちが入ってくる。

(くそう)

 完全に囲まれた。こうなっては下手に動けない。

 最悪、この少女(姫?)を人質にする手もあるが――

 サカキが躊躇していると。


「おい、曲者、姫を離せ!」

「どこから入った?障壁(バリア)はどうした?!」

 衛士たちの怒声があがる。


 離すも何も、サカキはすでに両手を上げて敵意がないことを示しているが、少女がサカキにしがみついて離さない。

「姫!早く離れてください、そいつは寝所に侵入してきた不届きものですぞ!」

 大男が大きな声で叫ぶ。


「ちがいまーす!神様からのでーす!」

「あなた、無神論者でしょうが!!」

「私に都合のいい神様ならいるんだもーーーーん!」


(……ひょっとしてアホの子か?)

 こんなに綺麗なのにかわいそうに。

 それとも外国の女とはみなこういう見境のないものなのだろうか。

 サカキは美形ゆえに忍者の里でもモテたが、いきなり抱き着いて来る女などいなかった。

 後ろからそっと袖を引く程度だ。


 大男と少女が頭がいいとは思えない内容でギャーギャー言い合いをしているうちにだんだんサカキの息が苦しくなってくる。

 少女が細い両手両足でサカキの首と腰を締め付けているのだ。

 とても少女の筋力とは思えない。


 サカキは命の危険を感じて声をなんとか絞り出した。

「あの……投降するので離れてもらえないだろうか?」

 流ちょうな大陸公用語であった。


「おお、言葉が通じるか、ありがたい」

 大男はサカキに体を向ける。

 白い長衣を着た人物が大男に耳打ちする。

「彼は嘘は言っていません。害意もないです」

 大男はうなずき問うた。


「お前は忍者か?」

「……」

 サカキは答えない。そう問われてはい、と答える忍者などいない。

「無言か、まあよかろう。投降を認める。姫、彼が苦しそうだ、さっさと離れてください」

「えーー」


 少女は不満そうな声を出し、少し考えた。

「あのう、離れますのでお顔を見せていただいても?」

 ポっとほほを染めながらサカキに言った。交換条件らしい。


 無言でうなずく。

 大勢の衛士の中から強行突破するのはけが人が出る。

 サカキはそれは望まない。


(いったん捕まって牢に入れられたあたりで抜けだすか……)


 少女が大人しく離れる。

 やっと息ができる。

 サカキは軽く息を吐いて、頭巾の代わりに雑に巻いていた布を解く。


「「「ほう」」」

 と周りの男たちから感嘆の声が漏れた。


 切れ長の黒瞳は鋭く、まっすぐで艶やかな黒髪は背の中ほどまで届く長さ。

 背丈は180ハロル(センチ)を軽く超えている。


「これは驚いた、たいそうな美形だ」

「我々の国の美形とはまったく違うタイプの美しさですな」

「月の光が人の形を取ったかのようですね」

 大男と衛士たちが素直に感想を述べた。


 サカキはほどいた布を首に巻き、左手首に巻いていた紐で頭の後ろで髪を一つにくくった。

「いやーーん、超超好みーーー」

 少女が両手を上げてぴょんぴょん跳ねている。

 目が恋待ち草の花びらの形(ハート形)になっていた。


(外国ではこういうのが普通だとしたら……ちょっと嫌だな)

 サカキが秋津国の外に出たのはこれが初めてだったが、しとやかなタイプが多い秋津の女たちとはあまりにも違うことに驚く。


「そこに座れ」

 大男が言った。

 サカキはその場で片膝をついた。


「姫、下がっていてください」

「えーやだ、離れたらなにかひどいことするでしょ!」


 大男が突然、後ろを指して言った。

「あっ、あの窓のところにドングリを抱えたかわいい小リスちゃんが!」

「えっ、どこどこ?」

 と少女がそちらへ走り寄った瞬間。


「動くなよ?」

 ぶぅん!

 と空気を割く音が鳴った。衝撃で周囲に風が起る。

 サカキの目の前で大男が大剣を上段に構え、サカキの首筋に向かって振り下ろした。

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