5-4.幸せで、楽しい時間。

 森麗月しんれいづきも巡るのは早く、十日となった。


 幸いにしてなのか、嵐の前兆なのかはわからないが、ヴィクリアに体調の異変はなかった。変な夢とやらを見ることもない。実に、平和だ。


 ケルベロスはいまだ、オルニーイたちが裏で動かしているという偵察兵ていさつへいの網にも引っかからず、発見には至っていない。キツァンもたまにどこかに出かけているようだ。


 それは、いいとする。いや、よくはないが、ヴィクリアには何もできないため本を読み、ティネから礼儀作法を学び知見ちけんを広げ待つしかなかった。問題は――体を締めつけるコルセットや、何枚も重ね着した二枚段のペチコート。動きにくく、少し苦しい服装の方だ。


「準備できた?」


 使用人に囲まれ、硬直しているヴィクリアのもとへ、ティネが顔を出す。


「あら、似合うじゃない。さすがあたし。最高の見立てね」


 肩が出ている青いドレス姿のヴィクリア見て、彼女は更衣室へと入ってきた。


「ティネさん。苦しいです。重いです」

「令嬢のたしなみってやつよ。あきらめなさい。本当は軽い化粧もさせたかったけど、あなたは素がいいから。肌も白いし口紅くらいでいいわね」


 「何色にしようかしら」と考えこむティネの横、ヴィクリアはただ、三面鏡の前に座って使用人に髪をいてもらっている。


(どうして、こうなったんだろう)


 黒いレースの肩掛けについた水晶が、シャンデリアの明かりにきらめいた。


 少し前――数日前に、突然ティネが「誕生日会をしましょ」と言い出したのだ。どうやら彼女は以前、茶会でオルニーイが口にしたヴィクリアの誕生月を覚えていたらしい。


 当初、ヴィクリアは提案を断っていた。ケルベロスの件があるのもそうだが、自分には祝われる価値などないと感じていたから。


 だが、キツァンがあっさり許可を出した。むしろ、交友が深まった中で祝われない方が怪しまれる、らしい。偵察兵ていさつへいの動きを悟られないようにするためにも、大げさな祝宴を開いた方が目くらましになるという理由からだった。


(大丈夫なのかな。こんなことしてもらって、いいのかな)


 そうはいっても不安はつのる。甘えていい、とオルニーイは言ってくれたが、胸に残った呪い持ちという隠し事が、ヴィクリアの顔にかげりを帯びさせた。


 きれいな青色のドレス。新品の白いヒール。甘い花の匂いをした香水。


 どんなに着飾っても、呪いの存在は消えてくれない。むしろ素敵なものに囲まれている分、自分の本質がとても醜いもののように思えて。


「暗い顔してないで、こっち向く」


 ティネが素早く動き、手早く紅をさしてくれた。唇に奇妙な感覚が残る。


「よし、これでいいわね。あとはエスコート役を待ってなさいな」

「ありがとう、ございます」

「今日はルイと上手くやんなさいよ」


 ヴィクリアは小首を傾げた。オルニーイと、何を上手くやるというのだろう。


 笑みを作ったティネは、疑問を顔に浮かべたヴィクリアを残し、ドレスの裾をひるがえすと共に退室していく。いつも世話を焼いてくれる使用人たちもまた、一礼を残して部屋から出ていった。


 一気に静かになる。外はすでに、夜だ。ヴィクリアは窓から、少し欠けた月が出ているのを見た。


 ふらつきながらもなんとか立ち上がり、窓際へと近づこうとしたそのとき。


「ヴィクリア、入ってもいいかな」


 オルニーイの声とノックがした。「はい」と返事をしてゆっくり入口へ近づけば、オルニーイが扉を開けて中へ入ってくる。そして、止まる。動かなくなる。


「ルイさん?」


 惚けたように硬直した彼へ、声をかけた。


「きれいだ」

「はい。ドレス、きれいです」

「いや、そうじゃなくて」


 もごもごと何かを言いよどむオルニーイの頬が、赤い。


 彼は紺色と金色が基調の軍服を着ていた。こないだのものとは少し形が違い、生地が厚ぼったいようにヴィクリアには見えた。


 オルニーイは若干焦ったように首を振り、手を差し出してくる。


「そ、そろそろ行こうか。キツァンはもう小ホールにいるから」

「あの。本当にこんなことしてても、いいんですか」

「楽しめるときに楽しむこと。そして笑うこと。それも大事なことだと思うよ」

「……はい」


 言われてヴィクリアは、少し迷ったのちオルニーイの手を取る。優しい言葉と手の温もりがやはり胸に染みた。


 よろめいてしまうのを見てか、オルニーイはしっかり支えてくれる。幸い、小ホールは更衣室と同じ二階にあるため、そこまで長い距離を歩かなくて済んだ。


 ホールに入ると、明るいシャンデリアが出迎えてくれる。大広間にも負けない、装飾がなされた柱や壁。紺碧こんぺきのカーテンには金糸がちりばめられ、光源にちかちかとまたたいていた。端にあるテーブルには立派な食事が用意されている。


 部屋の様子にヴィクリアは圧倒された。行儀作法は大丈夫かと、今更心配になってくる。オルニーイに恥をかかせるわけにはいかない。少し固まりつつ、彼と共に角へおもむく。


「縮こまらなくて大丈夫だよ。今日は仲間内の立食パーティーだからね。気軽に楽しんで」

「は、い」

「今日の主役は君だ。食べて、飲んで、好きなように過ごしてほしい」


 オルニーイの声にただ、うなずいた。楽しめるだろうかと一抹の不安がよぎったが――


「あそこのケーキおいしいですねえ」


 近くにいたキツァンが、口をもごもごさせながら近づいてくる。


「主役より先に食べるかい、普通」

「ああ、早いですけど誕生日おめでとうございます、ヴィクリア。鳩肉の串焼きもいいですね、焼き加減が絶妙で。ひらめもおいしい。オムレツもおいしい」


 呆れたようなオルニーイに、しかしキツァンは相変わらず動じない。


「お祝い、ありがとうございます。お腹空いてますか、キツァンさん」

「最近はパンとチーズばかりでしたからねえ。ティネもいい提案をしてくれましたよ」


 うんうん、と一人うなずく彼を見て、一瞬にしてヴィクリアの緊張がほどけた。のんきな様子に思わずほっとする。


「あっ、キツァン。オレより先に食べてる!」

風情ふぜいがないわねアンタたち」


 扉を振り返れば、揃いであつらえたかのように、緑色のドレス、そして軍服を着たティネとリュシーロがちょうど入ってきていた。


「おっ。お嬢さん、誕生日おめでとうな」

「おめでとう。あらためて、聖女ティネからも祝福を。……少し早いらしいけど」

「ありがとうございます。リュシーロさん、ティネさん」


 ティネに習ったとおり、ヴィクリアはドレスを軽く持ち上げ腰を少し落としてみせる。付け焼き刃の作法だが上手くできたようで、ティネが得意げにうなずいた。


「ま、いいわ。及第点ってとこね。さ、リュシーロ、とりあえず食べましょうか」

「おう、じゃあまたなー」


 挨拶を交わしたのち、二人は奥の方へと食事を求め、歩いていく。


「僕も食べ飲みしてますので。踊りはあなたたちがどうぞ」

「飲み過ぎないように、キツァン」

「大丈夫ですよ、あなたじゃあるまいし」


 軽口を叩き、キツァンもまた、飲み物を取りにヴィクリアたちから離れていった。


 残されたヴィクリアとオルニーイは、照らし合わせてもいないのに互いの顔を見る。そこではじめて、彼の金髪を彩るリボンが青色だということに気づいた。


「あ、リボン」

「そう、君からの贈り物だよ。せっかくの機会だからつけてみたんだ」


 彼は照れくさいのか、少し赤面したおもてで笑ってくれる。


「ヴィクリアは毎日、ブローチを着用してくれているね」

「はい。大事に、してます」

「ありがとう、嬉しいよ。ところで君は、ダンスを踊れるかな?」


 踊りと聞いて、ヴィクリアは首を横に振る。


「シーテさんからも習っていません。難しそうです」

「実はわたしも得意じゃあないんだ。軽くステップを踏むくらいが関の山で。どうかな、二人で練習してみないかい?」


 オルニーイの言葉に、少し悩んだ。今は踵が高い靴を履いている。足を踏んでしまわないかどうか、心配だ。


 そんなヴィクリアの内心を読んだのか、彼はより笑みを深めて優しく手を引いた。


 体が密着する。腰をたくましい腕で抱かれ、顔も近くなり、ヴィクリアの心臓が悲鳴を上げた。


「ルイさん、あの、あの」

「軽くステップを踏むだけで十分。指示を出すから、そのとおりに足を動かして」

「は、はい」


 軽く混乱し、微笑みと確かな熱に浮かされる。肩が出ているドレスなのに体が熱を帯び、惚けてしまう始末だ。


「右、左、右……前に来て……そう、上手だよ。ゆっくり。焦らなくて大丈夫」


 足はオルニーイに言われるまま、動いた。まるで魔法のように、彼と息が合う。


 誰かと踊るのははじめてだ。それでもオルニーイの指示もあってだろう、ステップが弾む。足を踏むこともない。


 爪先の痛みや呪いのことを忘れ、夢中で踊る。体から伝わる彼の体温と、向けられている笑顔がそうさせた。そうさせてくれた。


 いつしかヴィクリアも、この瞬間を楽しんでいた。


 ときにターンを入れ、ステップを中心に二人で舞う。部屋の中央で。きらめくシャンデリアの下、鼓動を高鳴らせつつ、ヴィクリアはオルニーイと笑い合う。


 知らないことを、見知らぬ世界を教えてくれた人。優しくて強い人――そんな素敵な男性と温もりを交わしているのが信じられない。だが事実だ。現実だ。夢の中ではない。


「楽しい、です」

「わたしもだ。こうしているのがとても楽しいよ、ヴィクリア」


 心からの思いをささやけば、オルニーイもより破顔してくれる。


 その笑顔が偽りではないこと、貼りつけられたものではないことがとても、嬉しかった。彼の側で笑い合えている、事実も。


 例えそれが、一時的なものだとしても。いつかひとりぼっちの家に戻ることになったとしても、オルニーイが与えてくれた思い出だけで生きていけるだろう。


 そう感じるほど幸せで、美しい時間だった。

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