5-3.甘えてくれて、いいんだよ。
――ヴィクリアは、ほとんど外に出なくなった。食事の用意をしているとマクシムがやってきても部屋にこもり、森にいたときと同じく、温め直してくれたスープとパンだけを食べて過ごすようになった。大体一週間そのままだ。月は
キツァンからの呼びかけには最低限、答えた。体調に変化がないことを告げるために。彼も、バツが悪そうな声で心配している旨を伝えてきてくれていたのだが、ヴィクリアにはそんな気遣いを気にしている余裕はなかった。
(怖い)
ベッドに腰かけ、机の上にある帯刀ベルトを見た。リュシーロが選んでくれた短刀がそこには納められており、気落ちするたび、短刀へ手を伸ばしたくなる。
(私が呪い。呪いそのもの。いつか誰かを傷つける)
気持ちは晴れない。怖かった。ただ、恐ろしい。
元凶は魔獣かもしれないが、無意識下で起きた出来事かもしれないが――シーテを、義母を殺したのが自分だと思えば、いくらでも涙が出る。
(私は平気なのに。周りにいる人が不幸になる)
シーテだけではない。キツァンやティネ、リュシーロ、マクシム。彼らに危害が出たら、きっと自分は狂ってしまう。それに――
「……ルイさん」
オルニーイ。優しく、大事だと思う相手。幸せになってほしい人。いつの間にかそう感じるようになった男性は、自身とは真逆の『正義』の人だ。
彼は呪い持ちの自分の手を、握りたいと言ってくれた。けれど呪われた身、人を死に追いやった存在が、オルニーイの側にいることは許されない。手を触れ合わせることも、きっと。
キツァンのいう魔獣を呼び出すおとりになること。その事態に、危険だとか、死の匂いがするとは考えなかった。ただ、他の人を巻きこむことが辛かった。
今日の昼、オルニーイたちはイルガルデから戻ってきている。庭にいる彼の様子を、ヴィクリアは遠目からだが見かけた。みんなに慕われる『英雄』としての姿があまりにもまぶしくて、すぐに眺めるのをやめてしまったが。
(……無事かな。平気かな)
遠くからということもあり、細かな様子はわからなかった。本当なら、彼の元に駆けつけて無事かどうか聞きたい。無理をしていないか、無茶はしていないか、本人の口からきちんと聞いて「お帰りなさい」と笑いたかった。
「臆病もの」
膝を抱えて、うずくまる。
そんなことは、もう許されない。笑顔だって向ける価値も、向けてもらう意味も、ない。
臆病ものの人殺し――最低な人間だ。いっそこの城から出て、どこか誰もいない平原で、魔獣に食われた方がいいかもしれない。
そんなことを思っていたとき、扉が控えめにノックされた。
マクシムか、キツァンか。それとも心配してくれる使用人か――ともかく、無視する。耳を塞ぐように二の腕で耳元を隠し、膝へ顔を押しつけながら。
「ヴィクリア」
よく通る声に、一瞬体が反応した。聞きたかった声、オルニーイのものだ。
「聞こえるかい? わたしだ、オルニーイだ。キツァンから事情は聞いている」
責める様子など
「辛いだろうね、苦しいだろう。君は優しい子だから、真実に心を痛めているはずだ」
自分が当事者であるかのように、辛そうに言われ、ヴィクリアは唇を噛みしめた。
「……だからこそわたしは、戦うよ。ケルベロスと」
強い口調の宣言に、はっと顔を上げる。その後、何もない。なんの音もしない。
ベッドから飛び起き、扉に近づくと静かに鍵を開けた。扉を押して辺りを見ると――
「ルイさん……」
「わたしならここにいるよ」
扉横の壁へ背中を預け、こちらを見ていたオルニーイと目が合う。やられた、と思った。
「……ずるいです」
「うん、どうしても君相手にはずるくもなってしまうんだ」
「私……」
「ヴィクリア、少し話を聞いてくれるかい。辛かったらいつでも戻ってくれていいから」
柔らかい声で諭され、おろかにも、浅ましいにもほどがあるが、彼の声音を聞きたいと思う自分がいる。
そっと顔を上げ、前面に立つオルニーイの姿を見た。包帯が手の甲にある。多分、傷を負ったのだろう。幸いにしてそれ以外、目立つ外傷は見受けられない。
「わたしはね、昔から正しいことをしろと言われて生きてきた」
唐突な語りに、それでも真剣な眼差しがあいまって、引きこまれるように耳を傾けた。
「人を守り、導くこと。清く正しくあること。老若男女の助けとなって、この身を削ること。それが当たり前だと思ってきた。ユランを退治したのも生き方の延長上で、もしかしたら、己の意志などどこにもなかったかもしれない」
独白するオルニーイは、どこか苦しそうだ。だがヴィクリアは、口を挟むこともせず、黙って彼の顔を見つめ続けた。
「けれど、君は……泣いてもいい、甘えてもいいと言ってくれた。はじめてだよ。わたしを『英雄』とも『クイーシフル家のオルニーイ』とも見なかった人間は」
「誰か一人のために戦うというのは、きっと『英雄』としては間違いだ。それでもわたしは君のために、いや、自分が感じた心のままに、ケルベロスとまみえようと思う」
「……どうして、そこまでしてくれるんですか」
目が熱い。オルニーイの決意が嬉しいと思うほど、自分が罪深いように思えてしまう。
「私、シーテさんを殺しちゃったんですよ。それなのに……罰を受けなきゃいけないのに」
「ヴィクリアのせいではない。君の意志では、決してない」
優しい所作で、オルニーイが肩に手を載せてきた。ヴィクリアは振り払おうと思った。だが、できない。ブラウス越しに感じる温もりが、
「君の呪いじゃない。君の意志じゃない。そうだろう? 殺す意志があるなら、君は今、わたしを殺せる。しかしわたしは生きているよ。君はここにいる誰も、殺してはいない」
「で、も。やっぱり、私、シーテさんを」
「過去は変えられない。呪いは確かにシーテどのを殺したかもしれないが……次がないようにあらがっているのだろう? なら、大丈夫だ。わたしが保証する」
温かな声援に、励ましに、涙の粒がいくつも頬を伝う。みっともないと思う暇もなく、顔をくしゃくしゃにしたまま、歪む視界の中でオルニーイを見つめる。
「私、は、もう、ルイさんたちに迷惑、かけたくないです」
「……甘えてくれていいんだよ、ヴィクリア。言ってくれたろう? 君が」
あ、と吐息が漏れた。
オルニーイの手が、静かに頬へと触れる。慈しむような視線。優しい手つき。
「泣くことを許してくれた君だからこそ、わたしは君のことを守りたいんだ」
「ル、イ……さ、ん」
しゃくり上げる自分の肩が、不意に抱き寄せられた。そのままオルニーイの胸へと顔を押しつける形になってしまう。抱きしめられたと考えるより先に、疑問が浮かんだ。
甘えても、いいのだろうか。優しい温もりにすがっても、許されるのだろうか。
「君は今を頑張って生きている。自らを知ろうと考えて、何かに立ち向かおうとしている人は強いんだ。わたしは、そう思っているよ」
その一言が、完全にヴィクリアの涙腺を崩壊させた。
「ルイさん、ルイさん、ルイさん……っ!」
泣いた。溢れる涙をそのままに、体を震わせ、オルニーイのシャツをぎゅっと握る。
背中に回されたかいなは温かかった。蝋燭の火より、ランタンの灯火より、暖炉より。はじめて感じる異性の体温が、こんなに心を安らげてくれるなんて知らない。いや、単なる異性ではなくオルニーイだからこそ、慰めに心揺さぶられるのだろう。
オルニーイ――誰よりも強く優しい彼だから、こんなにも側にいたいと感じてしまう。温かな手のひらと腕に、より強く包まれたいと思ってしまう。
これはなんという思いなのだろう。シーテやキツァンたちに抱く感情とは、また別の感情。気持ち。心を開いて、全てをさらけ出したくなる奇妙さ。
胸の奥がくすぐったい。それでも、不快さとは縁遠い思いだった。
少しずつ涙が引き、体の震えが止まっていく。オルニーイの両腕の中にすっぽりと収まったヴィクリアは、彼のシャツを濡らしてしまったことにようやく、気づいた。
「ご、ごめんなさい。服、濡らしちゃいました」
「心は落ち着いたかな?」
「……はい」
密着していることに気恥ずかしくなり、距離を保とうと体をずらす。だが、オルニーイの腕は揺るがない。
「あの」
「もう少し、このままで」
ささやき声に、今度は顔が真っ赤になってしまった。泣いたりはずかしがったり、全く忙しい。
(呪い持ちの私だけど)
心臓が優しく音を立てる。緊張感と、それ以上の安らぎに。
(少しでも、ルイさんの側で笑っていられたら、いいな)
ほてった頬をそのままに、目をつむる。たくましい胸板に身を預け、優しいかいなに包まれていると、また鼓動が大きく鳴った。
「……ルイさん」
「何かな」
照れて紅潮した頬をそのまま、涙のあともそのままに、顔を上げる。視線が合う。
「お帰り、なさい」
「……ただいま、ヴィクリア」
優しい音色がとくとくと、二人の間でこだましている、と思った。
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