5-2.生きてて、いいのかな。

 急にやめろと言われたヴィクリアは、一瞬頭が呆ける。庭から聞こえる雑踏ざっとうの響きが、やけに大きく耳に滑りこんできた。


「どう、いう意味ですか」

「そのまんまですよ。ヴィクリア、あなたは魔術を覚えてはいけない」


 キツァンに断言され、理解が追いつかなかった。何か粗相そそうをしてしまったのだろうか。彼の気にさわるようなことをしてしまったのだろうか。


「えと……」


 戸惑い、言葉が上手く出てこない。口ごもるヴィクリアを見てか、キツァンが大きいため息をつく。


「ま、いきなりそんなことを言われても、ですよね」

「は、い」

「理由ならちゃんとあります。ここでは人目につきますので、塔へきてくれますかね、一緒に」

「わかりました」


 ヴィクリアの胸をよぎるのは、漠然ばくぜんとした不安だ。それと少しの怖さ。キツァンはまとう刺々しさを隠そうともしておらず、苛立っているとはまた違う、別の焦燥感を顔ににじませていた。


 ローブをひるがえし、歩き出すキツァンの後ろを、ヴィクリアは慌てて追いかける。焦っているのか、別の要因があるのか、歩く速度が速い。


 もらった杖を胸の前で握り、唇を噛みしめる。階段を降りるさなか、窓から見える下庭の様子を見つめた。


 オルニーイが乗ったと思しき馬車が、雨の中、どんどん遠ざかっていく。それを見て、またヴィクリアは心配になる。こみ上げてくる憂慮ゆうりょに押し潰されそうだ。


 オルニーイがいてくれたなら、どんなに心強いだろう。いつの間にか自分の中で、彼は大きな精神的支柱となっていた。


 先程感じた手のひらの温もりを思い出し、もやもやする胸を落ち着かせる。彼の笑顔をイメージし、大丈夫、と自分に言い聞かせる。それでもどうしても顔が、これからへの恐怖で、歪んだ。


「シェルビの森に行ってきました」


 不意にキツァンが言葉を発する。こちらを振り返ることもなく、淡々とした口調で。


「あなたの自宅も家捜しさせてもらいました」

「それは前、するってキツァンさん、言ってました。だから、別にいいです」


 小さく返答したが、彼はそれに答えることをしない。相変わらずヴィクリアへ背中を向けたまま、塔への道を最短距離で進んでいく。


 いよいよ気持ちが爆発しそうだ。地下道の暗さもあいまって、恐れだけが増幅していく。何も言わないキツァンに、少しばかり不信感がつのった。


 塔に続く階段を、緊張のまま上る。二人の靴音が大きい。キツァンの持つランタンと壁の松明だけが光源で、薄闇はまさしく、今のヴィクリアの心情を的確に表している。


 動悸がひどい。ヴィクリアの内心を知らずに、キツァンは立ち止まることもなかった。


 そうして、ついに塔の内部へと辿り着く。


 中は荒れ果てていた。積まれていた本が床に散らばり、今朝、マクシムが運んだと思しき食べかけのパンとチーズの皿も、そのまま放置されている。


「足下、気をつけて下さい」


 唖然あぜんとしてしまったが、キツァンの声にヴィクリアは目をこらし、通路を行く。足の踏み場もない状態で、たまに横から、羊皮紙ようひしなどがひらりと落ちてくるので慌てた。


 机と二脚の椅子が目につく。机の上にはいつものように、天秤があった。銀製の卵も。


「……さて、何から話したらいいもんか」


 腰かけたキツァンが、手で椅子を勧めてくれた。ヴィクリアもおずおずと、小さな椅子に座る。


(まどろっこしいこと、嫌いだって言ってた。でも)


 悩むように頭を掻くキツァンを見て、心臓が張り裂けそうだ。


 彼はいつでも単刀直入だった。なのに今は、話の内容を悩んでいる。吟味ぎんみしている。


 そこまで考えて話さなければならないこと、と思えば、ただ一つしかない。


「私の呪いの話、ですか」

「……ええ」


 ヴィクリアの言葉に、苦いものでも食べたような顔つきでキツァンが嘆息する。


「何かわかったんですか。大変なこと、ですか」

「ま、そうですね……大変なことですね」


 きっぱりと言い出さないところで、よりヴィクリアの恐れが増した。杖を握り、視線を落として足の爪先を見つめる。


「……いつまでもこうしていても、らちがあかないので。言います」

「は、い」


 顔を上げた。ランタンの光加減で、薄い暗闇の中、キツァンの影が大きく揺れる。


「シーテ様こと師匠が死んだのは、やはりあなたの呪いが原因でした」

「……え」


 ヴィクリアの思考が、呆けた。


 吐息を漏らすヴィクリアを見てか、バツが悪そうに、キツァンは天秤の卵を手にする。


「呪い、こと魔獣の瘴気。以前説明しましたね『一度で一身に浴びれば別』だと」


 指先で卵を軽くつつく音が、大きく響いた。


「師匠の墓へ、天秤を持って行ったんですけど。とても強い瘴気が残ってました。瘴気を一身に浴びれば、瞬時に異変が体に出ます」

「……それ、って」

「はい。師匠は、瘴気を一度に帯びたことによる臓器の異常で、死んでます」


 キツァンの宣言に、ヴィクリアの頭が真っ白になる。


 目の前が暗くなった。めまいのようなものがする。突然の真実に、上手く呼吸ができない。


「小さいとき、熊が死んだって言いましたよね、あなた。幼いときはまだ、呪いが自身のオドと癒着してなく、魔獣の力の方が上だったんだと思います。それもあって、にえとなるあなたを魔獣が守った、と僕は推測します」


 キツァンが卵を天秤に置き直す。


「成人になるにつれ、魔獣の力は段々と増します。ですが通常、オドと呪いは、二色の毛糸のようになって絡み合っている。そのため魔獣が力を、瘴気を使うには、本体が無意識でなければならない」


 ヴィクリアは何も言わない。言えない。息が苦しくなり、浅い呼気を繰り返ことしかできなかった。


「あなたが眠っている間、魔獣の力がおもてに出たんでしょう。あなたは服のまま師匠を埋葬してましたので気づかなかったと思うんですが、骨の一部に爪の痣がありました」


 キツァンが厳しい眼差しを向けてくる。鋭い、視線だ。


「しかもあなたが十五のときに、師匠は亡くなっている。成人になる際、オドはいっとき乱れるとされています。小さいときの熊の死因、師匠の死因は、呪い……瘴気だ」


 ヴィクリアの体から力が抜けた。からん、と乾いた音を立てて、杖が床に落ちた。


 首を振る。嘘だと思いたくて。目の奥が熱い。顔が再び、歪むのを自覚する。


 それでもキツァンは容赦しない。ためらうことなく真実を話してくる。


「魔術はオドをほどいて使う作業です。無意識下に落ちることもあります。今までは呪いとあなたのオドは別だと考えていたため鍛錬させてましたけど、ここにきて、そうは言ってられなくなりました。あなたほどまでに強く、人と魔獣が結びつくのはそう多くない」


 彼が話す真実はまるで、断罪だ。いや、実質そうなのだろう。


 耳を塞ぎたい、と、ヴィクリアは震える手をスカートから外した。


「ヴィクリア。……あなた本人が、もうすでに呪いそのもの、なんですよ」


 ひっ、と小さな悲鳴のような呼気が、口から漏れる。思わず耳元を手のひらで押さえ、かぶりを振った。


「耳を塞がずに聞いて下さい」

「いや、です」


 キツァンから視線を逸らし、拒絶する。


 涙がこぼれる。暗いまぶたの裏に浮かぶのはオルニーイの優しい笑顔で、しかしそれも許されないことだと思った。


 呪いそのもの、シーテを殺した元凶は、自分――ケルベロスではなく、自身が『悪』なのだと感じるほど、オルニーイが遠くなる。遠ざかる。彼は『正義』の人なのだから。


「顔を上げて下さい、ヴィクリア」


 大きく呼気を吐き、キツァンもまた、首を横に振った。


「あなたの体調のことなどは、全てマクシムさんから聞いてます。今のところ変わりない。なら、まだ呪いを解く方法はあります。一つだけですけど」


 肩が跳ね上がる。彼の言葉を信じていいのか、それとも撥ねつけるべきかで、悩んで。


「どこかに巣くっているケルベロス。それを倒せばいいだけの話ですよ。ま、一匹だけですし、なかなか探すのも難儀するとは思いますが」

「……ないんですか」

「はい?」

「キ、ツァンさんは、私を、怒ってないんですか」


 しゃくり上げながら顔を上げて聞けば、キツァンが目を丸くする。


「いや、なんで怒る必要あるんですか」

「声、堅かったです」

「僕だってたまには真面目になりますよ。悪いですか」


 唇を尖らせる彼へ、ヴィクリアは微かに「いいえ」と答えた。


「師匠が守ってたんです、あなたを。それほどまで師匠はあなたのこと、大事に思ってたんでしょ。ならそれにむくいるだけですって」

「でも、探すのが大変なら……」

「あー……これは、ルイと相談すべきことだと思うんですけどね。あなたをおとりに、とも考えてます。誕生日を迎えれば、あなたはおいしいえさ。飛びついてくるはずですから」


 相談と聞いて、ヴィクリアは再び気持ちが沈んでいくのを感じる。


 おとりになることが怖いわけではない。むしろ、現状の打開策となるなら、いくらだって自分の身を差し出せる。


 けれど、あの優しいオルニーイに負担をかけたくはない。彼は『英雄』で、とても心が温かい人だ。困っているというなら、呪いの存在たるヴィクリアにだってきっと、手を差し伸べてくれるだろう。


「ま、それはおいおい考えましょ。イルガルデから帰ってきてから、僕の方からルイに話しますし。それまでは待機。変な夢を見たり体調が崩れたら、即報告。わかりましたね」

「……はい」


 一瞬、その手が他の女性に向けられることを思い浮かべ、そうすると胸の奥がつきん、と痛んだ。感じたことのない不思議な感覚に、涙が引っこむ。


 それにしても、自分が呪いそのものだとは。シーテを殺したのは、やはり自分のせいだとは。


(生きてて、いいのかな)


 ふと、思う。よくない考えだとわかってはいるが、どうしても気落ちしてしまう。いっそ自分がいなくなればと感じ、もう一度顔をうつむかせる。


 オルニーイのおもてが浮かんで、消えていく。浅ましいことに、彼の側から離れがたいと感じてしまい、また一粒、涙をこぼした。

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