4-5.必ず迎えに、戻るよ。

 広場から感じ取れた異様な気配に、それでもオルニーイの判断が一瞬、遅れた。


 ――ヴィクリアがいる。


 その事実に、いつもなら駆け出す足が止まってしまったのだ。片手は剣の鞘に触れてはいるが、悲鳴が上がる場所から目を逸らし、思わず彼女を振り返ってしまった。


「平気です」


 ヴィクリアが力強くうなずく。


「ここで待ってます、私。きっと邪魔になるから。だから」


 瞬時に状況を理解したのだろう、彼女は真剣な面持ちだ。


「……わかった」

「はい。気をつけて下さい」


 オルニーイはとっさに、微笑むヴィクリアの三つ編みを手で取り、毛先へ口付けを落とした。密やかに石鹸の香りがする。どうしてそんな大胆なことをしてしまったのか、自分でもわからない。ただ、純粋にそうしたいと思ってしまったからだ。


「行ってくる。必ず迎えに戻るよ」


 顔を真っ赤にしたまま、彼女は何度も首肯する。ヴィクリアへ笑いを残し、大通りへと駆け出す。


 人が、多い。波止場はとばに船が止まっていたのだろう。そちらへ逃げるものもいれば、広場から逃げ出してきたと思しき群衆が、後ろを振り返りつつ町の入口に走ったりとせわしない。


(この感じ、三等魔獣か)


 つちかった動体視力と反射神経で人混みをくぐり抜け、オルニーイは最短距離を行く。丈夫な樽に跳躍で登り、低い建物の屋根を走り、剣を鞘から抜いた。


 広場は坂の下にあるため、屋根に上がれば様子がよく見える。茶色い羽を持った巨大な鳥が二体、空中より船員や港にいた商人たちを襲っていた。


「ルイ!」

「リュシーロ。君も気づいたか」


 同じように屋根を伝ってきたリュシーロと、合流する。彼もまた、両手に短刀を持っていた。


「ティネは?」

「第四大通りの隅で待機。あのお嬢さんはどこ?」

「第三の裏路地にいる。安全なはずだ。わたしたちが食い止められれば、の話だけれど」

「オレたちならできるって! なるべく早く終わらせよーぜ」


 何も言わずにうなずき、前を見据える。


(出現はヴィクリアの呪いのせいか? いや、それはキツァンの話にもなかった。と、すると……)


 出てきたのははぐれ魔獣の類いなのかもしれない。少なくとも、ヴィクリアが身に宿す呪いで、やつらを呼び起こしたというわけではなさそうだ。


 それにしても、こんな治安のいいところで魔獣とは、と眉をひそめる。


 基本的に魔獣は徒党を組み、動くものだ。もしかすればこの近くに、魔獣たちの巣ができあがっているのかもしれない。


 つらつらとした考えを振りほどき、オルニーイは前方に集中する。今は考えるより先に、やるべきことがあるはずだ。


 広場では槍を持った兵士たちが、雄叫おたけびを上げながら鳥の魔獣に立ち向かっている。だが、くちばしと鋭いかぎづめで応戦され、なかなか決定打を打つことができていない。


「お先っ」


 リュシーロが屋根から飛ぶ。宙返りをし、ちょうど兵士たちに近くの壁へ押しこまれた一体の脳天を、切りつけた。両刃が肉を裂き血飛沫を上げ、鳥が悲鳴を上げる。


「ふっ!」


 オルニーイはけいれんする鳥の隙を見逃さない。けたたましい鳴き声を上げた魔獣の頭を踏み、近くに浮上していたもう一体の首と胴体を、遠心力と腕力だけで切り離す。血潮が舞い散り、さび臭い匂いが潮風に流れた。


「オルニーイ様、リュシーロ様!」


 兵士たちから安堵と驚きの歓声が上がる。


「全員、たたみかけろ!」


 地面に降りたオルニーイがげきを飛ばす。兵士たちの顔つきが、変わった。槍を巧みに使い、リュシーロが着地した瞬間を見計らって敵の骨部分を突き刺した。


 リュシーロは追撃する。樽の上に乗り、跳躍。横薙ぎに魔獣の片目を切り裂いた。悲鳴。自身が倒した鳥が広場の道に落ちると同時、オルニーイは走り出している。リュシーロが後退するのを悟り、両手で剣の柄を握り、背中に刃を突き入れた。


 ぐるりとひねれば、骨を断ち、内臓を貫通するいやな手応えが伝わってくる。刹那、ひときわ大きく体を跳ね上げ、魔獣は鳴き声も上げずに絶命した。


 刃を抜き、オルニーイは背後へ着地する。一気に息を吸うと、シャツが血と汗でまみれ、不快な匂いを発していることがわかった。


「ねえ、あれ……」

「悪竜退治の英雄だ!」

「きゃーっ、オルニーイ様ー! リュシーロ様ーっ」


 剣についた血と体液を一振りで払えば、経緯を見守っていたと思しき人々から黄色い声が上がる。リュシーロはちゃっかり、可愛らしい少女たちの方へ手を振っていたが、オルニーイはそれより衣類の汚れが気になった。


(このままで迎えに行けば、ヴィクリアを怖がらせてしまうかな)


 しかしきれいなまま、戦いを終えるすべなど知らない。近くの服飾店でシャツを買い直そうと決め、鞘に剣を収めた。


「君たちに怪我はないかな」

「はっ、オルニーイ様。被害はごく少々で済みました! ほとんど怪我人もおりません」


 兵士に聞けば、きびきびとした反応が返ってくる。視線を埠頭の方にやると、船員だろう、一人の男が肩から血を流しているのが見えた。


「リュシーロ! ルイっ」


 苦悶する男を、困ったようにその仲間たちが取り囲む中、ティネの声が聞こえる。混雑をかきわけ、スカートをひるがえした彼女がこちらに走ってきた。


「大丈夫? あなたたち、怪我なんてしてないでしょうね」

「平気平気。ちゃちゃっと終わらせたからさ」

「わたしたちは無傷だよ。ただ、一般人が傷を負ってしまったようでね」

「あら、そ」


 ティネが腕を組む。そのおもては少し、悩んでいるようにオルニーイには見えた。


 聖女の治癒術は、ユラン退治あとに国王からの命令で、緊急事態以外使わないよう布令が出されている。要は、町民たちに、むやみやたらと力を使用できないのだ。


 それは医者や調合士の職を奪わないようにするための選択であり、シェタルーシャの加護を、これ見よがしに使わせないようにさせるためでもある。無論、聖女の力も万能ではない。『傷を癒やすこと』はできても『死者をよみがえらせる』ことは不可能だ。


「致死量の出血、じゃなさそうね……そこのあなた、清潔な水で傷口を洗って、すぐに医者へ行きなさい。ガランバルク家のティネに請求は回してくれればいいから」

「い、いいんですかい? お嬢さん」

「力が使えないからよ、その程度じゃ。でも、見て見ぬ振りはできないわ。さ、急いで」

「ありがてぇ! 助かるぜ」


 ティネの言葉に男たちはあからさまに安堵し、何度も礼を述べて去って行った。


「さて。死骸しがいの処理は、君たちに任せても構わないかな」

「お任せ下さい! 英雄一団のみなさま、休日のところ失礼いたしました」


 兵士全員に敬礼され、オルニーイも鷹揚おうようにそれを倣う。周りからは拍手と喝采かっさいの嵐だ。


「ところでルイ、あの子、どこにいるわけ?」

「ヴィクリアなら第三大通りの宝飾店にいるよ。迎えに行く約束なんだ」


 と、周囲を見渡しながらティネに答えたときだ。


 人々の隙間から、ちょこんと隙間を覗くように、控えめに、ヴィクリアがこちらを見つめているのを発見する。その視線に、ティネも気づいたようだ。


「あら、いるわね。迎えに行く約束じゃなかったの?」

「待機していると聞いてはいたんだが……」

「ま、いいわ。手間がはぶけるし。第一大通りの方に行きましょ。服を買わなきゃ」


 「そうだね」と口ごもるようにつぶやき、オルニーイは二人を伴って先を行く。人混みが二つに割れる。群衆の中にいるヴィクリアへ微かにうなずけば、彼女はおそるおそる、こちら側へと近づいてきた。


「無事ですか、ルイさんたち」

「うん、傷も負っていないよ。それよりヴィクリア、危ないから店で待っていてほしかったのだけれど」

「……英雄さんたちのお仕事、見たかったんです。ごめんなさい」


 上目遣いで言われ、オルニーイはそれ以上強く言えなかった。ただ、彼女が無事であるなら何よりだ。少しばかり、刺激の強い情景を見せてしまったように思うが。


「吐き気とかはしていないかな。その、見ただろう? 魔獣の死骸しがいを」

「平気です。森にいたときは、鳥をしめたりしてました」

「カッコよかっただろ、オレら」

「はい」

「調子に乗らないの。さ、服を見つくろうわよ。あなたも覚悟してちょうだい」


 リュシーロの頭を小突き、ティネは不敵に笑う。「覚悟して」と言われたヴィクリアは、何をどうすればいいのかわからないように、ただ首を傾げていた。


 ――それからは、本物の戦場だった。正確にいうと、女の戦場だった。


 オルニーイたちはシャツなどを買い替えただけで済んだが、ティネはヴィクリアをあちこち連れ回し、様々なブラウス、スカートなどを着せて回る。


 普段着だけではない、ドレスもだ。「仕立てるのには時間がかかるから」と既製品を見て、色とりどりのドレスを試着させた。普段使うシュミーズドレスを取っ払い、ペチコートやコルセット、ヒールを着用させては、ヴィクリアに変な悲鳴を上げさせる。


「た、助けて」

「まだまだ! こんな程度で音を上げるんじゃないわよっ」

「楽しそうだなー、ティネ」

「うん、そうだね」


 その間、オルニーイとリュシーロは荷物持ちと待機で、ただ苦笑を浮かべるだけだった。非常に愉快ゆかいそうなティネと、目を白黒させるヴィクリアを眺め、オルニーイは一人、胸を撫で下ろす。彼女に何もなくて、本当によかったと。


(彼女の笑顔を守れたなら、わたしが英雄である甲斐もある)


 自然すぎて気づかなかった。己がヴィクリアという個人だけの無事を、願ったことを。

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