4-4.君が、選んでくれたもの。

「海だーっ!」


 止めた馬車から降り、真っ先に歓声を上げたのはリュシーロだった。


 白と空色で統一された建物の数々。行き交う行商人や町人の群れ。水色と深い青をたたえるアムセンダ海は、微かに細波さざなみを立てている。


 潮風の匂いとウミネコの鳴く声を一身に浴び、地に足をつけたオルニーイもまた、ほつれた前髪を耳にかけて息を吸いこんだ。


「水が……たくさん」


 隣に立つヴィクリアは、唖然あぜんとしたような声を上げる。どこまでも続く水平線に、見とれるというよりも驚いているのかもしれない。


「天気よくて何よりだわ。ふふふ、商人たちもかなり来てるわね」

「ティネ、顔が魚を前にした猫みたいになってるぞ」

「当然よ! 装飾品、服、小物! 香水におしろい、何を買おうか今から悩むわっ」


 今日のティネの服装は、ドレスではなかった。買い物への意気込みを表しているのか、町民の普段着だ。ブラウスの上に朱色のケープ、クリーム色のスカートと黒いブーツ。オルニーイとしては、旅路で見慣れたいつもの装いである。


「まずはあたし、自分の買い物を済ませちゃうわね。そのあとであなたの服、見つくろってあげる」

「あ、はい。よろしくお願いします」

「そして荷物持ちはオレっと」

「ふ、よく理解してるじゃないの、リュシーロ。途中で休憩は挟んであげるから」

「ええと、それではわたしは……」

「その子に町を案内してあげなさいな。ちゃんとエスコートするのよ。治安はよくても、一人なら男たちに声をかけられちゃうかもしれないもの」

「う、うん、そうだね」


 ティネの軽口に、一瞬どきりとした。ヴィクリアが他の異性と一緒にいるところを想像すると、不思議なことにみぞおち辺りが重くなる。


「待ち合わせは……そうね、正午、十二時の鐘が鳴る前に広場で。国王陛下の像があるでしょ? そこに集合よ」


 各々がうなずいた。「それじゃあ」とスカートをひるがえし、リュシーロを伴って、ティネはさっそく衆人の中を歩いていく。


 残されたオルニーイとヴィクリアの上空を、ウミネコが声を上げながら飛んでいった。


「それじゃあ、わたしたちも行こうか」

「はい、ルイさん」


 先程まで、到着するまでずっと彼女の手を握っていたため、なんとなく面映おもはゆい。歩き出すと、ヴィクリアは控えめに後ろをついてくる。オルニーイは振り返り、迷った末に再び手のひらを差し出した。


「はぐれたら大変だから」

「……はい」


 少しの間のあと、彼女は恥ずかしそうに指を置く。それをしっかり握り直し、微笑んだ。


「ヴィクリアは何が見たい? 大道芸人たちもいるだろうし、お茶をする場所もあるよ」

「んん……キツァンさんにおみやげ、買いたいです」

「それはいい考えだね。わたしも選ぼうかな。買わないと嫌みの一つもいわれそうだ」


 キツァンは今、どこかに行っているらしい。塔の中で『いろいろ忙しいので探さないで下さい』という置き手紙を見つけ、彼らしいと苦笑したものだ。


 二人で微笑み、横並びになりながら人混みの中を進む。


 扇状に広がるディーダーの町は、路地裏などが複雑でかなり迷う。オルニーイは慣れており、気にせず先に進めるものの、ヴィクリアに合わせて歩調を遅らせておいた。


「猫」


 彼女のつぶやきに横を見れば、樽の上に寝そべる猫がいた。しかし、ヴィクリアと視線を合わせた瞬間、黒猫は悲鳴のような鳴き声を上げ、路地へと逃げ去ってしまう。


 動物が近寄らないのは呪いのせいだと聞いていたが、ここまで露骨だとは思わなかった。


「いつか、猫とか犬を触ってみたいです」

「うん、触れられるといいね。それもキツァンに期待して、みやげを奮発ふんぱつしようか」


 彼女の言葉にうなずき、小物の商店が並ぶ第三大通りを進むことに決める。魔道具の元となる鉱石を買おうと考えたのだ。


 人でごった返す道をしばらく進んでいけば、宝石店が左右に立ち並びはじめる。出入りするのは、商人や貴婦人たちが圧倒的に多い。スヴェノータ王国は原石の輸出も豊富で、この町ではそれを加工する職人たちも在籍している。


「きらきらしてて、きれい」

「君は宝石が好きかな?」

「好き、だと思います。いろんな色とか、光り方とか、見てて飽きないから」


 店の窓から宝石を見たであろうヴィクリアが、目をまたたかせ、頬を紅潮させていた。


 こないだから一変し、様々な表情を浮かべる彼女を見て、オルニーイは安堵する。無表情よりもずっといい。彼女の笑顔が、とても尊いものに思える。


「あの店にしようか」


 一軒の店を指差した。他の店と違い、少しこぢんまりとした古びた店舗だ。白い壁は色褪いろあせており、年期を感じさせる。ヴィクリアが首肯するのを確認してから、二人で中へ入った。


 ほとんど人の出入りがなく、薄暗い店内では、上から吊り下げられたランタンが様々な鉱石を輝かせている。黄水晶や月長石、黒水晶だけではない。貴石と呼ばれ宝飾品に使われるエメラルドやサファイア、ルビーまでもが勢揃いしていた。


(おや、これは)


 一度ヴィクリアから手を離し、オルニーイが注視したのは楕円だえん型のブローチだった。どうやら茶色のリボンつきらしい。しかもサファイアと思しき宝石部分には、己が栽培している月命花げつめいかの刻印がなされている。


「それは月命花げつめいか、ですね」

「そうみたいだね。ヴィクリアは青い色は好みかな?」

「好きです。でも、どうしてですか」

「これを贈らせてもらおうかなと」


 「えっ」と小声を上げたヴィクリアが目を丸くし、慌てたように首を横に振る。


「値段、書いてないです。ということは高いものです、これ。受け取れないです」

「金額は気にしないでほしいな。思い出にどうかなと考えてね」

「でも」

「その代わりにというわけではないが、ヴィクリアからも贈り物をしてくれたら嬉しい」

「贈り物、ですか。ルイさんに似合うようなもの……」


 一転して難しい顔となるヴィクリアは、あちこちに視線をさ迷わせていた。困らせてしまったことをオルニーイは申し訳なく思うも、贈り物ができる喜びの方がまさる。


 うろちょろとしていた彼女の視線が、とあるガラスケースで止まった。そちらへ向かうヴィクリアのあとを、オルニーイもブローチを持ってついていく。


「これ……とか。どうですか」


 ヴィクリアが指し示したのは、シルクのリボンだ。群青の艶めきが目に鮮やかだった。


「うん、いいね。似たような白いリボンしか持っていなかったから、ありがたい」

「でも値段、釣り合いません」

「こういうものは金額ではなく、思いをこめたかどうかだよ。まあ、今回は君に無理強いをしてしまっているけれど」

「私もルイさんに、いつもお世話になっているお礼、したかったです。これでいいなら」

「もちろん。君が選んだくれたものだし」


 二人で顔を見合わせ、笑う。


 それから奥にいた店主に言って、それぞれを購入した。若干安く売ってくれたため、浮いた金で、キツァンへ鉱石も多めに買うことができたのは嬉しい誤算だ。


 感謝の言葉を残し、店から出る。路地裏が比較的きれいだったため、そこで互いの贈り物を交換し合った。


「今、もらったブローチ、つけてもいいですか?」

「構わないよ。わたしもリボンを取り替えることにするかな。あ、貸してごらん」


 針がヴィクリアの指を傷つけないか心配で、彼女からブローチを手渡してもらう。


 胸付近に触れるのはさすがに抵抗があった。えり近くの鎖骨部分へ、肌を刺さないようにゆっくりと、服を通して着用させてみる。


「……これでよし、と。できたよ」

「ありがとうございます、ルイさん」


 ヴィクリアがそっと、サファイアへと指を伸ばす。青色に映える肌の白さは、とても美しいもののようにオルニーイには見えた。


 彼女はその後も、店の窓ガラス越しにブローチを眺めている。とても嬉しそうな笑顔で。


 ヴィクリアの笑みに、オルニーイの顔は緩みっぱなしだ。引き締めようとしてもすぐに口角が上がるのを自覚する。気を取り直し、髪のリボンをほどいて、贈られたシルクのリボンへと結び直した。


「お揃い、です」

「うん?」


 いつの間にか彼女がこちらを見上げている。少し、照れ臭そうにしながら。


「ルイさんのリボンと、私のブローチ。色、同じです」

「い、いやではないかな?」

「いやじゃないです。私、大切にしますね、これ」

「わたしも大事にするよ。ありがとう、ヴィクリア」


 首肯しておもてを下げたヴィクリアが、一瞬笑顔にかげりを帯びさせた。


「どうかしたのかい」

「いいえ。……もし、あのまま森で一人で暮らしていたら、こんな嬉しいことは知らなかったと思います」

「うん」

「呪いのこともまだあるし、魔術だってまだ、ほとんどできてないけど。でも、ルイさんが……みなさんがいるから、こんなに幸せなんだろうなって、感じました」


 かげりが消える。心から安堵し、幸せだというように浮かべた彼女の笑顔は、とても――


(きれいだ)


 脳内で思った瞬間、また心臓が脈打つ。全身が、熱かった。


 微熱は潮風に当たってもなお強く、体中の血流は意識できるほどに流れが速い。


「ヴィクリア」

「はい、なんですか」

「君はとても」


 熱に浮かされるよう、口を開いた刹那だ。


 ――広場の方から、人々の悲鳴と何かの破砕音はさいおんが聞こえたのは。

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