4-2.わからなくて、いいです。

 卵白とアーモンドで作られた白いマカロン。砂糖漬けにされた一口大フルーツの盛り合わせ。クリームを入れて焼いたタルト。


 円卓に準備された菓子はかなり豪勢なもので、まるで宮廷の茶会さながらだ。


「ふぅん。あなた、ずっと森で暮らしてたってわけ?」


 蜂蜜やらをふんだんに入れたショコラトルを飲み、ティネが問う。聞かれたヴィクリアは、どうやらショコラトルの濃さや味に驚いているようで、目をまたたかせつつ無言でうなずいた。


「じゃあ、こんな甘いもの食べたことないんじゃない? そりゃ、ビスケットやウーブリなんかは自宅でも焼けてたでしょうけど」

「はい。ここにあるもの、はじめて食べます。甘くておいしいです」

「わかるなー。オレも最初に食ったときはびっくりしたし」


 タルトを口に運び、したり顔で首肯するのはリュシーロだ。


 三人の様子を見つつ、オルニーイは黙ってマカロンを頬張り、茶を味わう。


 いや、味わえていない。全く、これっぽっちも、味がわからない。茶葉は普段のものより高級だ。マカロンも腕によりをかけて作られたものだろう。しかし、庭で聞いたヴィクリアのささやきが気になって、堪能たんのうするよりも落ち着きのなさがまさってしまう。


(汚れる……なぜ? ヴィクリアが触れたら、一体何を汚すというのだろう)


「たんとお食べなさい。甘いものは人生を豊かにするわ。ユラン討伐に行ったときはこんなの滅多に食べられなかったから、その反動が今になって来てしまったものよ」

「おかげでオレの婚約者様は、現在、全体的にむちっとしております」

「殺されたいようね、リュシーロ」

「なんで!? 褒めたじゃん」

「どこがなのよっ。そのどこが、何が褒め言葉なのか、十文字以内で説明なさい!」

「オレ好み」

「嬉しさはともかく許せない」


 いつものように軽口を叩き合う二人、その隣で首を傾げるヴィクリアを盗み見た。


「むちっとしてないです。ティネさん、すらっとしてます」

「ふ、やはり同性にはわかるのね。リュシーロの分のお菓子も食べなさい」

「ひでぇーっ」


 少し彼女は、ティネたちに馴染んだようだ。小声だが受け答えはしっかりしている。


(わたしにだけ……違う)


 ヴィクリアは目線を己へ合わせようとしない。その事実がなぜか、うらさびしい。


「ところであなた、マナの方は順調なの?」

「ちょっとだけですけど。風を起こすところまではできました」

「キツァン、意外とちゃんと指導してるんだなぁ。でも、護身ってなんのため?」

「キツァンさんが言うには、自分を護る手立てがあることに越したことはないって」

「でもさ、それならときたま来るオレじゃなくて、ルイの方がいいじゃん」

「そうよね。あたしたちだって毎回来られるわけじゃないし……ねえ? ルイ」


 突如訪れた沈黙の中、己のカップを置いた音が大きく響いた。


「ちょっと、聞いてるの?」

「あ……ああ、うん。なんだろうか」


 ティネが眉をひそめる。リュシーロは疑問を瞳に浮かべている。ヴィクリアは――口も利かず、小さな唇に砂糖漬けの果実を遠慮がちに押しこんでいた。


「なんか変ね、アンタ」

「いや、そんなことはない、と思うけれど」

「しっかりしてくれよー、英雄さん。そんな調子じゃ何かあったとき、困るんだからさ」

「無論だよ。自分の立場や役割は理解している」


 虚しさを閉じこめて、オルニーイはいつもの笑みを浮かべる。見るものに安心さを覚えさせる、明るい笑顔を。


「……だからです」


 直後、ぽつりとヴィクリアが声を上げる。


「だからって何がかしら」


 ティネの追求に、砂糖菓子を飲みこんだヴィクリアはオルニーイを見た。


 黄色の双眸にあるのは、諦観ていかんにも似た別のものだ。


「英雄さんは、みなさんを導いて守る存在だって聞きました。そんな立派な人を独り占めなんて、できないです」

「ヴィクリア、そういうことは気にしなくていいと言ったはずだけれど」

「……ルイさんになら、頼んでいたと思います」


 ヴィクリアを除く三人で、目を合わせる。ティネたちは首を傾げていた。


「ちょっと意味がわからないわ。どういうことなの、それ?」

「わからなくて、いいです。勝手に思ってることです」


 まるで拗ねたように視線を逸らす彼女へ、オルニーイもまた、困惑する。


 『ルイになら頼んでいた』とは、一体どういう意味なのだろう。まさか同じ名前の知り合いがいるのか、と奇妙なことを考えてしまった。


 沈黙が降りたことに気づいてか、ティネが数回、机の端を指で叩く。


「何はともかく、あたしのリュシーロに頼り切るのはやめてちょうだいね」

「はい。短刀を選んでくれただけで十分です」

「だなぁ、オレも尽きっきりにはなれないし。ルイがいやなら、他の兵士とかに教えてもらえればいいんじゃねーかな。誰か紹介してやれば? ルイ」

「そう、だね」


 笑顔を浮かべ、それでも一瞬返答に詰まった。完全にヴィクリアから嫌われてしまったのだろうか、と考えると、胸に穴が空いた気持ちになる。


 視線を感じて横を見れば、ティネがショコラトルを飲みながら、こちらを怪しむような目線を配っているのに気づいた。思わず笑みが、引きつる。苦笑に変えると、彼女は大げさに肩をすくめてみせた。


「あたし、もう一つ気になってたことがあるのよ」


 それからティネは、何かを思い出したというようにカップを専用の皿へと置く。


「あなたって、ずっと同じ服着てるの? こないだ会ったときと同じベストにスカート。靴だってそうよ」


 指を差されたヴィクリアは、控えめに首を横に振る。


「同じものを持ってます。三着くらい。それをみなさんに、洗濯してもらって」

「まあ、庶民だもんな。そんくらいが当たり前だよなあ」

「なんとも思わないの?」

「何がですか」

「あたしの格好を見て! 素敵だな、とか、きれいだな、とか思わないの?」

「んん……ティネさんは、とてもきれいだと思います。服もきらきらしてて素敵です。でも、私が同じものを着ても、動きづらそうだし似合わない気がします」

「ぐぬぬぬっ、正論をっ」

「ティネ、旅路のときの口調やらに戻っているよ」

「お黙りなさい、ルイ! アンタもキツァンも女性に関して無頓着むとんちゃくすぎなのよっ」

「えっ」


 指摘され、オルニーイは硬直した。


 確かに、言われてみればそうなのかもしれない。勝手に体へ触れた。涙をぬぐった。女性と思って優しくしていたわけではないが、多少やり過ぎなのではないかと感じた節もある。


「女の子が同じ服を着回し、ばかりなんてかわいそうでしょっ。魔女ならローブを……いいえ、せめてブラウスの一着でも買ってあげなさいよ!」

「あ、そっち?」

「どっちを想像したのよ」

「い、いや」


 内心、思わず胸を撫で下ろした。だが、ティネの言い分にも一理ある。今まで意識したことがないだけで。


 それに来月、森麗月しんれいづきはヴィクリアの誕生月だ。いつも頑張っている彼女をねぎらいたい、という思いはあった。気遣いを受け入れてくれるかは別としても。


「あなた、これから稽古なのよね?」

「はい。稽古の時間です」

「なら明日の朝から夕方まで、あたしに付き合いなさい」

「どうしてですか」

「買い物に行くわよ」

「お買い物?」

「そう。港町ディーダー。ここの近くにあるの。王都とか商業都市に比べると小さいけれど、貿易でいろんなものが運ばれてくるわ。あなたに似合う服、見つくろってあげる」

「いろんなもの……でも、服はいいです」

「だぁめ。あなた、自分の良さがわかってないわ。磨けば光る原石なのに、今は台無しなのよ。宝石はきれいにしたくなるのよね、あたし」

「私、石じゃないです」

「例えよ、例え。お金のことなら心配しないでちょうだい。ねえ、英雄様?」

「あ、ああ」


 いきなり名指しされ、声がうわずってしまった。


 うつむき加減のヴィクリアと目が合う。眉を下げ、わずかな笑みで聞いてみる。


「ヴィクリア。誕生祝いには早いかもしれないけれど……わたしからの贈り物として、ティネが見つくろった服をあげたいんだ」

「……でも、私」

「迷惑だと感じたら、断ってくれていい。だが、わたしも君を労いたいし、その……」

「あなたのドレス姿を見てみたい、と」

露骨ろこつに言うね!? あ、いやその、見たいけど……はっ」


 ティネの誘導によって本音を出してしまい、オルニーイは慌てふためく。


 ヴィクリアは未だ悩んでいるようで、完全に顔を下に向けようとしていた。


「ドレスは似合ったものがあるなら、でいいじゃん? 服は、ほら、持ってて困らない!」

「リュシーロ、さん」

「無理に買いに行こう、って思わなくてもさ。海見て、氷菓食べてさ。そのついでに気に入ったもんをティネに見てもらえばいいよ。オレの婚約者様、見る目あるから」

「あら、リュシーロ? 褒めてもさっきの言葉は忘れてなくてよ」

「本当に申し訳ございませんッ!」


 勢いよく頭を下げるリュシーロに、不敵な笑みをティネが作った。


 二人のかけ合いに、思わずというように、ヴィクリアは苦笑のようなものを浮かべる。


「わかりました。ティネさん、お願いします」

「任せてちょうだい。と、いうわけで今日はここに泊まるわよ、ルイ」

「お邪魔しまーす」

「……うん。マクシムに言って、準備を整えてもらおうか」


 オルニーイは、胸のうずきを堪えるように微笑む。


 ヴィクリアの表情が、己ではなく二人によって変わったという事実。笑顔ではないものの、浮かんだ彼女の顔つきはどこか穏やかで、それがどこか、うら悲しい。


 どうして、なぜ――いくつもの疑問が浮かぶ。答えのない疑問が。

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