3-3.おもてに出して、いいんだよ。
「どういうことだい、ヴィクリア」
オルニーイの声は柔らかく、優しい。責める様子などこれっぽっちもない声音に、ヴィクリアは泣きそうになるのをこらえ、両手を組んだ。震えを隠すように。
「シーテさんが亡くなる前日に、ククゥリの葉とミカゲの実を混ぜた
それでも手が震える。体の奥底が冷たい。呼吸は浅く、息苦しい。
「育ててもらったのに。拾ってくれたのに……その恩を仇で返しました。薬草学だってきちんと教えてもらいました。でもそれで、シーテさんを、こ、殺しちゃったなんて」
知らずのうちに肩が揺れた。かぶりを振り、ただうつむくことしかできない。
「私はシーテさんの弟子として、ううん、人として最低なんです」
自分が犯した罪。どれだけ
なのに、笑ってしまった。きれいなものを見て、喜びを覚える自分がいた。そんな資格はどこにもないというのに。
「楽しがったり、嬉しがるなんて、こんな私がしちゃだめなんです」
「ヴィクリア」
横にいるオルニーイが肩に手を載せてきた。温かい手のひらだ。慈愛に満ちた呼びかけと温もりに、ヴィクリアの心が締めつけられる。
「あなたのせいではないですよ」
「そんなことっ」
キツァンの冷静な口調に顔を上げた。今にも涙が出そうだ。潤んだ視界の中、彼は左右に首を振り、それから人差し指を一本立てる。
「ククゥリの葉に、毒はありません。最新の研究で無害だとわかってます。ですので、あなたが
「……嘘」
「僕が嘘つく理由ってあります? それに師匠ぐらいになれば、茶の濃さですぐにわかるでしょうし。ま、苦さはあるでしょうけど」
「嘘、です……だって、シーテさん、倒れて……」
キツァンが述べることが信じられず、ヴィクリアはただ、呆然とするほかない。
ずっと自分のせいだと思っていた。教えられたこともまともにできない、愚かな
手の先が冷たい。未だ彼の言うことを、認めることができそうになかった。
「大丈夫です。少なくとも、あなたは師匠を故意に殺したわけではないですよ」
「あ……」
珍しく穏やかな口調で告げられ、はくはくと唇が開く。
「わ、たし。私」
「……辛かっただろう」
肩を叩かれてつい、オルニーイの方を見た。彼はまるで、自分のことのように胸を痛めた表情を浮かべ、真摯な眼差しを向けてきている。
「一人、罪の意識に責められて。誰にも何も言えずに、君は耐えてきたんだね」
「ルイ……さん」
「キツァンはこういうところで、嘘をつく男ではない。だからヴィクリア、もう自分を
「……ッ」
優しく、温かく――穏やかな言葉をかけられて、ヴィクリアは頬に熱い
泣いている。シーテの死以来、いつの間にかなくしていた、封じこめていた感情。安堵以上に強い、説明できない思いが胸の中でいっぱいになり、弾けた。
「シーテ、さん。シーテさん……シーテさんっ……」
しゃくりあげつつ、養母の名を何度もささやく。粒となった涙は頬を濡らし、自分がこぼす
シーテは厳しいが明るく、豪快な人だった。自らのことはほとんど語らなかったが、それでも彼女と過ごした日々は、日だまりのような柔らかさでヴィクリアの記憶に焼きついている。
ローダ城で過ごす日々に、思い出を重ねなかったといえば嘘だ。気遣いに温かな食事。みんなと交わす会話のありがたさ。それは全部、昔シーテが教えてくれたものだった。
「わた、し……よかった、よか、った、です」
顔を上げて、あらためてオルニーイの視線をしっかりと受け止める。彼は朗らかに笑み、頬を流れる涙を指でぬぐってくれた。
ヴィクリアも、微笑む。晴れやかな気持ちのまま。うまく笑えているかはわからないが、オルニーイは力強くうなずいてくれる。
「あのー、二人の世界にひたっているところ、いいですかね」
「あ」
「はっ」
キツァンの咳払いに、ヴィクリアは我に返った。どうやらオルニーイも同じだったようだ。彼は急いで手を離し、慌てふためいたように腕をさ迷わせている。
「いや。これはその、誤解だからね、二人とも」
「何が誤解ですか?」
「そ、それは」
「はいはい、こっち注目。別に誤解だろうがなんだろうがいいですよ、ったく」
一転し、呆れたような表情となるキツァンが、二回手のひらを叩いた。
ヴィクリアは溢れた涙を手の甲でぬぐい、鼻を少しすすったのち、彼の方を注視する。
「ちょっとばかり辛いかもしれませんけどね、ヴィクリア。師匠が亡くなったときのことを詳しく教えてくれませんか」
「……はい」
キツァンはどうやら何かを考えているようだ。そのことに気づき、ヴィクリアはおそるおそる首肯する。
「シーテさんは少し長く、風邪を引いてて。私の
「ふむ」
「駆け寄ったんですけど、もう……そのときには。どこか苦しそうな顔の、ままで」
「苦しそう?」
「はい。唇を噛んで、眉をひそめた表情でした……」
思い出し、辛くなる。苦しくなる。
シーテは初老なれど、心身共に
だからずっと、自分のせいだと感じていた。ククゥリの葉が原因だと考えて。
「周囲には何も?
「それは……なかった、です」
「では、なおさらあなたは無実ですねえ。大半の薬草は
「じゃ、じゃあ」
「シーテどのは、別の要因で亡くなったのか」
「おそらく」
オルニーイの沈痛な言葉に、キツァンは
「まだありますね、きっと何かが。お墓って作りました?」
「裏庭に……簡単なものですけど」
「キツァン、一体何があると? これ以上過去を蒸し返すのは」
「気になりましてね。あの豪胆な婆さんが、呆気なく亡くなるなんて。もしかすれば」
苦い顔つきのキツァンが、口ごもる。あ、と惚けた声音が、ヴィクリアの口から漏れた。
「魔獣……」
「そうかもしれません」
「わ、私」
「はい、そこ。可能性を
「で、でも」
「落ち着いて、ヴィクリア。魔獣のせいだとしても、君がシーテどのを害したことにはならないよ」
「ルイさん」
また震えそうになる心を、オルニーイの言葉が救ってくれる。確かに、キツァンの物言いは厳しいが正論だ。
「こりゃ、シェルビの森近くに魔獣がいるかもですね」
「どうする? わたしが出ようか」
「いえ。魔獣は気配を消すのがうまいですから、そう簡単に姿を現さないでしょう。それに、ルイ。あなたが出るとなると、それなりの動機も考えなけりゃいけませんしね」
頭を掻いたのち、キツァンは人差し指の先をヴィクリアへ向けた。
「ちょっとあなたの自宅、家捜ししますがいいでしょうか? 何か残ってる、あるいは師匠が何かを隠しているかもしれません」
「はい、構いません。でも、キツァンさん一人で行くんですか」
「一番自由なのって僕ですから。今は学校も休ませてもらってますし。ま、あなたは気にせず今までと同じく、オドを読み取る訓練に励んで下さい」
「わかり、ました」
「その間わたしは、ヴィクリアを見守ることにするよ。万が一魔獣が現れても平気なようにね」
「ありがとうございます、ルイさん」
オルニーイの優しい笑みに、ヴィクリアはそれでも少し、申し訳なく感じる。謝辞を述べても、心の奥底ではまだ、迷惑をかけている事実が重圧というしこりになっていた。
「相手はケルベロスです。ルイ、油断しないようにお願いします」
「任せなさい。可憐な花の一輪守れずして何が英雄か、だよ」
「そういうところが心配なんですけどねぇ……ヴィクリアも何か体調に異変があれば、即座に言うこと」
「はい」
小さい返答は、突然の雷の音でかき消える。いつの間にか雨脚が強まっていたようだ。塔を叩く雨粒も大きいらしく音を立て、冷えたすき間風がタペストリーを揺らしていた。
「嵐でも来たんでしょうかね。ま、いいです。今日は解散。僕は引き続き調査を進めますから」
「わかったよ、キツァン。それじゃあヴィクリア、地下の方から主館に戻ろう」
ランタンを持ったオルニーイへ、ヴィクリアはただ、うなずく。椅子に腰かけたキツァンへ一礼し、本の山をくぐり抜けていくオルニーイのあとを追った。
「外はかなり強い雨のようだね。この様子だと、今日は庭での稽古ができないな」
「それは、困ります」
「うん、言うと思った。こんなときのために、わたしのとっておきの場所を教えよう」
「とっておき、ですか?」
続きを告げず、いたずらっ子のように微笑むオルニーイへ、ヴィクリアは目をまたたかせた。
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