3-3.おもてに出して、いいんだよ。

 遠雷えんらいが聞こえる。重圧的な音が、塔の中にも響いている。

 

「どういうことだい、ヴィクリア」

 

 オルニーイの声は柔らかく、優しい。責める様子などこれっぽっちもない声音に、ヴィクリアは泣きそうになるのをこらえ、両手を組んだ。震えを隠すように。


「シーテさんが亡くなる前日に、ククゥリの葉とミカゲの実を混ぜた滋養茶じようちゃを、私が作ったんです。それを飲んだ次の日……朝、シーテさんは倒れてて。ククゥリの葉には毒素があるって聞いたこともあります。私、きっと配分を間違えたんです」


 それでも手が震える。体の奥底が冷たい。呼吸は浅く、息苦しい。


「育ててもらったのに。拾ってくれたのに……その恩を仇で返しました。薬草学だってきちんと教えてもらいました。でもそれで、シーテさんを、こ、殺しちゃったなんて」


 知らずのうちに肩が揺れた。かぶりを振り、ただうつむくことしかできない。


「私はシーテさんの弟子として、ううん、人として最低なんです」


 自分が犯した罪。どれだけつぐなおうとも命は返ってこない。


 なのに、笑ってしまった。きれいなものを見て、喜びを覚える自分がいた。そんな資格はどこにもないというのに。


「楽しがったり、嬉しがるなんて、こんな私がしちゃだめなんです」

「ヴィクリア」

 

 横にいるオルニーイが肩に手を載せてきた。温かい手のひらだ。慈愛に満ちた呼びかけと温もりに、ヴィクリアの心が締めつけられる。


「あなたのせいではないですよ」

「そんなことっ」


 キツァンの冷静な口調に顔を上げた。今にも涙が出そうだ。潤んだ視界の中、彼は左右に首を振り、それから人差し指を一本立てる。


「ククゥリの葉に、毒はありません。最新の研究で無害だとわかってます。ですので、あなたが滋養茶じようちゃを師匠に飲ませたとしても、殺すことは不可能ですよ」

「……嘘」

「僕が嘘つく理由ってあります? それに師匠ぐらいになれば、茶の濃さですぐにわかるでしょうし。ま、苦さはあるでしょうけど」

「嘘、です……だって、シーテさん、倒れて……」


 キツァンが述べることが信じられず、ヴィクリアはただ、呆然とするほかない。


 ずっと自分のせいだと思っていた。教えられたこともまともにできない、愚かな調合士ちょうごうしだと。だからこそ、誰かが口にするハーブティーなどを作ることなく、軟膏なんこうを配合して生活の足しにしていたのだ。


 手の先が冷たい。未だ彼の言うことを、認めることができそうになかった。


「大丈夫です。少なくとも、あなたは師匠を故意に殺したわけではないですよ」

「あ……」


 珍しく穏やかな口調で告げられ、はくはくと唇が開く。


「わ、たし。私」

「……辛かっただろう」


 肩を叩かれてつい、オルニーイの方を見た。彼はまるで、自分のことのように胸を痛めた表情を浮かべ、真摯な眼差しを向けてきている。


「一人、罪の意識に責められて。誰にも何も言えずに、君は耐えてきたんだね」

「ルイ……さん」

「キツァンはこういうところで、嘘をつく男ではない。だからヴィクリア、もう自分をさいなむのはやめよう。喜びも楽しさも、素直におもてに出していいんだよ」

「……ッ」


 優しく、温かく――穏やかな言葉をかけられて、ヴィクリアは頬に熱いしずくが伝うのを自覚する。


 泣いている。シーテの死以来、いつの間にかなくしていた、封じこめていた感情。安堵以上に強い、説明できない思いが胸の中でいっぱいになり、弾けた。


「シーテ、さん。シーテさん……シーテさんっ……」


 しゃくりあげつつ、養母の名を何度もささやく。粒となった涙は頬を濡らし、自分がこぼす嗚咽おえつばかりが周囲に響いた。


 シーテは厳しいが明るく、豪快な人だった。自らのことはほとんど語らなかったが、それでも彼女と過ごした日々は、日だまりのような柔らかさでヴィクリアの記憶に焼きついている。


 ローダ城で過ごす日々に、思い出を重ねなかったといえば嘘だ。気遣いに温かな食事。みんなと交わす会話のありがたさ。それは全部、昔シーテが教えてくれたものだった。


「わた、し……よかった、よか、った、です」


 顔を上げて、あらためてオルニーイの視線をしっかりと受け止める。彼は朗らかに笑み、頬を流れる涙を指でぬぐってくれた。


 ヴィクリアも、微笑む。晴れやかな気持ちのまま。うまく笑えているかはわからないが、オルニーイは力強くうなずいてくれる。


「あのー、二人の世界にひたっているところ、いいですかね」

「あ」

「はっ」


 キツァンの咳払いに、ヴィクリアは我に返った。どうやらオルニーイも同じだったようだ。彼は急いで手を離し、慌てふためいたように腕をさ迷わせている。


「いや。これはその、誤解だからね、二人とも」

「何が誤解ですか?」

「そ、それは」

「はいはい、こっち注目。別に誤解だろうがなんだろうがいいですよ、ったく」


 一転し、呆れたような表情となるキツァンが、二回手のひらを叩いた。


 ヴィクリアは溢れた涙を手の甲でぬぐい、鼻を少しすすったのち、彼の方を注視する。


「ちょっとばかり辛いかもしれませんけどね、ヴィクリア。師匠が亡くなったときのことを詳しく教えてくれませんか」

「……はい」


 キツァンはどうやら何かを考えているようだ。そのことに気づき、ヴィクリアはおそるおそる首肯する。


「シーテさんは少し長く、風邪を引いてて。私の滋養茶じようちゃを飲んで前日……寝ました。私が起きたとき、居間に倒れているのを見つけて」

「ふむ」

「駆け寄ったんですけど、もう……そのときには。どこか苦しそうな顔の、ままで」

「苦しそう?」

「はい。唇を噛んで、眉をひそめた表情でした……」


 思い出し、辛くなる。苦しくなる。


 シーテは初老なれど、心身共にすこやかな人だった。風邪を引くのも珍しいのだが、あの日は文句を言いつつヴィクリアが作った滋養茶じようちゃを飲み、眠りについたはずだ。


 だからずっと、自分のせいだと感じていた。ククゥリの葉が原因だと考えて。


「周囲には何も? 嘔吐おうとのあとや、暴れたあとは」

「それは……なかった、です」

「では、なおさらあなたは無実ですねえ。大半の薬草は嘔吐おうとの症状が先に出ます。その痕跡こんせきがないというのは、おかしいの一言に尽きる」

「じゃ、じゃあ」

「シーテどのは、別の要因で亡くなったのか」

「おそらく」


 オルニーイの沈痛な言葉に、キツァンはあごに指を添えて首を傾げた。


「まだありますね、きっと何かが。お墓って作りました?」

「裏庭に……簡単なものですけど」

「キツァン、一体何があると? これ以上過去を蒸し返すのは」

「気になりましてね。あの豪胆な婆さんが、呆気なく亡くなるなんて。もしかすれば」


 苦い顔つきのキツァンが、口ごもる。あ、と惚けた声音が、ヴィクリアの口から漏れた。


「魔獣……」

「そうかもしれません」

「わ、私」

「はい、そこ。可能性を示唆しさしているだけです。すぐに自分のせいだと思いこまない」

「で、でも」

「落ち着いて、ヴィクリア。魔獣のせいだとしても、君がシーテどのを害したことにはならないよ」

「ルイさん」


 また震えそうになる心を、オルニーイの言葉が救ってくれる。確かに、キツァンの物言いは厳しいが正論だ。


「こりゃ、シェルビの森近くに魔獣がいるかもですね」

「どうする? わたしが出ようか」

「いえ。魔獣は気配を消すのがうまいですから、そう簡単に姿を現さないでしょう。それに、ルイ。あなたが出るとなると、それなりの動機も考えなけりゃいけませんしね」


 頭を掻いたのち、キツァンは人差し指の先をヴィクリアへ向けた。


「ちょっとあなたの自宅、家捜ししますがいいでしょうか? 何か残ってる、あるいは師匠が何かを隠しているかもしれません」

「はい、構いません。でも、キツァンさん一人で行くんですか」

「一番自由なのって僕ですから。今は学校も休ませてもらってますし。ま、あなたは気にせず今までと同じく、オドを読み取る訓練に励んで下さい」

「わかり、ました」

「その間わたしは、ヴィクリアを見守ることにするよ。万が一魔獣が現れても平気なようにね」

「ありがとうございます、ルイさん」


 オルニーイの優しい笑みに、ヴィクリアはそれでも少し、申し訳なく感じる。謝辞を述べても、心の奥底ではまだ、迷惑をかけている事実が重圧というしこりになっていた。

 

「相手はケルベロスです。ルイ、油断しないようにお願いします」

「任せなさい。可憐な花の一輪守れずして何が英雄か、だよ」

「そういうところが心配なんですけどねぇ……ヴィクリアも何か体調に異変があれば、即座に言うこと」

「はい」


 小さい返答は、突然の雷の音でかき消える。いつの間にか雨脚が強まっていたようだ。塔を叩く雨粒も大きいらしく音を立て、冷えたすき間風がタペストリーを揺らしていた。


「嵐でも来たんでしょうかね。ま、いいです。今日は解散。僕は引き続き調査を進めますから」

「わかったよ、キツァン。それじゃあヴィクリア、地下の方から主館に戻ろう」


 ランタンを持ったオルニーイへ、ヴィクリアはただ、うなずく。椅子に腰かけたキツァンへ一礼し、本の山をくぐり抜けていくオルニーイのあとを追った。


「外はかなり強い雨のようだね。この様子だと、今日は庭での稽古ができないな」

「それは、困ります」

「うん、言うと思った。こんなときのために、わたしのとっておきの場所を教えよう」

「とっておき、ですか?」


 続きを告げず、いたずらっ子のように微笑むオルニーイへ、ヴィクリアは目をまたたかせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る