2-4.やなこと考えますね、あなた。

 ……礼拝堂にて簡易な祈りを二人で捧げたのち、キツァンのいる青い塔へおもむくことにした。


 途中で会ったマクシム曰く、ティネとリュシーロは客間で茶を楽しんでいるらしい。彼には、何かあれば些細ささいなことでも報告するよう頼んでいる。マクシムが何も言わなかったということは、キツァンがヴィクリアの件を上手くごまかしたのだろう。


「遅かったですね」


 塔内の二階。相変わらず魔道具や書物、巻物が山積みとなっている箇所にいたキツァンは、どこか不機嫌だ。いや、これは――


「何かあったのかい」


 機嫌が悪いというより、厄介な物事を目の前にしたときの顔だ、とオルニーイは思う。


「ま、そうですね。あ、ヴィクリア、そこら辺注意して下さい」

「はい」


 細身で小柄な彼女だが、それでも乱雑に積み上がった本の山に苦戦していた。


 ヴィクリアも難関をくぐり抜け、雪崩なだれを起こすことなく三人、集まる。


 キツァンの後ろには大きな机があり、中央には銀製の天秤が鎮座していた。天秤の皿部分が大きく傾き、机上についてしまっている。


「二人とも、この天秤を見て下さいよ」

「おや。ずいぶんと大きく傾いているね」

「本当……片方に乗っている銀の卵は、なんですか」

「様々な呪いの瘴気を封じこめた魔具です。これが釣り合えば、どの魔獣に呪いを受けているかがわかる代物しろものでして」


 キツァンがどいてくれたため、ヴィクリアと二人で天秤を観察することができた。


「うん? 皿にひびが入っているな」

「気づきましたか。目敏めざとさは変わらないですね」

「……私の爪と、髪の毛」


 大して重くないだろうに、彼女の爪と髪が乗っている皿にはひびが入り、机の上にくっついてしまっている。


「一般的に、比較的強いとされる魔獣の持つ力、瘴気と比べてみた結果ですよ……ですが、これを見てわかるとおり。ヴィクリア、あなたの呪いはもっと深く、巨大だ」

「あ……」

「……魔獣にはクラスがあったね。三等、二等、そして名持ちの一等」

「ええ。この卵は二等魔獣のものです。三等のときにひびが入り、二等の今、机に落ちました」


 近くの椅子に座り、キツァンが眉間を揉んだ。


 オルニーイは思わずヴィクリアを見る。彼女の白い顔が、青ざめていた。小さな唇は軽く開け閉めされ、金色の瞳は少し潤んでいる。


「単刀直入に。あなたの呪いは、名持ちの一等魔獣のものです」

「名、持ち」


 困惑したおもてで、ヴィクリアはつぶやいた。


「一等魔獣……グリフィン、ゴルゴーン、スキュラ……」


 オルニーイは、あごに指を当てながら眉をひそめる。今までに出会った、ユラン配下の魔獣の姿を思い出しつつ。


 一等魔獣はほとんど姿を現さない。悪竜を守護する立場にあるからだ。人や家畜を襲うのは二等までの名無しの魔獣で、それでも若い兵に死者が出るほどには脅威きょういだった。


「どの魔獣かわかるかい」

「そこまでは、まだ。あなたが言った三体のものは試しましたが、どれも均等にはならない。他の名のある魔獣ですよ、こりゃ」

「まさか……ユラン、そのものでは」


 思わず告げれば、ヴィクリアの肩が跳ね上がる。オルニーイがとりつくろう前に、キツァンが首を振り、否定した。


「それはありませんね。僕たちはユランと会ってるでしょ? あのとき隙を見て瘴気を卵に閉じこめたんですけど、それと比べると若干、軽かったですし」

「その卵、危険なものではないのかな」

「平気ですよ。瘴気はいわゆる、この髪の毛と爪みたいなもんです。まあ、一度で一身に浴びれば別でしょうが、こいつの封印はしっかりされてます」

「そう。だが……」


 もう一度、オルニーイはヴィクリアを見つめる。彼女はうつむいたまま体を震わせていた。紫の髪に隠れ、顔は見えない。


「ヴィクリア。あなたのオドが不安定で読みにくいのは、魔獣の呪いが、強く体内に潜んでいるからでしょう。魔獣が使う妖術ようじゅつと一般的なマナは違うもの。それでも呪いとオドが混ざってしまっているからこそ、あなたはマナを使えない」


 キツァンは厳しい声音で告げて、それからこちらへ背を向けた。箱の中にある何かをとり出しては投げ、つぶやきながらあれこれ探しているようだ。


「なので、まずは自分のオドの流れを読むことが大事だと思ってます。えーと、これ……うん、これですね」

「杖、かい?」


 彼が取り出したのは、木でできた杖だった。だが、キツァンのものと比べて大分短く、先にはダイヤ型の煙水晶が結びつけられている。


「ヴィクリア」

「……はい」


 キツァンの呼びかけに、彼女はゆっくり顔を上げた。スカートを強く、きつく握り締めながら。


「この水晶は、悪しきものから身を守る意味を持ちます。四角の意味は安定。杖自体があなたの結界となり、体の中の呪いとオドを分けるでしょう。持ってみて下さい」


 怖々とヴィクリアが両手を出す。キツァンは小さな手のひらに杖を載せた。杖はヴィクリアの片腕と同じ程度の長さだ。


「軽い……」

「僕の杖はオークですが、あなたの杖はサンザシで作られてます。ま、オドを読み取るのに向いた初心者用ってやつですね」

「これを持てば、私でもすぐにマナを使えますか」

「そんな単純な話じゃないですねぇ。マナが音楽だとしたら、楽器が杖。オドが音符。必要なのは五線紙ですが、それはあなた自身でどうにかしなくちゃいけません」

「今のはわたしにもわかりやすい」

「あなたは理屈じゃなくて感情で魔術使いますからね。教える意味もないでしょ」

「確かに」


 冷たく言われてしまった。苦笑し、オルニーイはこめかみを指で掻く。


 キツァンは二度、咳払いをした。


「これから僕は、あなたの呪いの種類を調べることに尽力じんりょくします。その間、あなたは徹底的にオドの流れを読むことを意識して下さい。火より風の方が出しやすいでしょうね」

「あの」

「なんです?」

「流れを読むのは、精神統一でいいんですか。杖の頭に集中して風を思い浮かべる……」

「そうですね、正しいです。自分を浮かせることができたら第一関門突破ですかね。稽古場は中庭でいいかと」


 うなずいたヴィクリアは杖を両手で握り、頭を下げる。


「キツァンさん、ありがとうございます」

「まだ大したことしてませんって。呪いのことも調べ切れてないですし」


 手を振る彼が、横目でオルニーイを見た。何かいいたいことがあるときの視線に、オルニーイは瞬時に反応する。


「ヴィクリア、今日は部屋に戻って休むといい。マクシムが茶の準備をしてくれているはずだしね。夕飯はみんなで取ろう。使用人に呼ばせるから」

「わかりました。ルイさんも、案内ありがとうございました」

「一人で、戻れるかい?」

「大丈夫です」


 彼女が多分、と小さく漏らしたのを聞き逃さなかった。


「迷ったら周りの使用人に聞くといいよ」

「……はい」


 笑って言うと、ヴィクリアは照れたのか、少し顔色を取り戻す。


「それじゃあ、失礼します。お部屋、戻ります」


 もう一度お辞儀をし、彼女は杖を抱きしめながら細い道を戻っていった。


 階段を降りていく音と扉が閉まる音を確認し、キツァンが疲れ切ったため息を漏らす。


「何考えてんでしょうかね、うちの師匠。あんな強い呪い、放置しておくって」

「その様子だと、シーテどのは、あの子に関する記述を残していなかったようだね」


 近くにあった椅子を片手で引き寄せ、オルニーイは腰かけた。


「シーテどのは、魔術学校の校長だったとか。ティネに聞いたことだけれど」

「ええ。周囲の人間に絶望してやめたはずなんですよ。策略、陰謀が渦巻いてまして。学校の上層部は、下手すりゃ宮中よかひどいかもしれません」

「わたしは呪いというものに疎いのだけれど、あの子を利用しようとしていた、とは?」

「やなこと考えますね、あなた」

「人の悪い部分も見てきたからね、これでも。最悪の想定はしておきたい」


 キツァンもまた、自分の椅子に座る。頭を掻きながら。


「僕が師匠で、もしヴィクリアを利用するなら。まず何も教えず、学校に入学させます。そこで魔獣に王都を襲わせる……と、ま、こんな程度はすぐに思いつくでしょ」

「ふむ……呪いとは魔獣の縄張りそのもの。そして同時に魔獣本体の、獲物。そこまではわたしも知っているけれど、オドが暴発する恐れはないのかな」

「オドと呪いを、二色の毛玉だと考えて下さい」


 彼は両手の人差し指を、それぞれ一本ずつ挙げる。


「その二つはヴィクリアの中で一つになっていますが、それぞれは本来独立しています。糸の先もまた、別。だからマナの練習をしても、オドでどうにかなることはないですね」

「それはよかった」

「心配してるんですか、ヴィクリアのこと。英雄様は考えることが多くて大変ですねえ」

「君には負けるかな」

「じゃあねぎらいなさい。今日の夕食はマスの料理と蒸留酒を希望します」

「わかった。厨房とシェフに頼んでみるよ」


 ここに来る前、十二時の鐘が鳴った、とオルニーイの記憶にはある。酒はともかく、魚は今からで間に合うか疑問だが、友の要望を叶えたい気持ちは強い。


「僕はもう少し、呪いについて調べますんで。夕食、頼みましたよ」

「ああ」


 背を向けたキツァンに苦笑を浮かべ、椅子から静かに立ち上がる。


 本の合間をかいくぐり、下に降りていく途中、剣の稽古をまだしていないことに気づいた。だがそれも一瞬のことだ。ヴィクリアが部屋まで迷っていないか気がかりで、窓の外を見た。


 主館は静かにたたずんでいる。何も知らないというように。

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