2-3.誓いなさい、聖女のあたしに。

 スヴェノータ王国のクイーシフル領は、なかなかに広大である。辺境ともあり、隣国との境界線近くのほぼ全土を統べていた。


 四つの城があり、オルニーイが住むローダ城もその中の一つだ。海と山の両方を持つ豊かな地形に作られている。晴れの日にはアムセンダ海を眺めることができるし、平原の方に視線をやると、古代、戦争に使われていたイルガルデ要塞も確認することが可能だった。


「ほら、後ろに山稜さんりょうがあるだろう? あれを五つほど越えたら王都だよ」

「王都」

「アムセンダ海の近くには港町もあってね。そこから魚は運ばれてくる」

「海に、町」


 オルニーイが指差しながらあちこちを案内するつど、ヴィクリアは目をまたたかせつつ首を振る。まるで獲物を追う猫だ、と内心笑ってしまった。神秘的な金色の瞳は、興味という感情に支配されている。


 彼女は小さい。小柄で、オルニーイとは頭一つ分以上の差があった。歩みもゆっくりだ。


 ヴィクリアに合わせ、歩調を遅らせながら、今向かっているのは中庭だった。他の場所はあらかた案内し終えている。


「君は、女神シェタルーシャの洗礼は受けているのかい?」

「いいえ。私の記憶の中に、教会へ行ったりしたことはないです」

「そう。じゃあ、これからのことが上手くいくように、礼拝堂でお祈りしようか」


 ヴィクリアがどこか、緊張感のある面持おももちでうなずいた。


 女神シェタルーシャは、この世を作ったとされる創世神そうせいしんだ。混沌の世で生まれた光の使徒。闇の使徒たる悪竜ユランを封じこめ、あらゆる生命を生み出したと伝わっている。


 ただ、国教ではあるが、オルニーイはそこまで詳しくはない。敬虔けいけんな信徒ではないが、それでも無下にするようなまねもしていなかった。


「教えられてなかったかな? 女神のことは」

「名前は知ってます。創世神そうせいしんだってことも。それ以上は、えっと、あまり」

「緊張しなくて大丈夫だよ。わたしも同じだからね。キツァンの方が詳しいし」

「そう……ですか。キツァンさんとは幼なじみなんですよね、ルイさん」

「ああ。五歳頃からの付き合いだよ。かなり長い間、親交を重ねてもらってる」

「お友達」

「親友だね」


 少し言い回しを変えて告げれば、彼女はどこか顔にかげりを帯びさせる。


 ヴィクリアに、友と呼べる存在はいないのだろう。呪いという忌避きひされる状態を体に秘め、森でひっそりと暮らしてきた彼女に、深い付き合いのある人間がいるようには思えない。


「大丈夫。全部終わったら、友達だってできるさ」

「はい」


 かすれた返答を聞き、階段を降りて井戸の近くまでやってきた、直後だ。


「ルイ!」


 オルニーイにとって聞きなじみのある声が、届く。


「リュシーロ。それに、ティネ」


 下から上がってきたのは、仲間たちの中でも特に仲が良かった二人だ。


「二週間ぶりだなー。元気にしてたか?」


 草原と見間違えるような黄緑の短髪を風になびかせ、青年――リュシーロは笑う。


「ねえ、誰? その子」


 怪しいものでも見るように赤い目をすがめたのは、ティネだった。彼女はリュシーロを伴い、赤銅色の髪の毛を掻き上げながら、オルニーイとヴィクリアを見比べている。


「キツァンの弟子、ヴィクリア。ヴィクリア、二人は仲間のリュシーロとティネだよ」

「弟子!?」

「なぁに、あの人嫌い賢者……弟子取ったの?」


 二人は驚いたように、目を飛び出させる勢いでヴィクリアを見た。


「ヴィクリアです、はじめまして」


 少し小声になりつつ、ヴィクリアは丁寧に頭を下げる。「はー」と、どこか情けない声を上げて、リュシーロが天を仰いだ。


「あのひねくれものが弟子を取るとはねー。こりゃあ魚か槍が降るぞ」

「ということは、あなた、魔女?」

「えっと……」

「ヴィクリアは見習いだよ。まだオドを読み切れていないんだ。少しの間、わたしの城でキツァンと共に力の使い方を学ぶ予定でね」


 困ったように顔を上げるヴィクリアに微笑み、オルニーイは代わりに答えた。これは、嘘ではない。


「そっか。はじめまして、お嬢さん。オレはリュシーロ。剣士をやってる」

「リュシーロ、さん」

「……あたしはティネ。ねえ、ルイ。なんで王都の学校じゃだめなの?」


 鋭さにぎくり、とする。いや、リュシーロが、あまりにさっぱりし過ぎているだけだ。落ち着いて笑みを浮かべる。いつもの、明朗な笑みを。


「彼女の母君が認めなかったらしい。その母君というのが、キツァンの師匠でね」

「待ちなさい。それって……その子の母親ってまさか、大賢者シーテ?」

「へー。有名人なのか、その人」

「リュシーロは黙ってて。シーテって言ったら、この国で古代魔術を使うものなら知らない人はいないわよ?」


 えっ、とオルニーイは固まった。キツァンの師匠は、そんなに凄い人間なのかと。


「そ、そうなのかい。いや、キツァンからは『師に託された』としか」

「そうなのかい、で済まさないでよっ。魔術学校の校長をしていたけれど、突然消息不明になったって聞いてるわ」

「キ、キツァンは何も言わなかったなあ……」

「またアンタは『英雄のわたしに任せなさい』みたいなノリで請け負ったんでしょ! 大した詳細も聞かずに!」

「いや、まあ、間違ってはいないんだが」

「いいよな、ルイのいいとこ、そこだよなあ」

「このバカ脳筋ども……ッ! いいわ、あたしがちゃんと聞いてきてあげるからっ」

「それはとても困ります」


 溶岩のごとき怒声を制したのは、ヴィクリアだった。


「あら? 何が困るのかしら?」


 ティネが思いきり、平然とした顔のヴィクリアをにらみつける。


「お母さん……は、私にも昔のことは言いませんでした。いやなことがあったからかもしれません。それを蒸し返すのは、きっと、だめなことです」


 オルニーイは、見た。はっきりとした声音で口を開いた彼女の手が、わずかだが震えていることを。


 怒りで、ではない。ヴィクリアはきっと、緊張と怯えの間に立っている――そう気づいた瞬間、自然と二人の間に割って入っていた。


「ティネ。キツァンの師匠、シーテどのが凄いことはわかった。だが、今回のことはキツァンとシーテどのの間で決められたことだよ。そしてこの子も決め事に承知した。わたしは二人へ援助を申し出ただけ。そこに他意はないし、隠し事もない」

「……ふぅん」


 ティネが豊満な胸の前で腕を組む。顔はまだ不満そうな面持ちだったが――


「アンタがそう言うなら、いいわ、納得してあげる。これは英雄に対しての信頼からよ」

「ありがとう、助かるよ」


 ほっと胸を撫で下ろす。と、同時に心臓の奥が少し、つきんと痛んだ気がした。


 仲間たちとの信頼はかけがえのないものだ。それでも呪い持ちの娘をかくまっている、と正直に話せば、国軍に属するリュシーロも、王族と遠縁に当たるティネも、決して許しはしないだろう。


 それがわかっているからこそ、キツァンは二人に嘘をつくことを選んだ。己もまた、加担することになった。


 二人を説得しようと親友に申し出たこともある。ヴィクリアが来る前、部屋に結界術を張った日に。だが、彼が首を縦に振ることはなかった。確かにリュシーロはともかく、ティネが折れてくれるとは思えない。


 なぜなら――


「誓いなさい、聖女のあたしに。女神シェタルーシャの福音ふくいんを持つあたしに、仲間へ心配をかけないって。嘘はついていないって」

「……うん、そうだね。誓うよ」


 ティネは大陸でも珍しい、治癒術というものを使える聖女だからだ。


 女神シェタルーシャと悪竜ユラン、そして魔獣たちとの戦いがあったことは、伝承に残っている。シェタルーシャの力を使う聖女なら、決して敵対していた魔獣の『加護』を持つ人間に容赦はしない、というのがキツァンの見解だった。


「よろしい。聖女ティネ、確かに誓いを受けとったわ」

「心配、オレはしてないけどな。ティネは少し過敏すぎるんだって」

「アンタらが脳みそ、どこかに落っことしてきたからでしょうに」

「婚約者に対してひっどい言い方だなー!」


 けらけら笑うリュシーロの笑みにつられ、オルニーイも微苦笑を浮かべた。


 そう、リュシーロにも言えないのは、この二人が婚約しているからだ。聖女と英雄一団の剣士――もとい王族の遠縁、すなわち侯爵家令嬢と平民出の成り上がりの婚約が周囲に認められたのは、ひとえに彼らが、悪竜ユランを退治した一団であることに尽きる。


「ま、それは置いといて。リュシーロ、ちゃんとキツァンへ挨拶しに行くわよ」

「はーい」

「またね、ルイ。あとでお茶出して」

「じゃあな、二人とも」


 オルニーイはただ、首肯した。


 心苦しかった。大切な仲間に嘘をつくことが。苦いものを食べたかのような顔を隠し、満面の笑みで装飾する。


「……ごめんなさい」

「うん?」


 二人の姿が遙か遠くなったとき、ぽつりとヴィクリアがささやいた。視線を後ろにやれば、平坦な、それでもどこか重苦しい顔つきで、彼女がこちらを見つめている。


「私、ルイさんに、仲間のみなさんへ嘘をつかせてます」

「あ……」


 向き直り、オルニーイはこめかみを掻いた。


「いや、気にしないでいいよ。君のせいじゃないだろう、呪いは」

「それでも、ごめんなさい」


 風に消えるかのような声音の謝罪は、強張っている。


 嘘をつき通そうとは、己で決めたことだ。人のせいにするほど落ちぶれてはいない。


 だから笑う。いつものように、精悍せいかんで、明るい笑みを。


「大丈夫。さあ、礼拝堂に行って、それからキツァンのところに向かおうか」


 この笑みは本物か、貼りついた偽りのものなのか――そんな疑問がふと、浮かんだ。

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