2-2.そこって、どこ。

 ヴィクリアにあてがった部屋は、華美かびでも広くもない。オルニーイの部屋と同じ三階にあり、普段、客人の部屋として使用しているものだ。机、椅子、ベッド。そしてクローゼットと本棚くらいの簡易な一室だが、清掃はきちんとされていた。


 敷かれた黄色のカーペットの下には、昨日キツァンが結界術を施したため、多少大きめの黒水晶が隠されている。


「あんなに大きい部屋を、私が一人で使ってもいいんでしょうか」

「ある程度の広さがないと、大規模な結界って意味がないんですよ。気にせず使いなさい」

「そういうセリフはわたしが言うことなんじゃないかな、キツァン……」


 部屋に荷物を置いたヴィクリアとキツァンと共に、食堂へ向かうさなかの会話は軽い。それでも、呪いのことは口に出さないように気をつけた。


 塔を降りて主館に入れば、風景画を中心とした絵画が並ぶ歩廊ほろうに出る。天井を飾るシャンデリアも見てだろうか、わ、と小さく、ヴィクリアが感嘆の声を上げた。


「広い……凄い……きらきら、してます」

「清掃はみんな、しっかりやってくれるからね」

「それでもこのローダ城、あんまり調度品とか置いてないんですよ。王都の宮殿とか、他の貴族の豪邸とかと比べると武骨ですねえ」

「城の居住を蹴った君に言われたくないんだが」

「あなたはどのみち、クイーシフル領の城のどこかをもらう立場だったでしょ。庶民出の僕とはわけが違いますって」


 キツァンと軽口を叩き合いつつ、オルニーイはわからないよう、左後ろを歩くヴィクリアを見た。


 簡易なブラウスに茶色のベスト。焦げ茶のスカートと亜麻色あまいろのブーツ。地味な格好に、石膏せっこうのような白い肌は浮いて見えた。紫の髪には艶がないが、丁寧な三つ編みは清楚せいそさを感じさせる。黄色に近い金色の瞳は、館のあちこちにさ迷っていた。


「そういえば、ヴィクリアはどうやって暮らしていたんだい?」

「薬草を配合してました。お金はそれを、木こりさんに売ってきてもらって」


 視線が合った。心なしか、彼女の双眸そうぼうが輝いて見える。


「薬草学は師匠に叩きこまれてるでしょうから、今回は割愛しますよ」

「はい」

「薬草か。例えばハーブティーとか? それも売っていたのかな」

「……いいえ。軟膏なんこうばかりです」


 一瞬ヴィクリアの返答に間があった。顔を背けられる。


 何かまずいことでも聞いたか、とオルニーイは疑問に思うも、目的の食堂についてしまった。それ以上追求することなく、二人を背に、自ら扉を開けた。


「おはようございます、みなさま方。朝食の準備を整えました」

「ご苦労さま、マクシム」


 扉の向こうにいたのは、執事のマクシムだ。初老の彼は一礼し、微笑みで全員を出迎える。


「おはようございます、マクシムさん。すみませんね、朝食まで」

「キツァン様。どうぞお気になさらず」

「はじめまして、ヴィクリアです。これからお世話になります」


 律儀に頭を下げるヴィクリアを見て、マクシムの笑顔が少し深まった。


「ヴィクリア様。はじめまして、マクシムと申します。この部屋にいるもの……使用人やわたくしはみな、あなた様のことをオルニーイ様より聞かされております。ご安心を」


 顔を上げた彼女が、どこか不安げにこちらを見る。オルニーイは強くうなずいてみせた。


「ここにいる使用人五名とマクシムは、昔からわたしの面倒を見てくれていたものでね。君の呪いのことも知っているよ。口の堅いものたちばかりだから大丈夫」

「そうですか……私、みなさんにご迷惑かけないように、します」

「うん。さあ、ヴィクリアも座って。食事にしよう」


 と、見ればキツァンはもう着席していた。杖を椅子の背もたれにかけ、ナプキンで手を拭いている。


 小さな円卓のテーブルがあるここは客人を招くための食堂で、オルニーイはもっぱら大食堂ではないこちらを使用している。大食堂も兵士たちのために開いてはいるが。


 オルニーイも椅子に座り、ヴィクリアも怖々というように大きめの椅子へ腰かけた。


「ヴィクリア。葡萄酒と林檎酒、どっちがいいかな?」

「林檎酒は飲んだことがあるから……それで、お願いします」


 目の前にあるグラス、己とキツァンの分は葡萄酒が、ヴィクリアの元には林檎酒がそれぞれ注がれる。甘酸っぱい匂いが食欲を刺激した。


「呪いといえば、ですよ。ヴィクリア、あなたのことはここにいるものにしか話しません。仲のいいのは他に二名いるんですけども、彼らにも秘密に」


 運ばれたたいのポタージュに手をつけることもせず、キツァンは言う。


「どうしてですか? えっと、英雄一団のお仲間さんなんですよね?」

「今、このスヴェノータは渉外しょうがいの関係上、国軍を派手に動かせないんだ。他二名……ティネとリュシーロは軍や貴族の関係者だから。魔獣関係には厳しい対応をするはずだし」

「二人とも、ここにしょっちゅう遊びに来るって聞いてますしねー。あなたは表向きのまま、僕の弟子ということで。学校に入ってないのは……ま、お師匠がそうさせなかったという事実をそのまま使っちゃいましょ」

「ティネさん……と、リュシーロさん……」


 オルニーイは苦笑を漏らし、魚の切り身へ視線を落とすヴィクリアを見つめた。


「仲間の二人に嘘をつくのは心苦しいが、君の呪いがどこの魔獣のものかがわかれば、退治することもできる。それまでの辛抱かな」

「気をつけて下さいよ、英雄様。あなたからボロが出そうで怖いんですよ僕は」

「幼なじみに辛辣しんらつだよね、君って」


 ため息をこぼすと、ヴィクリアが何かを決心したようにうなずく。己とキツァンの手元を見て、まねをするよう丁寧にスプーンを運び、ゆっくりとスープを飲んだ。


「……おいしい」

「よかった。おかわりもあるから、好きなだけ食べてほしい。体力は必要だよ」

「まあ、本格的にあなたへマナを教えるのは、呪いの深度次第ですね」


 ポタージュを飲み終えたキツァンが、一つ唸る。


「ヴィクリア、あなた、森麗月しんれいづきの日に誕生日なんですよね、確か」

「木札に書かれてあったことが間違いじゃないなら、です」

「木札?」


 声を発したと同時に、空になった皿が次の皿に取り替えられる。運ばれてきたのは湯気を立てた、兎肉のパイだ。


「私、捨てられたときに木札を握ってたんです。『森麗月しんれいづき十五日・ヴィクリア』って書いてたものを、シーテさんが捨てずに取っておいてました」

「なら君は、二ヶ月ちょっとあとに十八歳になるんだね」

「はい、そうです」

「そこなんですよー」

「どこ?」


 オルニーイの突っこみも無視し、不機嫌な様子でキツァンは、自分のパイを崩している。


「スヴェノータでは、成人は男女関わらず十五でしょ。でもね、魔獣たちには魔獣なりの時間の長さがありまして。それを人間の歳で換算すると……十八歳が成人となるんです」

「え」

「偶然の一致、ではなさそうだね」


 パイを口に入れることも忘れ、オルニーイは固まるヴィクリアへ視線をやった。


「魔獣たちが美味しそう! って思う時期がこのくらいらしいです。なので、残り二ヶ月と少し。それまでに僕は、あなたの呪いをなんとかしなくちゃならないわけで」

「えっと、ごめんなさい」

「師匠から託されてますからね。文句はないですし、謝らなくていいですよ」

「いや、今のはキツァンの言い方が悪いと思うんだが?」

「すいませんね、どうせ人嫌いですよ。ひねくれものの言い方ですよ」

「は、話を戻そうか。どうやったら彼女の呪いを……?」


 ねたように瞳をすがめるキツァンをとりなし、一口、パイを口に含む。肉汁とソースの組み合わせが絶妙だ。一方、ヴィクリアは食事の手を止め、真摯しんしな眼差しでキツァンを見つめている。


「昨日、塔の中に天秤、設置したでしょ。あれが呪いの深さを測るものです。そこでまず深度……強さを測りまして、適合する瘴気から、魔獣の種類を調べるって感じですね」


 キツァンは事もなげに言い、懐から小瓶を取り出した。オルニーイが注視すると、その中に、切った爪と紫色の毛が入っていることが確認できた。


「朝、ヴィクリアからもらったこれらを使います」

「本人がいなくてもいいのかい」

「ええ。ま、数週間で魔獣の種類はわかりますし、深度も確認できるかと。ですがヴィクリア、僕が探っている間でも暇はありません。自分でまず、身を守るすべを持たないと」

「マナの使い方とオドの流れを読むこと」

「はい、そうです。ルイに城の中を案内してもらったら、僕のところに来て下さい」


 小瓶を懐に片づけて、キツァンは席から立ち上がる。


「いつもの塔に僕はいますので、あとはよろしく。ルイ、エスコートは任せました」

「せわしないなあ……」

「呪いをほどく方法も、退治以外にないか調べなくちゃいけませんし。じゃ、ヴィクリアのことは頼みましたよ」


 彼は軽く手を上げたのち、食堂から出て行ってしまう。実に忙しい男だと感心半分、オルニーイの顔に苦笑が浮かんだ。


 苦笑を笑顔に変え、うつむくヴィクリアの方へ視線を向ける。


「ヴィクリア、これから大変になると思う。体力をつけるためにも、食事は取ろうか」

「……はい」


 ゆっくりとパイを口に運ぶ彼女を見て、オルニーイもまた、静かに手を進めた。きちんと食べているか、残していないか――そんな親心にも似た思いを抱きつつ。

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