第16話

16・良いところと悪いところ



 オレもヒロミも、まるで猫のように気分屋で気まぐれだった(最初は群馬の道の駅へ行く予定でいたのに、車の中で急に、"やっぱり茨城の海が見たい"とヒロミが言い出してオレもそれに賛成し、急遽進路を変更したなんて事もあった)。おまけにかなりいい加減なところがあっから、お互いすぐに仕事を休んじゃったり転々としてしまったりといった事を何度も繰り返していたんだ。生活費を二人で折半していたから、どちらか片方が休んでもどうにかなっちゃう、という部分も正直あったしね。二人のうちの片方が、自分にも他人にも厳しいタイプだったら、その厳しい方が相手を叱ってどうにか奮い立たせるなんて事もできたかも知れない。ところがお互い、恥ずかしながら自分にも他人にも甘いタイプだったからさ、例えばさっきも話した榛名湖の時のように、お互い無職の時に、胸の内に不安を抱えながらもお出かけしたりなんて事もしたりしてたし。

 そういえば、同じ派遣会社や違う派遣会社を通して同じ派遣先企業に就いた事が、オレたちが知り合った会社の時も含めて計3回あったんだ。けどオレたち、同じ職場になると何かこう悪いケミストリーが起きて関係が険悪になるんだ。オレ的に嫌だったヒロミの言動の一つに、悩んだり心配したりしたところでどうにもならない職場での悩み事や心配事をグダグダ言われたり、また愚痴を聞かされる事だった。特にヒロミにはいわゆる「質問魔」みたいなところがあって、「知らない」、と言っている事を根掘り葉掘り聞いてくるようなところがあって、あれは正直、本当に参ってたな。

「ねえ、あの会社ってエアコン完備なの?」

「知らない」

 確かにその会社ではオレはヒロミより先輩だったけど、でも、オレもまだ夏に働いた事がなかったから事実本当に知らなかったんだ。

「スポットクーラーってあるの?」

「知らない」

「扇風機ってあるの?」

「知らない?」

「どれぐらい暑いの?」

「知らない。夏に働いた事がないから全く知らない。聞いた話ではものすごく暑いらしくて、一日一本、ポカリだかなんだか支給されるらしいけど、話に聞いた事があるってだけで本当に何も知らない」

「私が働いてるポジションって、あの会社の中でどれぐらい暑いの?」

「だから、知らない。これでいい?」

 その時小説を読んでいたオレとしては、本に集中していたかったんで、正直ウザくて仕方がなかったよ。

 それともう一つ、ヒロミにはさっきも言ったように人の忠告に耳を貸さないという致命的な欠点もあって、あれも正直、困ったな。特に車の事ではさ、確かに先に免許を取ったのはヒロミの方なんだけど、でも、オレとヒロミじゃ車に対する知識はもう、大人と子どもぐらい違うんだよ。ショッピング・モールのダダっ広い駐車場で定常円旋回を披露して見せた時、ヒロミもそれを認めてたんだ。そんな風に運転技術はもちろんの事、メカニックに関する知識にしてももう本当がケタ違うのに、それでもこっちの忠告を聞いてくれないんだぜ? あれには本当に参ったよ。例えばさ、

「ガソリンスタンドではエンジンオイルを交換するな」

 オレ、確かに、何度も何度もそう言ったんだぜ、でも何回言ってもガススタで替えちゃうんだよ。するとガススタはガススタで、相手が女で車には詳しくないのをいい事にボッたくってやろうと、替えなくてもいいオイルまで替えるように営業をかけやがるんだ、んで、ヒロミはヒロミでその話を真に受けて変えちゃう、ってなわけ。その明細を見てオレが、

「お金がもったいないよ。ATFもパワステ・ポンプオイルも変える必要なんてないよ。お前は騙されてるんだ、ボッたくられてるんだ。頼むからもう二度とガススタでオイル交換はしないでくれ。したくなったらオレに一言相談してくれ。それからでも十分間に合うから……」

 って言っても結局、一人で行っちゃうんだ。

「……それでももし、もしどうしてもエンジンオイルだけは替えたいというのなら、一呼吸おけ。んで、ガススタの店員が"あれを替えろこれを替えろ"と言い出したら、"私の彼氏が車に詳しいんで、相談してから考えます"と言え。それだけ言ってもまだ営業をかけて来るようなら、いよいよ怪しいと疑え!」

 と教えた事もあった。でも、やっぱりダメだったんだ。

 ヒロミは知り合って間もない頃、三菱のトッポって軽自動車に乗ってたんだ。走行距離12万キロくらい行っていて、当然アチコチ調子が悪くなる頃ではあったんだけど、でも同時に大事にすればまだまだ延命できる状態でもあったんだ。だからこそ、ついにトッポが本当に壊れてしまった時、

「オレの忠告どおりのメンテをしてたら、もっと長持ちしてたんだからな!」

 思わず強い口調でそう言ってしまった事もあった、……事実、全くそのとおりだったからだ。ところが忠告を聞かなかった事を反省しようという気がないらしく、

「過ぎた事なんかもういいじゃない」って反論してきやがったんだ。しかも、これと同じような事は一度や二度じゃなかった、何度も何度も繰り返していたのさ。

「いや、そういう問題じゃないよ。過ぎた事だろうとなんだろうと、過去の出来事を振り返って再検証して、もう二度と同じ過ちを繰り返さないように自分を戒めるのは大事な事じゃないか」って言い返した事もあったんだけど、とにかくヒロミには、他人の忠告を聞かない、考えてから行動しない、んで、結果、過去と同じ失敗を繰り返す、という事を何度も何度もしてくれちゃってたんだよ。オレからするともう危なかっしくて仕方なかった。

 これはその直してもまたすぐに壊れてしまうかも知れないトッポに金をかけるぐらいなら、いっそ乗り換えてしまおうという話になった時の事だった。三菱のディーラーで試乗車として使われていた走行距離の極めて少ない赤いEKカスタムを買う事になったんだ(軽自動車とはいえターボが着いていたんで、オレが"坂道が楽じゃん"と言ったら、温泉へ行くのに山道をあちこち走り回っていたヒロミの顔色がパッと明るくなったんだ。それがこの車を選んだきっかけになったのさ)。んで、そのローンの審査が通っていよいよ乗り換えが決まった時、営業の人にこう言われたんだ。

「申し訳ないのですが、代車が今、全部出払っていて貸す事ができないんです」って。だからオレ、

「ヒロミの保険会社に電話で事情を説明して、レンタカーを出してもらえ」って助言したんだ。でもやっぱりオレの忠告を聞いてくれなかったんだよ。で、ヒロミがどうしたかと言うと、いつ壊れてもおかしくないトッポにそのまま乗り続けたんだ。確かにそれからも2日ほど、トッポはどうにか走ってくれたよ。でもやっぱりへばっちゃって、……んで、はい、お陀仏、ゲーム終了! 結局、保険会社にレンタカーを貸してもらうハメになっちまったってわけ。

「だから言ったのに、保険会社に電話して代車を頼めって。あの時点で三菱のディーラーにレンタカーを持って来てもらってれば余計な手間が省けたんだからな」

 オレがそう言ったらヒロミのヤツ、なんとこう言い出したんだよ。

「いや、経験がないからさ」って。これじゃあまるでお笑い芸人のボケみたいじゃないか。

「経験がないんならなおのこと他人の忠告に耳を貸せよ!」、オレは思わずツッコミ役の芸人のような台詞を大声を出して言っちまったよ。

 他にもさ、もしもヒロミが、車に限らず何らかのトラブルが起きたその時点でオレに相談してくれていれば、そしてオレの忠告に耳を貸してくれていればこんな事にはならなかったのに、って事案は山ほどあった。ところがさ、言っても言っても忠告に耳を貸してくれないもんだから、ついオレの口調は次第に強くなっていく、という悪循環が生まれる事になっちまったんだ。

 ……鶏が先か卵が先か。

 ……オレが悪かったのかヒロミが悪かったのか。

 今となっては二人で話し合ってその答えを導き出したり、互いの言い分を出し尽くして妥協点を見出すなんて事はもう叶わないんだけど、少なくともオレの側から言わせてもらえれば、もしヒロミが忠告を聞いてくれていればオレの口調が強くなる事はなかったんだよ。

「お前は自分で思っているほど頭良くないんだから、もっとオレの忠告を聞いてくれよ」

「そんな事ないよ、私は頭いいよ」

「そんな事はないよ!」

 こんな風なやりとりをして、ヒロミの事をあからさまに馬鹿にしちまったなんて事もあったな。今思うと失礼な話ではあるよな。……ただし、ヒロミの名誉のためにも一応これだけは話しておきたい。ヒロミはとにかく達筆だった。それもただ字が上手いだけじゃなく、作家志望のオレですら書けないような超難しい漢字を、なんら躊躇ためらう事もなくスラスラ書きやがるんだ。それも、「薔薇」とか「檸檬」とか「魑魅魍魎」とかいった漢字をだぜ。ま、英語はオレの方がはるかに上だったけどね。事実アイツは「Welcome」と「Will Come」の区別がついてなかったみたいで、ジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンスのアルバム「サムディ・マイ・プリンス・ウィルカム」の事を「Welcome」だと思い込んでたんだ。悪いけどあれには爆笑したよ。で、思わずこう言っちまったよ。

「言葉がさっぱり意味を成してないよ! それじゃあ『いつか王子様がようこそ』になっちまうぜ」って。

 今にして思えば、そんなオレのドギツイ言動が破局の原因の一つにもなっちまった、ってなわけなんだけど、まあでも、なんだか陰口を言っているみたいでアレだしくどくなりそうだから、この話はもう、いったんこの辺でやめておくわ。大太もそんな話は聞きたくはないだろうしね。



 んじゃ、オレに欠点はなかったのかと言われれば、当然それはあったわけで、今説明したようにヒロミがあまりにもこっちの助言に耳を貸さないという事を繰り返すもんだからつい口調がキツくなってしまう、って事は山ほどあった。何よりその頃、オレの酒量はさらにさらに増えていたしね。これは前にも言った事なんだけど、大事な事だからもう一度言う、酒には人の人格を貶める非常に怖い力があるんだ。なぜなら酒は脳の前頭葉って部分を麻痺させてしまうからだ。前頭葉が麻痺すると、感情のブレーキが効かなくなってしまう。この感情のブレーキが効かなくなるという作用は、やっかいな事に飲んでいる時はもちろん、飲んでいない時にも起きるんだ。オレの口調がつい強くなっちまっていたのもそのせいさ。酒を飲んでいない時にも起こる作用はそれだけじゃない、仕事が終わった後にコンビニへ寄ると、感情(もう少し正確に言うと、酒が欲しいという欲望)のブレーキが効かなくなってつい酒を買っちまう、なんて事にもなっちまうのはだからなんだよ。だからこそ、そもそもその最初の一杯を飲むべきではないんだよ。幸いオレはギャンブルに依存しやすい気質の持ち主ではなかった。でも同時に、オレは生まれつきアルコールに依存しやすい体質や脳の持ち主でもあったんだ。きっと日米ハーフで大酒豪だった母親の遺伝子をモロに受け継いでしまったんだろう。中学の頃、週末にビールを1本だけ飲んで満足している親父を見て、「よくそれだけで足りるな」と不思議に思った事もあったぐらいだからな。とにかくオレには酒をコントロールするという事はできなかった。親父のように1本だけでやめにしようとはとても思えなかったんだ。そんなこんなであの頃オレは、食費がヒロミ持ちなのをいい事に、一緒にスーパーへ買い物へ行く時とか、いつも決まって酒を買ってもらうようになっちまってたんだ。事実オレ、ヒロミから、

「アンタってズルいよね」って、あからさまにそう言われたなんて事もあったよ。その頃にはもう、特に給料前とか、自分の小遣いだけじゃ酒が買えなくなるなんて事もしばしば起こるぐらい飲むようになってしまっていたしね。

 あの頃のオレはもう、完全なアルコール依存症になってしまっていたんだよ。と同時に、ヒロミはヒロミで、依存症者の依存を悪い意味で助長する存在、……そう、いわゆるイネイブラーってヤツになってしまっていたんだよ。

 いつからか、ヒロミは次第にその支払いを、現金からカードで済ますようになっていった。もちろんオレもその事には気付いていたし、なんでそうするのかについてももちろん頭では理解していた。でも、気づかないフリ、見て見ぬフリをしていたんだ。それを認めてしまったら、酒を買ってもらう事ができなくなってしまうからだ。お互いが、そしてお互いに、自分にも他人にも甘いタイプだったために生まれた悲劇の始まりだったんだ。

 二人で生活費を折半する事によって生まれるゆとりを、オレたちはとにかく遊ぶ事に費やしていた。ヒロミはとにかく温泉が好きで、良さ気な温泉旅館を見つけてはあちこち一人で泊まり歩いていた、……もちろんオレを誘ってくれた事もあった。でも困った事に、温泉旅館へ行ってしまうと、せっかくその時は「断酒スイッチ」が入っている状態だったとしても無性に飲みたくなってしまって、んで、旅館から帰ってくる時にはいつもどおり「飲酒スイッチ」の入った状態に戻ってしまっている、なんて事がままあった、……別にヒロミのせいにする気はないんだけどね。だいたい、その事を本当に分かっているなら、「気持ちは有難いんだけど、また飲酒スイッチが入っても嫌だし、温泉旅館はパスさせてもらうわ」って言えば良かっただけの話なんだよ。でも、やっぱりそれは言えなかったんだわ。自分に甘かったんだよなぁ。

 またオレもオレで洋服を買いたいという欲求がどうしても止められなくて、色々と買い込んでしまってもいた。ヒロミとのライフスタイルを続ける限り、金がなくなっても、とりあえず酒と食い物にだけは困らないからね。

 そうこうするうちに、またいつものように酒の飲み過ぎがたたったオレは二日酔いで会社に行けなくなっちまった。

 ……酒を飲む→二日酔いで会社に行けなくなる→飲酒が理由で出社できなかった罪悪感そのものが足枷になって余計に会社へ行きづらくなる→で、辞める→んで、辞めたら辞めたで金がないがら酒が飲めなくる→一時的に酒をやめられるようになる→仕事はどうしても必要だから求職活動をする→仕事が決まって収入が安定すると酒を飲むようになってしまう。

 ……ず〜っとその繰り返し。自分でも、分かってはいたけどもう止められなくなっていたんだ。

 そんなある日、オレは地域のローカル新聞で、トラックの運搬の仕事を見つけた。トラックに食品を載せたカーゴを積んで、提携しているスーパーへその荷を下ろして、帰りに空になってるカーゴを積んで帰ってくる、という仕事だった。その面接の時、こんな説明を受けたんだ。

「我が社では毎朝、アルコールチェッカーでの検査を義務づけています。むろんトラックの飲酒運転を防止するためです。このチェッカーは警察が飲酒運転をチェックする時に使う物よりもはるかに敏感なヤツです」ってね。それを聞いた時、「これをきっかけにまた断酒スイッチが入るかな? いや、あるいは今度という今度こそ、一生酒をやめられるかも知れない」なんて思ったりもしたよ。本心では「酒をやめたい」と思っていたという事の、証拠の一つだと大太に思ってもらえたら嬉しいし、少なくとも自分ではそう思っている。で、その事も手伝って、オレ、ついその面接の時に法螺を吹いてしまったんだ。

「オレ、酒を飲まない人間なんで……」ってね。

 でも、やっぱり酒をやめる事はできなかったんだよ。いざこの仕事を始めてみると、ストレスで飲まずにはいられなくなってしまったんだ。まず、仕事そのものが自分に合ってなくて、どうしても覚えられなかったんだ。するとそんなオレの事を、教育係の先輩らがやたらめったら注視してくるようになるし、そうなるとなるで、HSP気質のオレは、「ああ、また見られてる」って気になっちゃって緊張しちゃって余計にできなくなるし、……の悪循環にハマったちまったんだよね。トラックの事なんて大太は何も知らないから分からないだろうけど、アレは図体がそれなりに大きいから普通の乗用車を運転するのとは明らかな違いがあって神経をすり減らすんだよ。

「普段からマニュアルに乗っているだけあって、クラッチ繋ぐのだけは上手いんだよなぁ」

 先輩はそうボヤいてだけど、兎にも角にも精神的に疲れるんだ。それを紛らわせるのに、言い訳がましいのは承知で言うけど、どうしても飲まずにはいられなくなってしまったんだ。結果、そのアルコールチェッカーにオレは計三回も引っかかっちまったんだ。そのたぴそのたび、

「飲んでません」って嘘をついてしまっていたよ。液体歯磨きにアルコールが入っていたのをいい事に、「きっとそれのせいだと思います」と苦しい言い訳をした事もあった。すると上司はその液体歯磨きの銘柄を質問してきた。オレがそれに答えるとその上司は同じ物を買ってきて口をゆすいだ後、アルコールチェッカーを使って実験し出した。

「そこまでやるか!」ってオレは思ったけど、まあ疑われても仕方がないよな。ただ、液体歯磨きでもアルコールチェッカーが反応していたのは事実だった。それを見て、オレ、思わず胸を撫で下ろしちゃったよ。

 とにかく、そんなこんなで、そのトラックの仕事を続けるのが苦しくなってオレは三ヶ月ぐらいで逃げるようにして辞めてしまったんだ。



 ……自分でも情けない事をしているってのは分かってる。でも大太には正直に話したいんだ。謝罪の意味も込めて、きちんと懺悔はしなくちゃならないからね。ところがこの後、とてもいい職場が見つかったんだ。オレの就労は、ようやくそこで長続きするようになったんだ。

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