第14話
14・同棲開始
ともかく、こうしてオレたちは半同棲から本格的に同棲する事になった。
ヒロミは元ダンにハッキリと別れを告げた、と同時に子どもと会う権利を完全に奪われちまった。この事でヒロミが深く傷ついたのはもちろん、オレの心にも当然深い傷を残した。まるでヒロミにオレと子どもを天秤にかけさせ、そして自分を選ばせてしまったかのような気分になったからだ。……ただ、ヒロミは「そんな風には少しも思ってない」と、きっぱり言い切ってくれてはいたけどね。それはそうと、車のローンや、ロードスターを峠仕様にするためにアレコレと弄っちまった事で出来ちまった借金があったオレにとって、ヒロミと生活費を折半する生活は正直本当に有り難かったよ。
ヒロミには、ついぞ最後までずっと言えなかった事が一つあった。「パチンカス女との生活が破綻したのは、喧嘩両成敗という言葉はもちろん承知してはいるんだけど、そうだったとしてもどちらかと言えばミカコの方に非がある」、オレはずっとそう思っていた、……んで、長い間抱き続けてきたこの仮説を立証するためには当然、他の女と生活する必要があると考えていて、そのためにはどうしても新しい彼女が必要だったんだ。だからこそヒロミとの生活は本当に有り難かった。何より、ヒロミとの生活はやっぱりミカコとのそれよりも遥かに平穏だった。例の仮説はやっぱり正しかったんだと思うと、オレは本当に嬉しかった。
生活費は、家賃や光熱費はオレが支払う事になった。そもそも口座から引き落としていたから、それをそのまま引き継ぐような形になった。
反対に、食費はヒロミに負担してもらう事になった。最初のうちこそ計算上では両者の釣り合いが取れていたんだけど、この「食費はヒロミ負担」というやり方が、次第にオレたちのすれ違いの原因の一つになるだなんて、この時は考えもしなかったよ。
オレたちは共働きをすると同時に家事も平等にこなした。でも厳密には、どう贔屓目に見ても家事はむしろオレの方が良くやっていたな。元々オレの部屋だった、って事もあって、まず部屋掃除の比率はオレの方が圧倒的に多かった。部屋をお洒落にする事に余念がなかったからさ。ま、ヒロミもヒロミでちょこちょこ掃除はしてくれてたけどね。でも洗濯はどちらかと言うとヒロミがやってくれる、っていうケースの方が多かった。でも食事の用意はオレの方が多かった。オレほら、酒を飲みながら料理をするのが好きで、ビールを飲みながら小麦粉をこねてピザの生地を作ったり、野菜を刻んでひき肉と混ぜて肉ダネを仕込むだなんて事は日常茶飯事だったし(主婦かよっ!)、ともあれ家事は自然そういう流れになってったんだよ。
料理といえば、オレが仕事でヒロミが休みだった時、いろいろと酒の肴を作ってもらった事があったな。その時一度ヒロミのヤツ、
「これ、あんまり美味しくないと思うけど、ゴメンね」、とか、
「これ、味が薄かったらゴメンね、もしそうならお醤油垂らして」、とか、やたらめったら「ごめん・ごめん」を連発するんでついイラッとしちゃって、
「オレはヒロミの作る料理を下手だとも不味いとも思ってない、それをそんな風にごめんねごめんねって言われ続けると、かえって料理が不味くなる」って言っちゃった事があった。そもそも味が薄いと思ったら醤油を垂らすなんて、日本人なら誰だってそうするだろ? それでもまだなお「ごめん」って言うもんだから、
「もぉ〜うるせーな〜! オレは酒と料理を楽しみながらテレビが見たいんだ! つまんねー事をグダグダいつまでも言い続けるのはやめてくれっ!」って怒鳴っちまった事もあったよ。……いや、今となっては笑い話だけどね。
何度も言ったようにヒロミはオレと付き合う事の代償として、元ダンから子どもと会う権利を剥奪されてしまった。その事でオレは、
「いくら親権が向こうにあるとは言え、それはあまりにも横暴過ぎるよ……」
ヒロミに強くそう訴えた。
「……元ダンは自分に親権があるのをいい事に、その権力を誤用しているんだよ。市役所に電話しろって。女性の人権のための相談窓口とかなんとかってやつがあるだろ?」
オレは更にそうも付け加えた。でもヒロミは決してそうしようとはしなかった。
「付き合う前に、オレ確かにこう言ったよな? たとえ交際する事になったとしても、子どもに会うのは構わないって」
そう言及もしたんだけど、ヒロミは実際的な行動に出ようとはしなかったよ。
ガン細胞を切り取る時って、どうしても正常な細胞も少し切り取ってしまうらしいんだけど、ヒロミにとって元ダンはガン細胞で、子どもは断腸の思いで切り取った正常な細胞のようなものだったのかも知れない。でも、そうだったとしてもやっぱり時々は子どもの事を思い出すみたいで、時々泣いたりしてたよ。子どもの名前を寝言で呟くのを聞いた事もあった。そんなヒロミを見るたび、「母と子の関係が引き裂かれちまったのは、知らなかったとは言えオレがヒロミに惚れちまったからでもあるんだ」って、少しばかり責任を感じたし、憂鬱な気分にもなった。
ところで大太は、オレやヒロミがめっちゃハマってた「花田少年史」ってアニメの事、覚えてるかな?
近所で有名な悪ガキ・
最終話のりん子ちゃんの話には、マジで感情移入しちゃったな。何せオレもこの話のように高校入ってすぐの時に好きな女に死なれてるし、初めてあのアニメを観た時はまだ一人暮らしだったから、人目を
ユキお化けの話も良かったな。清司がユキの葬式の時、ユキの親父から殴られるシーンを見たオレは、清司に対してそれはそれは強いシンパシーを感じたっけ。オレも殴られはしなかったけど、ほとんどオレのせいで自殺しちゃった元カノの親父から葬式の時に言われたもんな。
「お前が娘を遅くまで連れ回したからこうなったんだっ!」ってね。
花田少年史には実の母親に捨てられる桂ちゃんという名の女の子が出てきてた。あの話を見るたび、ヒロミはいつも「これを見ると辛い」とぼやいてたな。言うまでもなく、子どもを捨てた自分の姿を重ねていたんだ。
「まあ気にするなよ……」
オレはいつもそう言ってヒロミを慰めてやったっけ。
「……この話の母親みたいに、他に男が出来てから家を出たわけじゃないだろ? 元ダンが嫌で離婚をした後、オレと知り合ったんだろ? 順序も状況もヒロミが言うほど似てないじゃん」ってね。
同棲するにあたり、オレはヒロミの母親に挨拶がしたいと願い出た。それを受け入れてくれたヒロミと一緒に、実家にいる彼女の母親へ会いに行ったよ。開口一番、オレはヒロミの母親にこうぶち上げてやったさ。
「お前の娘をかっさらいに来たぜっ!」ってね、……いや、もちろんこれは嘘だけどさ。
オレ、その時初めて聞かされたんだよ、ヒロミの父親はヒロミが21歳の時に他界しているって。それと、ヒロミのおじさんが生まれつきろうあ者で、ヒロミのおばあちゃんが見栄っぱりなばっかりに特殊学校へ通う事を許して貰えず普通の学校に通う事を強要され、その結果、聞いたり話したりはもちろん、文字の読み書きや手話にまで苦労するようになっちまったんだって事もその時初めて教えてもらったんだ。
オレはヒロミの母親の前で、借りてきた猫のように大人しく正座してケーキとコーヒーをご馳走になった。ヒロミの母親は、オレを特に嫌うでもなく、いたって普通に歓迎してくれてたよ。言っていいのか悪いのかよく分からなかったんだけど、オレはヒロミの母親の事を、思い切って「お母さん」と呼んでみた。でもやっぱり嫌な顔一つしなかった。なんだかすごく嬉しかったよ。オレはそういう家庭的なものを知らないから、ほんの少し涙が出そうになった。そういや帰り際、母親から、
「わがままで気分屋の娘ですが、どうかよろしくお願いします」って言われたっけ。これ、全く持ってしてそのとおりだと思ったよ。でもオレは、
「いえ、そんな事ないです。とても可愛らしい娘さんです」って答えたよ。そしたらヒロミのヤツ、
「まぁ〜たコイツそんな心にもない事を……」って言って笑ってたっけな。
……ああ、あの頃は本当に幸せだったなぁ。あの幸せがいつまでも続くと思っていたのに、オレの酒量が増えるのに反比例して、幸福は次第に目減りしていったんだよなぁ。全部は、オレが悪かったからなんだよな。
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