第12話

  12・ウェルカム・2 〜大太編〜



 オレと大太が知り合ったのは、確かオレがボランティア会員になってから半年ぐらい後、何度も言っているとおりJCLSCの里親会での事だった。その頃にはもう、猫カフェ・Fが閉店する事は決定していた。で、それに伴ってJCLSCの里親会もおそらくこれが最後だろうと囁かれていた頃の事だった。

 オレはこういう性格だからさ、店の常連やボランティア会員のみんなにはハッピーの事をすでに何度も話していたんだ。「アパートだから本当はダメなんだけど、ゴミ捨て場を掃除した事から大家に気に入られていて、特別に一匹だけ飼ってもいいと言われてるんだ」、ってね。

 気を悪くしないで欲しいんだけど、その時オレには、実は他に欲しいと思っている猫が一匹いたんだ。猫カフェ・Fにいたシリウスという名のオス猫だった。オスにしてはかなり大人しくて、とても綺麗な猫だった。色や柄がいい意味で変わっていて、顔の真ん中あたりから白と茶色でクッキリ分かれていたんだ。しかもその茶色がカフェオレみたいな色をしていて、その佇まいから「王子様」という異名を欲しいままにしていた美形ニャンコだった。で、オレは常々その仔が欲しいと強く公言していたのさ。でも大家から特別に一匹だけ、と言われている身分ゆえ、それはダメだと店やJCLSCから釘を刺されていて、正直諦めかけていたんだ。でもな、ものすごい寂しがり屋だったハッピーの為にもオレは弟か妹があと一匹だけでいいから欲しいと前々から考えていて、機会さえあれば、と、そのチャンスを虎視眈々と狙っていたというわけなのさ。それに、まあ、良くも悪くもオレは欲張りだったから、というのもあるっちゃあるんだけどな。

 そんなこんなの時に行われた、おそらくは最後になるであろうJCLSCでの里親会に、お前は連れてこられて来たってわけなのさ。説明が重複するけど、大事な事なんでもう一度言う。お前はおそらく、産まれた直後に捨てられちまってるんだ。しかしその直後におばさんに拾われ、でもそのおばさんは家庭の事情で猫を飼育する事ができなくて、ちょくちょく通っていた猫カフェ・Fの隣で行われているJCLSCの里親会に連れ来てもらっていたんだ。オレは鉄製のゲージの中で、やたら大きな声を上げてミーミー鳴くお前をひと目見て、思わず、

「ああ! 可愛い!」って叫んじまったよ。するとそのおばさんから、

「お願い! 貰って貰って!」と哀願されてしまった。直後、JCLSCの事務の仕事をしていたお姉ちゃんから、

「ダメですよ。飼っていいのは一匹でしょ」って嗜められた。でもどうしてもお前が欲しくて仕方がなかったオレは、里親会が終了した後、駐車場で他の女の人と立ち話をしていたおばさんに話しかけたんだ。

 ……自分がアパート暮らしである事。

 ……ゴミ捨て場の掃除をした事で大家から特別に一匹だけ飼っていいと言われている事。

 ……でもハッピーがものすごい寂しがり屋さんで、弟が妹が欲しいと常々思っていた事。

 ……それが理由でJCLSCの事務のお姉ちゃんから「ダメ」だと言われた事。

 その上で、

「それでも貰って欲しいというのなら、その仔を貰います」って言ったんだ。

「ぜひ貰ってやってください」

 その時聞いたおばさんの話によると、お前はすでに動物病院で見てもらっていて、血液検査の結果、特に病気もなく、ウンチも調べたけどお腹の中に虫もいないという極めて清潔な猫だって話だった。事実、検査結果が記された病院の紙も見せてもらったしね。それが「産まれてすぐに捨てられた」という推測につながったってわけだ。

 おばさんはお前のために買った猫用のミルクとウエットタイプの餌、そしてやれ餌代だ今後の去勢手術代だと言って10000円をくれた。オレは有り難くそれを頂戴し、お前を当時の愛車だった白いNAロードスターの、それもレカロの赤いセミバケットシートに乗せて部屋までかっさらった、ってわけよ。帰り道の途上で、カーステからシャムシェイドの「曇りのち晴れ」が流れ出した。そのギターソロで聴く事ができるDAITAのピッキング・ハーモニクスとお前の鳴き声があまりにもよく似ていたんで、DAITAの本名から名前をもらってお前を大太と命名した。

 オレは最高にいい気分だった。おばさんからお金を貰い、おまけにまんまとJCLSCを出し抜いて譲渡手数料を支払わずして大太を譲り受けたんだ、これでいい気分にならないわけがなかった。オレはおばさんから貰ったお金で猫用トイレとジャックダニエル、それとお刺身を買ってから部屋に戻ったよ。この幸せを酒と共に味わいながら最高に素敵な夜を過ごしたかったからさ。ジャズの流れるこの部屋で、ヨタヨタ頼りなさげに歩くお前の姿を見て、オレは大変満足だった。

 こうして野郎一人・猫二匹の多頭飼い生活が始まった、ってわけよ。最初ハッピーは、キャットタワーの頂上にあるハンモック状のスペースから、「コイツ何やねん?」とでも言いたげな顔で大太を観察していたっけ。でも、特に嫌うようでもなければ、かといって、特に可愛がろうともせずに淡々としていた。この部屋は冬寒いから、二匹一緒にくっついて寝てくれれば有り難いなと思っていたんだが、どうもそういうわけにはいかなかったみたいで、そこだけが残念だったけど、まあそれは気にしない事にしたよ。

 大太、お前はホント、大胆で寂しがり屋で甘えん坊で、そんで何より構ってちゃんな性格だったな。オレが夜勤で昼間寝ていようとお構いなしに「餌をくれ」と髪の毛を引っ掻き回し、仕方なしに餌を与えてやると喰うだけ喰って寝てしまうなんてしょっちゅうだったし、何よりこの部屋に来てたったの1日でヘソ天を決めたのにはさすがのオレもおったまげたよ。

 何より助かったのは、お前が最初の1回目でトイレを覚えてくれた事だった。知ってのとおりこの部屋のリビングには、メインで使われている猫用トイレがあった。カラーボックスを二つ、互いに向かい合わせに設置してその間に猫用トイレを置く。そしてオフハウスで買ってきた机の脚を外してその天板だけをカラーボックスの天井に橋のように渡して蓋をする。で、天板の下にカーテンレールをねじ止め。そこへ黒いレースのカーテンをセットして猫用トイレが見えないようにする。そのカーテンはもちろん、トイレ掃除の時だけ開けるって寸法だ。こうして風通しが良い上に、できれば直視したくないある物は見えないようになり、おまけにお前ら猫たちも安心して用を足せる空間が出来上がった、ってわけよ。オレはこの配置の仕方やアイデアを我ながら非常に気に入っていて、当時よく愛用していたブログに写真付きで公開したりしたよ。みんながみんな、「なかなか良いじゃない」と絶賛してくれていたっけ。

 ハッピーはうちに来た時、すでにもうそこそこ成長していたし、血の繋がっていない親戚のおばあちゃんの家で飼われていた猫たちはみんなすでに成猫だった(そもそもあのおばあちゃんは猫たちを放し飼いにしていたし、不妊も去勢もしていなかった。つまり飼い方があまりにも古すぎたんだよ)。……つまり、ほとんど産まれたてのホヤホヤの猫の成長を見るのは、大太、お前が初めてだったんだよ。だからお前が毎日スクスク育つ姿を見守るのは心の奥底から本当に楽しかったんだ。

 ただ一つだけ不安だったのが、シプレーだった。オス猫は、たとえ去勢したとしても本能が残ったままになってしまってメス欲しさにシプレーをするヤツが稀にいるらしくて、もしも大太がそうだったなら、と案じていたんだ(事実、猫カフェ・Fでそういう猫を一匹だけ見た事があった)。でも順調に発育しているお前を見ていると、「もしそうなったならそうなったでどうにかすればいいし、きっと何とかなる」って思わずにはいられなくなってしまっていたんだ。「その事はあまり深く考えないようにしよう、いくら考えたからってなる時はなるんだし」、ってね。メスとは言えそもそも小柄だったハッピーの身体に、お前の身体は次第に追いつき、やがてほとんど同じ大きさになっていった。お前はオスだから、いずれハッピーを追い越すのは時間の問題だろうと思ってはいたけど、それにしてはお前の成長は早かった。まあ、おそらく産まれつき体が大きくなりやすい遺伝的な何がお前にはあったんだろうな。「大太・大太」と呼ばれていた事にも遠因があるのかも知れない。……眉唾な話なんだけど、植物に対し、ポジティブな言葉を言うのとネガティブな言葉を言うのとでは、その成長に大きな違いがあるらしい、むろんポジティブな言葉をかけてもらった植物の方がより大きく美しく成長するとされている事は言うまでもない。そう考えると今のテレビって罵詈雑言がホント、多いよな。現代人のメンタルが弱いのと無関係ではない、って思うのはオレだけかな? ともかく毎日、お前の身体はドンドン大きくなっていったってわけよ。

 やがてお前をもらい受けて半年が経ち、オレはお前を動物病院へ連れて行った。むろん去勢手術のためだ。

 その頃お前はとにかくうるさくて、正直に言うとオレは少々困っていた。二匹飼っている事が大家にバレるのもそうだが、ツンデレ美少女・ハッピーに対し、お前はやたらめったら「遊ぼうよ」とちょっかいを出しては疎まれていたからだ。それでもちょっかいを出すもんだから、ハッピーはもの凄い声を上げてお前を拒否った。それがあまりにもうるさ過ぎたもんだから、オレ、つい、

「もういい加減学習しろよ! ハッピーはお前と遊びたがってないんだよ!」って怒鳴っちまった事が何度かあったな。するとお前はビビってベッドの下にスタタッ、っと走って逃げってったっけ。オレはそんなお前の様子を見て、ベッドの下の空間を「核シェルター」と呼ぶ事にした。しばらくしてほとぼりが冷めると恐る恐る出てきて、んで、餌を食べる。……気を悪くするかも知れないけど正直に言う、あの頃オレはそんなお前を少々ウザいと思ってたんだ。

 ともあれオレはお前を動物病院へ連れて行き、去勢手術をしてもらった。手術は無事に成功し、術後も非常に良行だった。これで少しは大人しくなってくれるだろうと思っていたのも束の間、回復するないなや、お前はキャットタワーから開けっ放しにしていたドアの頂上に飛び乗ってオレをたいそう驚かせてくれたな。ハッピーもハッピーで、まさに「アンビリーバボー!」と言わんばかりの表情でお前を見上げていたっけ。その時の様子をスマホに収めて保管していたオレは、その約半年後に知り合い、そしてそのたった2週間後に交際する事になるヒロミにその画像を送信して見せたよ。当時は知り合ったばっかりで交際には発展していなかった事もあってまだ敬語を使っていたヒロミは、

「元気いっぱいの忍者君ですね」

 とメールで返事を送ってくれたっけ。……そう、お前はオレとヒロミの交際が発展する一助になってくれた、ってわけなのさ。だからまんざらウザいと言うのも罰当たりな話ではあるんだよね。

 恥ずかしい話だが、オレはその頃から仕事があまり長続きしなくなってきていた。あちこちの派遣会社の世話になりながら職を転々としていたんだ。昔から、会社で何か嫌な事があるとすぐに酒に耽溺するという悪い癖がオレにはあった。その癖がいよいよ本格的に悪化し始めて、生活に響くようになっていたんだ。耽溺すれば当然、次の日の朝は二日酔いで起きられなくなる。そうすると出社が覚束なくなり、休みがちになるとその事から生まれる罪悪感そのものが重い枷となってさらに出社し辛くなり、そして辞めて違う仕事を探す、という悪循環を繰り返すようになっちまってたんだ。30代も後半になってくると、次の日まで酒が残るようになるのも当然なんだよな。まだ猫カフェ・Fにいた頃は比較的仕事は安定していたし、そこまでひどい酒飲みではなかったから、毎月一度のパーティーで遊ぶぐらいの事はできた。でも大太の不妊手術から数ヶ月するといよいよその「持病」が表面化し始めちまって、正直少し生活は困窮しつつあったんだ。暖を取ろうにも灯油を買うお金がないんで、まだナマポ野郎の上に住んでいた頃にその辺から拾ってきたオレンジ色に発光する電気ヒーターの前でブクブク着膨れ、近くの市民センターから借りてきた本を読んだりして節制に務めた、なんて事もあった。ハッピーも大太もオレのすぐそばに居てくれてたからどうにか暖まる事もできたしね。なんとか次の仕事を見つけたはいいものの、そこの時給は低くて、でも働かない事には収入も得られないし、背に腹は変えられない、いずれ落ち着いたらもっと時給のいい現場を探そうという前提で働き始めたその職場で、オレは運命的な出逢いを果たしたんだ。



 ……そう、オレがそこで出逢ったのは他でもない、お前もよく知っているヒロミだった、ってわけなのさ。

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