第11話

11・猫カフェ



 猫カフェ・Fの女社長がそうとうな酒好きだった事もあって、店では月に1度、名前は忘れたけど何とかってパーティーが必ず開催されていた。「男性4000円・女性3000円・2時間・飲み放題・食べ放題」ってパーティーがね。その二時間を過ぎた後の支払いは当然各々に任される事になるんだけど、でもその二時間だけでもじゅうぶん元が取れるぐらい、食べ物はたくさんあった。美味しかったし、それに、楽しかったよ。「猫好き≦動物好き≦お人好し」が集まるお店なだけあって、S物流の宇宙人・サカタやフジムラみたいな非常識かつ身勝手なヤツもいなかったしね。

 こうして紆余曲折を経たとはいえ断酒者のはしくれになった今になって思うと、「だから何?」って感じなんだけど、オレはテキーラ・ショット23杯という、その店での新記録を樹立した事もあった。

「酒強ぇ〜! やっぱクウォーターは違うな!」

 みんなからそう言われてオレはすっかりいい気分になっていたよ。調子に乗ってたんだ。カッコいい事をしているという風にさえ思っていたんだよ。もちろん酒に強いからって女にモテるわけでもなく、オレは相変わらず「彼女募集中」の身分だったんだけどね。

 パーティーが終わるとオレはいつも、持参した寝袋を店のソファーの上に敷いて寝た。んで、朝になると二日酔いでガンガンする頭を押さえながら起き上がって店から水をもらい、しばらく休んで酔いを覚ました後、常連さんたちと一緒に朝からやってる市内の温浴施設に寄って汗とともにアルコールを抜いて家に帰る、という事を毎月のように繰り返していた。家に着くと一晩中ずっと一人ぼっちだったハッピーが、「寂しかったよ」とミーミー大声で鳴きながら出迎えてくれた。

「ごめんよ、寂しい思いをさせて、でも月に一度ぐらいならいいだろ」

 オレはハッピーにそう言い訳をしながら、罪滅ぼしにブラシをかけてやった。大太も知ってのとおり、ハッピーはブラシが大好きだからね。今になってこの時の事を振り返ると、ハッピーにはオレしかいないのに、可哀想な事をしてしまったな、って思うよ。仕事や大事な用でいなくなるのは仕方ないにしても、毎月のように飲み歩くなんていくらなんでもやり過ぎだよな。でも当時のオレは、「人間には人間で付き合いというものがあるんだ」って、もっともらしい言い訳をして自分の行為を正当化していたんだよ。



 ……ふと、ここまで喋ってオレは突然思い出してしまったよ、……大の酒飲みだった母親の事を、さ。

 前にも話したとおり、母親はいつもこう言っていたんだ。「"大人は色々と大変なのよ。酒でも飲まないとやってられないの"」って。そう、この頃のオレがハッピーに対してやっていた事は、あの時の母親とまさに同じだったんだよ。

 ……それともう一つ、ふと思い出してしまった事がある、……幼少の頃の事を、ね。

 親父と母親は、オレが保育園に通っていた頃、一時的に「夜のお店」をやっていた事があったんだ。話に聞く限り、あまり店は儲からなかったみたいですぐに畳んだらしいけど、ともかく夜になるといつもオレと弟を半ば強引に寝かしつけて、店へ行ってたんだ。その時に思った事を今でも嫌にハッキリと記憶しているんだよ。「ああ、お父さんお母さんは今から出かけるんだ。この部屋から大人は一人もいなくなるんだ、寂しいな、不安だな」、ってね。で、いつもそう思いながら目を閉じて寝たフリをしていた事もよく覚えてるんだ。そうすると母親が喜ぶって分かってたから、演技でそうしていたんだよ。もちろん、仕事だから仕方がない、って事は子ども心にもよく分かってはいたんだ。でももし社会から酒がなくなったなら、昔のオレのように寂しい思いをする子どもたちなんていなくなるんじゃないかな、って、今でも時々そう思うんだよ。ま、そうなったらなったで、禁酒法が施行された頃のアメリカのように、闇で酒が作られるようになってかえって治安が悪化するだけなのは見え見えなんだけどね。



 ともあれオレはその頃そんな風にして、猫カフェ・Fで飲み食いをしては遊び惚けていたんだ。

 そうこうするうちに、オレは店から「ボランティア会員にならないか?」という誘いを受けた。

 その猫カフェ・Fは店の営業以外に、慈善活動みたいな事もしていたんだ。大太のように捨てられてしまった可哀想な猫や、人間の事情でどうしても飼育してもらえなくなって行き場を失くした猫のために里親会を開催したり、一時的に預かったりする、といった事をしている団体でさ、名前をJCLSCと言ったんだ。

 店のすぐ横には古びた倉庫のような二階建ての建物があった。女社長はそこを借り上げて一階をJCLSCの事務所、そして二階をその猫たちの住処にし、猫たちにはそこで里親に引き取ってもらえる日を待ってもらっていた、ってわけ。オレと大太はそこの里親会で知り合ったわけなんだけど、オレたちが知り合った時の事よりも、今はそのJCLSCについて話がしたい。知り合った時の事は後でゆっくり話すとして、今はそのJCLSCについてきちんと聞いて欲しいんだ。

 オレは言われるがままにボランティア会員になったんだけど、なってすぐに疑問を感じたんだ。

「このJCLSCにいる猫たちと、店の猫たち、一体何がどう違うのかな?」って。女社長にも聞いたんだけど、

「まあ、とにかく、違うのよ」、と言うばっかりで、納得のいく返事は一切聞かせてもらえなかったよ。なんだかまるで宗教みたいだな、と思ったよ。宗教ってみんなそうなんだけど、信者たちから疑われたり反論されたりするなんて事はそもそも最初から想定していないんだよね。だってそうだろう?

「神さま仏さまって、一体どこにいるんですか?」

 この疑問にまともに答えられる人なんて、間違いなく絶対にいないと思うんだ。言っちゃあなんだけど厳密にはそんな物は存在しないんだ、……したがって、答えられるわけがないんだ。もちろんさっきも言ったとおり、そういった人智を超えた何かを信仰するのって、精神衛生のためにもある程度はむしろ必要だとは思う。でもやり過ぎるのはよくないよね。信じすぎるあまり冷静さをなくした信者を騙してお金を毟り取ろうとする輩が必ず現れるのは歴史を見れば明らかなんだから……。

 オレがなぜ、女社長やJCLSCのやっている事をまるで宗教のようだ、と思ったのも実はこの点にあったんだ。オレには女社長が、金をボったくる事しか頭にないカルト教団の幹部ように見えたんだ。信者をハナから馬鹿にしていて、いや、馬鹿にするならまだしも、あたかも知的障害者のようにすら思っていて、「疑問や反論にまともに応対する必要など全くない」、そう思っているようにしか見えなかったんだ。事実つい今さっきも言ったように、

「このJCLSCにいる猫たちと、店の猫たち、一体何がどう違うんですか?」って質問に対して、納得のいく答えはついぞ最後まで与えてはくれなかったしね。この問題に対して普段から深く考察していたなら、納得のいく答えを出せたはずだし、たとえオレを納得させられなかったとしても、この問題でオレと議論するぐらいの事はできたはず。その議論の結果、決裂してしまうなんて事があったとしても、それはもう仕方がないだろう。ともあれ本当なら何かしらの返答はできたはずなんだ。でもあの女社長は曖昧な事を言うばかりで、けっきょくハッキリとした事は何一つ答えてはくれなかったんだ。

 似たような事は他にもあった。繁殖し過ぎるのを防ぐため、野良猫に去勢や不妊手術をするためのお金を寄付して欲しい、と言われた事があったんだ。オレはすぐさまこう聞いたんだ。

「野良猫を野良猫と定義しているのは人間だけです。ほとんど全ての猫は、野良で産まれて野良で死んでいくんです。それを猫から頼まれたわけでもなんでもないのに去勢や不妊手術をするのって、おかしくないですか? その事でかえって食物連鎖が壊れて生態系がおかしくなるなんて事もあり得るんじゃないんでしょうか?」

「その疑問に関しましては、後ほどお答えします」

 お店の副店長であり、女社長の旦那さんでもあるJCLSCの責任者は、そう言ってこの問題を先延ばしにして逃げたよ。んで、もちろん、やっぱり、最後までこの問いに答えてはくれなかったんだよ。

 もちろん、この問題に対しては、大太やハッピーにも言いたい事はたくさんあるだろう。「そういうアンタだって、僕から私から繁殖能力を奪ったじゃないか」ってね。それは全くのそのとおりだと思う。ただしこれだけは言わせて欲しい。オレには世界中の全ての猫を保護する事は不可能だ。百歩譲ってもしそんな事が可能だったとしても、実際にそんな事をしたらそれこそ食物連鎖が壊れて生態系がおかしくなっちまうに決まってるしね。ただし、オレにとってのハッピーや大太がそうだったように、せめて縁した猫たちだけは生涯、完全室内飼いをしてやりたいと思っている。完全室内飼いそのものに対して批判的なヤツらは決して少なくはない。でも野良猫のほとんどは、生後2〜3年で死んでしまうというデータがあるんだ。反対に完全室内飼いの平均寿命は16年だ。それでも完全室内飼いは悪い事なんだろうか? 約8倍もの長きに渡って生存する事の代償として、生殖能力を犠牲にするのは果たして本当に残酷な事なんだろうか?

 猫には外で自由に動き回っているイメージがいつもつきまとっているけど、猫に必要なのは広さじゃない、高さだ。オレがハッピーにキャットタワーを買い与えてやっていたのは大太だって良く覚えているよな。事実、大太が初めてオレの部屋に来た時、すでにもうこのウッドでできた「インテリアなんとかかんとか賞」を受賞したお洒落なキャットタワーはあったろ? 大太もこれで良く遊んだり昼寝したりしていたし、オレやヒロミがダーツをやる時、キャットタワーに登って審判をしてくれてたもんな。

 オレがここで何より言いたいのは、完全室内飼いにするという事は、すなわちその仔は愛するパートナーとはめぐり逢えなくなる、という事なんだ。だったらそもそもパートナーを欲しいと思わなくなるような身体にしてやった方が、かえってその猫のためにも良いんじゃないか、という事なんだ。

 しかしこのJCLSCのやり方は、それとは少し違ったんだ。去勢や不妊手術をした後、その証として麻酔が効いているうちに耳の先端の一部分をまるで桜の花びらみたいに見えるよう小さくカットし、ひと目見て分かるようにしてから「野良」に離しているんだよ。これは理解に苦しんだね。だから言ったんだ。

「猫に頼まれたわけでもなんでもないのに去勢や不妊手術をするのって、おかしくないですか? その事でかえって食物連鎖が壊れて生態系がおかしくなるなんて事もあり得るんじゃないんでしょうか?」ってね。この疑問に対してJCLSCがまともに答えてくれなかったのはさっきも言ったとおりさ。

 また、何にもまして分からなかったのは、その猫に里親が見つかった時の事だった。猫カフェ・Fもそうだったけど、「譲渡手数料」とやらを請求していたんだ。JCLSCは、それを、やれ「今まで猫の面倒を見た分だ」だの、「それくらい払えるようでなければ飼い主なんて務まらない」だのとほざいていたけど、果たしてそれで慈善活動と言えるのだろうか。やっぱりこれも大いに疑問だったよ。

 いよいよおかしいと思い出したのは、その女社長が体を悪くして(詳しくは聞かなかったけど、酒の飲めない体になったんだそうだ)、店とJCLSCをやめると言い出した時だった。店とJCLSCにいる行き場をなくしたたくさんの猫たちを、「もらってください」とお願いする立場なのにも関わらずあいも変わらず譲渡手数料を要求し続けたんだよ。

 女社長の旦那さんの対応にも疑問を感じたんだ。店=働く場所を失くす事に関する不安をみんなの前で涼しい顔をしてボヤき始めたんだ。オレらボランティア会員だって食べるためには仕事が必要な事に違いはないのに、そんな事はどこ吹く風とばかりに、だぜ? 決定的だったのは、JCLSCの猫を引き取りたいと言って見に来てくれた人たちを、女社長の旦那さんが建物の二階に案内した時の事だった。なんとその女社長、旦那さんにそれを任せっきりにして机に置いたパソコンを眺め出したんだ。

「何をしているんですか?」

 オレはそう質問しながらモニターを見たよ。するとそこには、英語じゃない事だけはすぐに分かったんだけど、とにかくそれ以外の白人が使っている外国語が映っている動画が見えたんだ。しかもその女社長、ニコニコ穏やかに笑いながら平然とこう答えたんだよ。

「フランス語の勉強」

「ンな事してる場合かよっ!」

 オレは思わずキレちまったよ。

「自分で始めた事業だろ? 自分で始めた活動だろ? まず何よりも先に自分が率先して猫の里親を探すべきだろう!? それを人任せにして優雅におフランス語の勉強だと? 一体どういう神経してんだよっ!」

 女社長は明らかに面食らったような顔をしていたよ。まさかそんな事を言われるだなんて全くの想定外だったんだろうね。恐らく自分は社長だし、それにとびっきりの美女だし、ってな具合にプライドだけは一丁前だったんだろうね。なんかこう、「なんでアンタなんかにそんな事を言われなきゃなんないのよ!」とでも言いたそうな顔をしていたよ。でもオレからすれば、「誰かが言わなきゃいけない事を言っただけだ」、って感じだったんだけどね。

 実はその猫カフェ・Fの従業員のうちの一人が、お店にある椅子やらテーブルやら調理器具やらを全部女社長から貰い受け、別の場所に新しい猫カフェを開く計画を立てていたんだ。オレはそれに協力するため、引っ越しを手伝ってやった事があった。それについてどうこう言う気はない。でも女社長はその引っ越しにすらまともに顔を出さなかったんだ。もちろん女に力仕事なんか期待しないよ。でも、女性のボランティア会員が何人か手伝いに来てたのも事実なんだ。それなのに女社長が来ないなんておかしいと思わないか。何か他に用事があって来れなかったのならともかく、誰に尋ねても「女社長は他に用があるって言ってたよ」だなんて聞かなかったしね。もちろん後になって本人にも聞いたんだけどウンともスンとも答えてくれなかったし。こんな事が繰り返されるうちに、「ああ、オレは"ボランティア"という耳あたりのいい言葉に騙されていたんだ」、と思うようになっちまったんだよ。それが理由でついカッとなって言っちまったんだよ。「ンな事してる場合かよっ!」ってね。確に短気を起こしたオレも良くなかったなと思ってはいるんだけど、さ。

 それ以来、オレはもうその猫カフェ・FにもJCLSCにも一切顔を出さなくなってしまったんだ。どのみちもう終わりの日は近づいていたし、何か特に困る事はなかったしね。ただし、従業員のうちの一人が新しく始めた猫カフェには、その後も何度か足を運んだんだ。なぜなら女社長やその副社長の旦那さんと違って、その人には罪はないと思ったからだ。

 その一年ほど後に付き合う事になるヒロミを、その店に何度か案内した事もあったよ。



 ……色々と悪く書いたけど、オレ、猫カフェ・FとJCLSCには一つだけ感謝している事があるんだ。言わなくたって分かってるだろうけど、大太と出逢う場所を提供してくれたのは他でもない、猫カフェ・FとJCLSCだったんだ。それに関してだけは本当に有り難かったと思っているんだ。とにかく、まだ大太は小っちゃかったから覚えてない事がいくつもあるだろうし、これからまだ赤ちゃんだった頃の大太をこの部屋に迎え入れた時の事をこれから話すよ。

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