第10話

  10・ウェルカム・1 〜ハッピー編〜



 電話はすぐにつながったよ。

「もしもし、初めまして。駅東のホームセンターのペットコーナーで里親募集のチラシを見て電話しました」

 できるだけいい印象を持ってもらえるようにと、オレは大きな声でハキハキ、明朗に発言した。

「本当にもらってもらえるんですか?」

 そのおばさんは開口一番そう質問してきたよ。

「実はもうそこそこ成長しちゃってて、発情期が来ているんです。すごい大きな声で鳴くんですよ。それでも本当にもらってくれるんですか?」

 オレは発情期のメス猫の鳴き声を電話で真似してみせたよ。するとおばさんは、

「そうそう、そんな感じです! よくご存知ですね」と言い出したんだ。

「親戚のおばあちゃんが猫好きで、そこで何匹か猫を飼ってたんです。だから猫の生態の事は良く知ってるんです。ところで不妊手術は?」

「予約は入れてあります」

「不妊手術の費用は出してもらえるんですか?」

「ええ、いいですよ。どっちみちもう予約も入れちゃってますし」

「じゃあ、その子をください。ただし、こっちもいくつか正直に言わなきゃいけない事があります」

 オレは自分が実はアパート暮らしである事、そして大家に特別に飼育を許可してもらっている事、そしてその理由は、ゴミ捨て場を掃除した功績にあるという事を話した。

 オレはその後おばさんとファミレスの駐車場で待ち合わせたんだ。その頃にはもうその日の授業を終えていた娘さんも一緒に来ていたよ。まずは何よりその猫をひと目見たかったオレは、オレよりほんの少しばかり遅れて駐車場にやってきたおばさんの愛車の中に入れてもらったんだ。それはいいんだけど、そのおばさんの車のドアが電動でさ、時代遅れのスポーツカーにしか乗った事のないオレはドアの開け方で少々戸惑っちまったんだよ。全く、男のくせして車のドアも開けられないなんて恥ずかしいったらありゃあしないよ。ともあれ後部座席に入れさせてもらったオレは、小動物用のゲージの中にいる猫を見させてもらった。特に病気や怪我もなさそうだったし、何よりとても愛くるしい顔つきをしていた。おばさんもおばさんで、

「なんかとっても可愛らしい顔をしていて、テレビに出てきてもおかしくなさそうな感じがするんですよ」とその容姿を絶賛してたしね。

 その後オレたちは三人で、ファミレスのコーヒーを飲みながら話し合いをした。猫の譲渡は不妊手術が終わった後、その動物病院で行おうという事になった。

「例のゴミ捨て場を掃除したという話を聞いて、この人なら大丈夫だと思ったんです……」

 おばさんは席につくなりさっそくそう切り出したよ。

「……正直、イタズラ電話も何度かあったし、本当にもう困っていたんですよ」

 その会話の流れで聞いたのだが、どうもこの猫はオレの住むアパートのすぐ近くにあるコンビニの駐車場で保護されたらしかった。

「さっき電話でお兄さんがK町に住んでいると聞いた時、もしかしたらと思ったんですけど、坂を下った所にファミリーマートありますよね?」

「ええありますね。あの駐車場がだだっ広くて、よくトラックが停まってるとこですよね」

 なんとこの猫はその駐車場で、首から出血していて死にかけていたのだそうだ。前後の様子から推測するに、おそらくはどこかで飼われていたのが、なんらかの理由で外へ出てしまい、そして他の動物に噛まれたのではないかって話だった。その家の中学生らしき娘さんは、そんな猫を見て放っておけず後先考えずに保護してしまい、そして現在に至る、……って。でも家族の中に猫嫌い&猫アレルギーの人がいて、さてどうしたものかと悩んでいるうちに発情期が来てしまい、ちょうどそのタイミングでオレからの連絡を受けて譲渡を決断したんだと話してくれた。

「この仔はあの辺で飼われる運命だったんだ、そう思う事にしたんです」

 話し合いはそこで終わったよ。ファミレスのコーヒー代はおばさんが出してくれた。とてもいい人だなと思ったよ。

 オレは翌日の譲渡に備えて、昔大太も愛用していた猫用トイレや餌を入れる器やなんかを購入して、今すぐにでも迎え入れられるように準備をした。で、当日を迎えたんだ。

 動物病院の待合室で、前の日に不妊手術を終えた猫をゲージごともらい受けた。動物病院の医者から今後の通院について説明を受けた後、駐車場でおばさんと娘さんに最後の挨拶をした。

「このスポーツカー、名前をなんて言うんですか?」

「プレリュードって、言います」

「もしかして、ホンダですか?」

「そうですよ」

「私の従兄弟が昔プレリュードに乗ってましたよ」

「昔? もしかしてリトラのやつですか?」

「リトラ?」

「そう、リトラ、リトラクタブル。こう目がパチっ開くやつです」

 オレは両手でリトラクタブルが開く時の動作をジェスチャーしてみせたよ。するとおばさんが「そうそう、目がパチッて開いてました」と言ってやっぱり両手をパチっと開いてたよ。オレは助手席に猫の入っているゲージを置いて、駐車場からプレリュードを発進させた。娘さんがニコニコと満面の笑みを浮かべながらオレを見送ってくれてたのがやけに印象的だったな。

 オレは猫にハッピーと名付けた、……って、大太を相手に今さら言うまでもない事だけどね。ハッピーの術後は順調だったよ。トイレもすぐに覚えてくれたしね。愛らしいハッピーが部屋の中をテクテク歩いているのを見て、オレは心から幸せな気分になった。

 知ってのとおりハッピーは、寂しがり屋なんだかツンデレなんだかよく分からない少々気難しい性格をしていた。最初の方こそ単なる寂しがり屋だと思っていたもんだから、「猫をもらいました」って大家に報告しに行った時も、

「ひどい寂しがり屋で、オレがトイレに行くだけでミーミー鳴くんです」って紹介したのさ。受付の女の人、たったそれだけで「可愛い!」と言って笑ってたよ。ところがそうかと思うと、頭を撫でてやると最初は気持ち良さそうな顔をしているのに、突然キレて噛み付いてきたりするんだ。ま、でも、やっぱり原則的には寂しがり屋なんだろう、そう思ったオレは、ふと思い至ってしまったんだ。

「弟か妹がいたら、喜ぶんじゃないか」ってね。



 ……その後もオレは猫カフェ・Fに通い続けた。家に猫がいるのに猫カフェに通うなんてなんか変な気もしないではなかったけど、あの店の料理は美味しかったし、猫がたくさんいるから楽しかったし、それに誤解を恐れずに正直に言うと、新しい出会いも欲しかった、……もう少し正直に言うと、彼女が欲しかった。なんと言っても例のパチンカス女・ミカコと分かれてかれこれ7年くらい経っていたしね。常連になってしばらくするうちに、「ボランティア会員にならないか?」と誘われたんだ。最初のうちこそボランティア会員の活動を楽しいと思ってはいたんだけど、次第にオレはその活動に疑問を感じるようになっていったんだ。

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