第9話

9・引越し



 何はともあれ、オレは現在も住むこのアパートへと越してきた。

 不動産会社の営業の人に案内されて初めてこの部屋にやってきた時、オレは自前で持ち込んだスケールで部屋の寸法を測った。で、家具の配置をざっくりノートに取っておおよその間取りを決めた。今までの緊急避難的な引越しと違って、今回はこれでもかというぐらい検討に検討を重ねて選んだ部屋だったし、予算もそこそこあった。「今度という今度こそ、インテリア雑誌のように部屋を最高にカッコよくしてやる!」、と意気込んでたのさっ。

 幸い、大家さんも近所の人たちも皆いい人たちばかりだった。前のアパートでの近隣同士のトラブルにホトホト参っていたオレにとって、この部屋はまるで天国のように快適だったよ。本当なら1月1日が正式な入居日だったんだけど、ナマポ野郎の上の部屋からは一刻も早く出たくって、実際には12月30日からオレはここで暮らし始めた。

 よくある話だけど、引っ越しは友達に手伝ってもらった。トラックも運良くほとんどタダで手配できた。前の不動産会社には、

「何月何日に引っ越しをします。少しうるさいかも知れないけどこの日だけは勘弁してくれとナマポ野郎に伝えてください」って断りを入れてもらった。ところがやっぱり「うるせ〜」と言われちまった。

「最後の最後ぐらい静かにできね〜のか!」

「一体どうやったら静かに引っ越しができるというのか教えてくれよ! 魔法でベッドを宙に浮かべろとでも言うのか!」

 オレは大声でそう言い返してやったよ。そして最後にそこを発つ時、

「今までご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした。お詫びにこれを差し上げます。どうぞご自由にお使いください」と書いたメモと一緒に、コンビニで買った履歴書をポストへぶち込んでやったさ。いつかそうしてやりたいと常々そう思っていたんだ。最高にいい気分だったよ。

 この新しく越してきたアパートの向かいには、猫を三匹、犬を二匹飼っている大きな家があった。その家のおじさんとおばさんが、これまたとってもいい人だった。特にその家で飼われている小型犬(ノーフォークテリアだかノーリッチテリアだかよく分からないだけど、とにかく小型犬)のクーちゃんは本当に愛らしくて、人懐っこくて、痺れるぐらいキュートだった。クーちゃんの事は大太も窓越しに何度も見てるからよく覚えてるよな。とにかく向かいの家が猫やら犬やらをたくさん飼っているのを見ているうちに、「一人で暮らすにはこの部屋はとにかく広くてあまりにも寂し過ぎる、ペットが欲しい」、オレは心からそう思うようになった。

 テレビを点けて地方のローカル番組にチャンネルを合わせると、オレの住むU市の北の方で経営されているそれはそれはお洒落な猫カフェを紹介する特番が報道されていた。その猫カフェを経営している女社長がこれまたとびっきりの美女で、そこそことはいえ芸能活動も行っているとそのテレビでは放送していた。

「まあでもアパートだし、ペットは無理だよな」

 オレは店内が映し出されているテレビを見ながらひとりごちたよ。そして寂しさを紛らせるためにビールを喉に流し込んだんだ。

 その頃オレは交代勤務をしていた。4日働いて2日休みというスケジュールだった。混雑を避けたかったオレは、平日の夜を選んでその猫カフェに初めて足を運んだ。Fという名の店だった。夜だったから、というのはもちろんなんだけど、適度に薄暗くて、いい意味で色っぽくて、猫カフェというよりもジャズバーのような雰囲気のお店だった。オレは大好きなカルボナーラを食べた。どういうわけか店内の20匹近い猫のうちの一匹がやたらオレに懐いてきて(妬くなよ、大太)、楽しかったよ。

 その店は気に入った猫がいたら譲渡手数料とやらを10000万円支払えば譲ってくれるという経営方針でやっていて、他の一般的な猫カフェのように「時間当たり幾ら支払ってください」というような営業スタイルを取っていなかった。「お気に入りの猫をじっくりと見て探して欲しいから、時間制ではやりません」との事だった。でもその代わりに、飲み屋さんのようにテーブルチャージを請求してはいたけどね。もちろん酒も出していたけど、家と店はかなり遠いし、飲酒運転なんてもってのほかと、オレはサラダとカルボナーラとソフトドリンクのセットだけで店を後にしたんだ。

 それから半年くらい経ったある日。アパートのゴミ捨て場がものすごく汚くなっていた事があったんだ。燃えるゴミも燃えないゴミも資源ゴミも、ぜ〜んぶ同じ袋に入れてるヤツがあって、それだけゴミ収集業者が持っていってくれなくてそのまま放置されていたんだよ。もう6月だったから蒸し暑くてさ、中身が腐り始めていてめちゃくちゃ臭かったんだ。オレは百均で売ってる使い捨てのポリ手袋を使ってゴミを種類別に分別して、さらにゴミ捨て場をホウキで綺麗に掃除したんだ。ところがしばらくしたら分別されていないゴミがまた出てくるようになって結局汚くなっちまった。オレはもう一度ゴミ捨て場を掃除した。前のアパートでの近隣同士のトラブルにはホトホト参っていたから、オレは模範的な住人として振る舞いたかったんだ。でも流石に二回も同じ事が起きるなんてあんまりだと思ったんで、オレは大家に報告したんだ。大家さんからはすごく感謝された。大家さんが言うには、誰が捨てているのか目星はついてるらしくて、

「その人にはもう部屋を出てもらおうと思っている」って聞かされたよ。なんでも近所の人たちとのトラプルが絶えなかったらしいんだ。もっともこのアパートは大太も知っているようにほぼ同じ形の建物が二棟あって、その問題の人はオレが住んでいるのとは違う隣の棟だったからどんなトラブルだったかまではよく分からないんだけどね。オレはそのゴミを分別して片付けた後、そのゴミ袋の中にあったまだ飲み口の封が切られていない、生ゴミに濡れて超汚くなっている「その他の雑酒」の缶を、その部屋のドアの前にコンっと置いてやったよ。かくして近隣の平和はオレの手によって護られた、ってわけさ。

 しばらくすると再びペットを飼いたいという気持ちがムクムク首をもたげてきた。オレは友達に電話で相談してみた。すると彼はこう言ったのさ。

「大家に言うだけ言ってみたら?」ってね。「"知り合いの家で仔猫が産まれて困ってるって言っているんですけど、ダメですかね?"みたいなニュアンスで言ってみればどうかな? それでダメなら諦めつくでしょ?」

 オレはさっそく大家に電話してみた。すると大家はこう言ってくれたんだ。

「あなたは以前ゴミ捨て場を掃除してくれましたしね、一匹だけだったらいいですよ」って。

 さっそくオレはホームセンターのペットコーナーへ向かった。猫カフェ・Fへ行く事もチラッとは考えたんだけど、その「譲渡手数料」とやらがイマイチ腑に落ちなかったし、それにそもそも10000万円はいくらなんで高すぎると思って結局行かなかった。ホームセンターの里親募集と書かれた看板の前で、オレはふと立ち止まった。それはそれは可愛らしい顔をしたメス猫の写真を見たからだった。もちろんそれは言うまでもなく、お前の義理のお姉ちゃん、ハッピーだった、ってなわけだ。オレは迷う事なくそこに書かれたケー番に電話をかけたんだ。



 ……これがオレとハッピーの運命の出会いだったんだ。

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