第5話
5・生活保護・1 〜親父編〜
市役所からの通知には、確かこんな風な事が書いてあったな。
「あなたの父親である○○さんは、現在生活保護を受けています。法律では家族は助け合わなければならない事になっています。可能な範囲で構わないので父親を援助してあげてください。もしできないのであればその事情をお知らせください」
記憶だけを頼りにそう言ってるだけだから間違ってる部分はきっとあると思う。でもまあ、
「助ける気は一切ありません」
オレは速攻で返事を書いた。で、その通知が届いたであろう頃を見計らってF市に電話した。なんでも親父は肺ガンになってたらしくて、生活保護を受給するようになったのはそれが理由だったそうだ。オレはこの話を聞いた時、心の奥底から本当にこう思ったよ。
「ざまあみろ!」ってな。
親父はヘビースモーカーだったし、反対に、その頃オレはもうタバコをやめてかれこれ7年くらいは経っていた(だからといって肺ガンになる可能性が0%になったわけじゃないんだけどね)。ともかくオレはガンはヤツの自業自得だと思った。市役所に連絡をつけたついでに、親父が現在住んでいるアパートの住所を再確認したオレは、今度は直ちに親父に向けて手紙を書いた。
「よお、生活保護を受けているんだってな。ざまあみろ。オレに助けてもらえるとでも思っていたか。もしそうなら大間違いもいいところだ。オレがウツ病で苦しんでいた時、お前はオレを助けてはくれなかった。むしろ逆にさらにオレを追い詰めた。医者から聞かされていなかったはずがないんだ。"励ましたり叱ったりしてはいけません"ってな。にも関わらずお前はオレを激しく叱責し続けた。つまりお前にはオレを病人扱いしようという気はなかった、って事だ。だからオレもお前を病人扱いはしない。
死ね!
命乞いをするな!
甘ったれたヒューマニズムは認めない!
あばよ」
……ってね。
まあ、いくら長い間一緒に暮らし続けてきた大太でも、これだけじゃ何が何だかサッパリ分からないよな。
今からそれについて順を追って詳しく話すよ。
オレ、高校に上がってすぐの頃、全く身に覚えのない嫌疑をかけられて、同じ中学だった不良グループたちからやれ集団で殴られるわナイフで左腕を刺されるわ、それはそれはひどい目に遭わされた事があったんだ。後になって聞いた話によると、つるんでもいない
……自殺してしまったんだ。
そのショックで、オレも精神的に参ってしまってどうしても高校へ行く事ができなくなってしまった。もうまわりの人たち全部が敵みたいに思えて、誰も信用できなくなってたんだ。ナイフで刺された時のように、どこかで誰がオレの事を常に監視していて、それを事実とは全く違う風に解釈して攻撃してくるかも知れない、……そう思うようになってしまって、もう怖くて怖くて仕方なくなっていたんだ。もちろん、学校へは行かなくちゃいけない、最低でも何かしらしなくちゃいけないって頭では分かっていたよ。でももうどうしても活動する事が出来なくて、毎日部屋で塞ぎ込んでいたんだ。
そんな風に思い悩んで苦しんでいた事を、オレは親に訴えた。するとオレは心療内科へ連れ出された。でも親父はオレを心療内科に半ば無理やり連れ出した割には、実はそういう病気を病気として認知してくれるような人じゃなかったんだよね。なんだかんだ言ってはいたけど、でも結局は誤った考えの持ち主だった、ってなわけさ。それだけじゃない、親父はいつもそうだったんだ、二言目にはいつもこう言ってオレの事をそれはそれは激しく責め立てたんだ。
「オレの親父、つまりお前にとってのおじいちゃんはだな、仕事に行くフリをして近くの神社で昼寝をするような人だったんだ。それを近所の友達が見ていて、いつもこう聞かされていたんだ、"お前の家の親父、どこそこの神社で昼寝してたぞ"ってな。オレはその事でいつも屈辱的な思いをさせられてきた。だからオレは親父の葬式の時、心に誓ったんだ、……こんな父親にだけはなってたまるか! ってな。そしてその時誓ったとおりに、今まで一生懸命仕事をしてきたんだ。分かるよな、お前は子どもの頃のオレに比べたら遥かに恵まれているんだ、こんなに居心地のいい家庭はないんだ。ところがどうだお前は、まるでオレの親父に瓜二つじゃないか!」ってね。
大太も知ってのとおり、オレは決してバカじゃない、むしろ逆に頭は良い方なんだ。つまり、そんな話、一度聞いたらじゅうぶんなのに、親父のヤツは事ある
ともあれオレはあの家を、居心地がいいと思った事なんて一度もなかったし、恵まれていると思った事も一度だってなかった。
例えばこんな事があったんだ。
あれは親父とオレと弟の三人で映画を観に行こうってなった時の事だった。親父のヤツ、大事にしていた
「この引き出しから時計を出したのは、お前か、弟が、どっちだ!?」ってね。
実を言うと、その引き出しに腕時計があったなんて事自体、オレはその時まで全く知らなかったんだ。でも親父があんまりガミガミ言うもんだから、「覚えていないだけで、もしかしたら自分がやってしまったのかも知れない」、ふとそう思うようになってしまったんだ。きっと警察の冤罪も、この時みたい厳しく被疑者を尋問した結果、生まれちまうんだろうな。それだけじゃない、たとえ自分が犯人じゃないにしても、犯人だったという事にして認めれば、きっと親父の溜飲も下がるだろうという打算が生まれてしまったんだ。とにかく一刻も早くこの辛い状況から逃れたい、そんで映画を見に行きたい、そう思ったオレは、つい、わざわざ自分が不利になるような嘘をついてしまったんだ。
「お父さんごめんなさい。僕がやりました」ってね。
そしたら親父のヤツ、その嘘を信じて今度はこう言い出したんだ。
「お前が犯人なのは最初から分かっていたんだよ!」って。ひでぇ話だよな。おじいちゃんがそんな風な人だったせいで、幼い頃から貧しい生活を強いられてきた親父にとって、高価な腕時計の傷は我が子の心の傷よりもずっと重大だったんだろうね。……オレはその後、それはそれは激しく責め立てられた後、その罰として映画に連れてってもらえなかったんだよ。
他にもこんな事があったんだ。
うちの親父はオーディオマニアで、子どもの目から見ても明らかに身分不相応な高価なオーディオをいくつもいくつも所有していたんだよ。しかも、休みのたんびにレンタル店へ行っては主に洋画のビデオを借りてきてはダビングし、それをコレクションする、という事を趣味にしていたんだ。それが理由で家にはたくさんのビデオがあった。んで、そんな物が家にあるばっかりに、オレは一部のクラスメイトたちから「オタク」と言われてそれはそれは屈辱的な思いをさせられ続けてきたんだ。
宮崎勤というヤツが、「連続幼女誘拐殺人事件」というのを起こして捕まったのはちょうどそんな頃の事だった。ソイツがビデオをたくさん所有していた事がテレビで報道されたのをきっかけに、オレはさらに嫌な思いをさせられる羽目になっちまったんだ。確かにオレもガンダムとかが好きだったのは否定しない、でもガンダムが好きなのはオレだけじゃなかったはず、それなのにオレだけ標的にしてを「オタク」と言うだなんて、オレからすればそんなの叩きやすいところだけを叩いてるだけなんだよな。だいたいさ、ヤツらの言い分を応用するならバイクが好きな人はみんな暴走族だって事にもなるぜ。でもそんな正論を吠えたところで、一度付いた悪いイメージはそう簡単には覆らないんだよな。実際、誰の物か分からないエロビデオが発掘されると、いつも決まって「これはアイツのだ!」と決めつけられ、「それは違う」と反論すると、「嘘をつけ!」と殴られる、……なんて事は日常茶飯事だったんだ。もし親父がまだ生きているなら聞いてみたいよ、
「そんなビデオだらけの家庭で生活する事の、一体どこが恵まれていると言うんだい?」ってね。
そんな親父がダビングをやめたのは、オレが決死の思いで、
「お父さんがこんなにたくさんビデオをダビングしているせいで、オレは学校でオタクって言われてるんだよ!」って言ってからだった。親父の顔が激しく引きつったのを、オレ、今でもハッキリ覚えてるよ。でも、変化したのはそれだけだった。確かに親父はダビングこそやめたけど、そのビデオを処分しようとは決してしなかったんだ。もう一度言わせてもらうけど、そんなんで一体どうしてその家庭が「良い家庭だ」って言えるんだろうね? そのくせ更に二言目には、「親には子どもの事なんて何でも分かる!」って言うんだ。……と、言う事は、オレが学校で「オタク」って言われてイジメに遭っているのを承知の上であえてビデオをダビングしていた、という仮説が成り立つんだけど? この疑問に対して親父が一体どう答えるか、非常に興味深いんだれけども、今となってはもはや永遠の謎だね、おそらく親父はもう生きてはいないだろうから。
おそらく親父はあの大量のビデオを、オレが「ざまあみろ」と書いた手紙を送った、んで、終生の住処ともなったアパートに運び込んだのではないかと思っている。さっきの疑問と同じで確かめようがないけど、でもおそらく間違いはないよ。なぜなら親父がやってた中古の車屋にもそのビデオがあったからだ(親父と最後に会った時にオレは確かに確認している)。たぶん、処分するにもできなくてそのままにしていたんだろう。もしアパートにあの大量のビデオが運び込まれたという推測が正しいなら、これほど滑稽な話もそうはないだろう。
家族に見捨てられ、そして家族に見捨てられる原因の一つとなったビデオだけがそばにある。
これってまるきり、家族に見捨てられたアル中オヤジのそばに残されたのは空っぽの酒瓶だけだった、という光景と瓜二つじゃないか。そう思わないか? 大太?
話をうつ病になっちまった頃に戻そう。
とにかくもう、とてもじゃないけど通学する事などできなくなってしまっていたオレは、心療内科の世話になる事になった。病院へは親父の車で通った。そして親と二人で医者と話し合った。ところが親父のヤツ、心療内科への送り迎えをしておきながら、家に帰ってきたら帰ってきたでオレを言葉のサンドバッグにしてそれはそれは激しく叱りつけてくるという、それこそまるで二重人格者のような言動をひたすら繰り返したんだ。それが確か三ヶ月ぐらい続いたある日。その攻撃的な物言いにいい加減耐えられなくなったオレは、決死の覚悟で医者にこう言ったんだ。
「もうオレ、この
すると心療内科の先生は、親元を離れて親戚の家でしばらく安静に暮らしたらどうだろうかと提案してくれたんだ。その話し合いの末に、オレは当時暮らしていた西東京のF市から、血の繋がっていない親戚のおばあちゃんが住んでいる神奈川のH町という海沿いの小洒落た観光地へ移り住んで療養する事になった。で、そこで半年ほど休んだ後、そのまま近くの高校の入学試験を受けて合格した。本当ならいずれ西東京の実家に帰る約束だったんだけど、合格した以上はちゃんと最後まで通学し、そして卒業したいと強く主張しオレはそのまま血の繋がっていない親戚のおばあちゃんの家から江ノ電に乗って通学したんだ。その学校では年齢では一つ下のヤツらから、タメ口&呼び捨てをされたよ。それが少しばかりプライドに障ったけど、まあ学年は一緒だから仕方ないかと考えて気にしない事にした(もっともこれは社会に出てから知ったんだけど、そういうのって往々にしてある事なんだよね)。
父親のいない暮らしは、これでもかというぐらい快適だったよ。血の繋がってない親戚のおばあちゃんも、血が繋がっていないからこそ口ウルサイ事を一切言ってこなかったし、だからこそオレは自主的に勉強しようという気になれた。親戚のおばあちゃん、言ってたよ。
「なんでこんないい子がうつ病になったのか私には全く分からない」ってね。つまりそれぐらいオレは順調に回復したんだって事さ。うつ病は環境が変わるとガラッと治る事があると何かの本で読んだ記憶があるんだけど、その時のオレがまさしくそうだったんだよな。
言っちゃなんだが、オレは持って生まれた
仕事は順調だったよ、……ただし最初に四年間はね。て、いうのはさ、これまた親のせいで、わずか六年ちょいぐらいで破綻しちまったんだ。就職した後の最初の四年間は、長期休暇に入っても実家には帰らず親戚のおばあちゃんの家に帰ってたんだ。なんと言ってもH町は海が目前にあるし、オレはガキの頃スイミングスクールに通っていたのもあって泳ぐのは大の得意だったから、特に夏休みは最高だったよ。ところが親戚のおばあちゃんが入社した四年後に死んじまったんだ。オレは葬式の席で人目をはばかる事なく泣いちまったよ。傍目から見たら、オレは実の孫のように見えただろうね。
想新の会の連中から勧誘されたのもちょうどその頃の事だった。当時組む事になったロックバンドのメンバーたちが想新の会の信者だったんだ。アイツら、おばあちゃんが死んだ事で精神的に参っていたオレの心につけ入ってきやがったんだよ、「信心で境涯革命すれば苦しみから解放される」とかなんとか言ってさ。でも実際には、やれ入会金やら新聞代やらとお金を要求してくるばかりだわ、信者たちは上から下までみ〜んな狂信的で頭が半分以上イカれていて話にならないようなヤツらばっかりだわで、むしろ逆に苦しみは増していく一方だった。
一度オレ、幹部にこう言った事があったんだ。
「"お経本がリニューアルされたから新しく買い直せ"って言ってますけど、それって本当は、供給が伸び切っちゃったから新しい需要を掘り起こしたくて、それでもっともらしい理由をつけてリニューアルを正当化しているだけなんじゃないでしょうか?」って。そしたらその幹部、不都合な真実を突きつけられてキレちゃったみたいで、それはそれは烈火の如く怒り出したんだよ。今になって思うと、その幹部、実はオレの言っている事の方が正しいって心のどこかではそう思っていて、でもそれを認めたくなくて、それで怒ったんじゃないかなって気がして仕方がないんだけどね。
そうこうするうちに今度は母親がアルコール病棟へ強制的に入院させられる事になっちまった。親父はもちろんだが、オレには母親の面倒を見る気も一切なかったからその連絡を無視し続けた。すると今度はどこでどう調べたのか、当時働いていた冷蔵庫の工場に直接連絡が来るようになっちまったんだ。その頃オレの元には、班長になる試験を受けるとか受けないとかいった話がチラホラ舞い降りてきていたんだぜ。それなのに母親がアル中で、しかも精神病院にいるという情報が漏れ伝わってしまったんだ。当時はまだアルコール依存症やメンタルヘルスの問題に対して
ところがさ、世の中にはこれまたやっぱり、表面的な情報を二、三聞きかじった程度で相手の人生の何もかも全てを追体験した気になって、「ああした方がいい、こうした方がいい」と軽々しくアドバイスしてあげようとする輩が少なくないんだよな。……特に想新の会には。例えばこんな事があったよ。ある日オレ、想新の会のおばさんに、
「お父さんお母さんって何してるの?」って質問された事があってさ、
「どこにいるか分かりません。家族全員、みんなバラバラになってるんで……」
オレは極めてシンプルにそう答えたんだよ。そしたらそのおばさん、今度はこう言い出したんだ。
「テレビに出てみたら」ってね。
出たからって何の得にもならないのは、今の説明をきちんと理解してくれている大太になら分かるだろう? それなのに、想新の会の連中って、「言ってあげない事は無慈悲な事だ」って洗脳されているからね(『言う方がよっぽど無慈悲』な事って世の中にはたくさんあると思うんだけど)、何度も何度も言うんだよ。
「テレビに出てみたら?」って。家族との和解なんてとうの昔に諦めているこのオレに向かってこれだぜ? あれは本当に嫌だったな。
そうそう、テレビと言えば想新の会の別のおばさんに、「お父さんお母さんって何してるの?」って同じ事を質問をされて同じ事を答えたら、
「アンタちょっとそれテレビの見過ぎよっ」って笑われた事もあったな、……その頃オレ、バリッバリの文学青年で、本ばっかり読んでてそもそもテレビなんか持ってなかったのにね。
ああ、そう言えば、パチンカス女・ミカコと別れた後、
「ダメじゃない、彼女がご飯を作って待ってくれているのにパチンコをやるだなんて」って話をまるきり逆に解釈しやがったおっさんも、想新の会の人だったよ。
オレが何を言いたいか分かるか大太? よほどの覚悟と自信がない限り、他人の人生の問題にあーだこーだと口出しなんかしない方がいいんだよ。それともう一つ、よほどの覚悟と自信があるからオレは想新の会の信者に対して言ってるんだよ、「想新の会なんかとっととやめちまえっ!」ってね。
……ともあれオレが生活保護を受けている親父にそういう内容の手紙を送ってから、それはわずか数ヶ月後の事だったよ。オレ、ついにその農機具の会社から派遣切りされちまったんだよ。
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