第88話

隠した目元から、す…と音もなく涙が零れ落ちていく。







その美しさから、目が離せなくなる。









「…こうして手を伸ばせば触れられて、これから同じ所で暮らせる。今が一番、生きてきた中で生きた心地がする」






  




静かにそう言うその手を、私はそっと握る。









この人が、愛おしいと思う。







心から。








この桜の花弁のように…貴方の上に降り積もる悲しみは。








私が全て、払いのけて差し上げたい。










そしてこの桜のように、幸せや喜びは、惜しみなく私が降り注いで差し上げたい。








なんて、だいそれたことを願う。











「…私は、お傍におります。久保様…」




 


  




すると久保様はぽつりと呟いた。










「…あぁ…全部言ってしまった。嫌われるかもしれないと思って…言うか言うまいか迷ってたんだが…」


  


 




憑き物が取れたように戯けて笑う久保様は、乱雑に涙を拭ってゆっくりと起き上がる。


    







「亀寿には、素の私を知っておいて欲しかった。……嫌いに、なったか?」








嫌いに、だなんて。









「…いいえ」




 

 


なるわけがない。







むしろ。


    

 

  







「先ほどよりももっと…心からお慕い申し上げております」








こんなにも…大切な貴方様を。










「お話しくださって…嬉しゅうございます。私、だけでございましょう…?」


 






貴方の全てを、愛おしいと思う。









「もちろんだ。こんな話し…みっともなくて妻にしかできない」

 





恥ずかしそうに言った久保様に、笑う。










「ふふ、そうでございますね。……久保様?」





 





そしてただただ愛おしい名を、呼ぶ。








当たり前のようにこちらを向いてくれたことに幸せを感じて、笑う。


 









「……亀寿は心からお慕い、申し上げております」










さらさらと、青空のなかを雪のように舞い踊る桜の花弁。




 


 

久保様は、笑う。




  



「…私もだ…亀寿」










今日また一つ、久保様のことを知れた。






これから一つ一つ、知っていきたい。








共に、生きていくのだから。








愛しい人がいる、この美しい世界で。



 




さらさらと吹き抜ける桜の中、二人で時間を忘れて。








ただ肩を寄せ合い…桜を見上げていた。

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