第85話
離れて、見つめ合う。
久保様はただぼんやりと私の頬を撫でている。
「久保様…?」
「…ん、いや。…幸せだなと思って」
思わず名を呼ぶと、彼は急に腰を下ろす。
そして下から私の手を引くから勢いがついて彼の身体を押し倒すように上に崩れ落ちてしまう。
勢いを殺さず、彼はそのまま私を抱き止めるとなだらかな斜面に背を預けた。
「も、申し訳ありません…!」
「いや、よい。…
「むしろ…?」
そのまま強く抱きしめられる。
暫くそうしていると、久保様は呟いた。
「…今までで一番…生きている心地がする…」
はっとして顔を見ると、久保様はどこか憂いを帯びた泣きそうな笑みを浮かべていた。
「この戦乱の世で…好いた女を妻にし腕に抱き…そして幸せだと言ってくれる。…これ以上に幸せなことがあるだろうか…」
はらはらと、地面の緑が見えなくなるほどに桜が降り積もっていく。
まるで私の心が久保様の愛で満たされるように。
「…私も…心からお慕い申し上げております」
その言葉が嬉しくて。
泣きたくなるのを堪えてそう告げ、その胸に頬を預ける。
久保様は笑ってくれたけれど、ぽつりと呟いた。
「…言っておくが…私は…そんなにいい男じゃないぞ?」
「え?」
その言葉の意味がわからなくて声を上げると、私を抱いている方の手で頭を撫でてくれる。
暫く無言でそうしていた久保様は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「…今だから言うが、本当は…諦めていた。この人生。島津に生まれた事を恨めしく思ったこともあったし、兄上が生きていればと、今は亡き兄上を恨んだこともある」
思わぬ言葉に、目を見開く。
久保様の兄上様は、確か久保様が4つの時に早逝されている。
彼はそれから、義弘叔父上の嫡男として扱い育てられた。
「—————————どうして、私なんだ…と」
暫く何かを考えていた久保様の、不意に落とされた抑揚のない言葉に、ずきりと胸が痛む。
久保様は皮肉るように続けた。
「九州征伐では父上が最後までこの真幸で豊臣に反抗するから、目をつけられその尻拭いに私は上洛までさせられた。そしてこれまでの島津の行いを
捲し立てるような冷たい声を初めて聞いて、そんな物言いをする人じゃないから少し不安になる。
「家臣の皆が大切なのは心からそう言える。だけど…どうして、私なんだと。どうして皆、全てを私に押し付けるんだ、と誰にも言えないことをずっと考えていた。…亀寿に会うまでは」
初めて垣間見た…誰もが品行方正と言う彼の心の内の獰猛な葛藤と苦しみに、私は言葉を無くす。
気付けなかった。
私も。
…きっと、誰も。
「…己が何のためにいるのか…気づいたらわからなくなっていた…」
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