第75話
「あの、久保様」
「ん?」
久保様の前に乗せられ、私は恥ずかしさをごまかすように小さく振り返り。
そして無駄な抵抗をしてみた。
「私、前も申し上げました!馬くらい一人で乗れます…!」
すると久保様はそんな私に、ただ綺麗に笑っただけだった。
「…知ってる」
その声が低くて、思わずどきりとしてしまう。
それと同時にふと頭を撫でられたかと思うと、私の髪についていた桜の花びらを取ってくれたらしく。
彼はそっと私の耳元で囁いた。
「…ただ私が離したくない。…それだけだ」
後ろで皆が賑やかに出立の支度をしていると知りながら、彼は手綱を片手で持ったまま、ふわりともう片方の腕で私を後ろから抱きしめる。
いつもの花のような彼の香の香りが鼻をくすぐって。
それに胸が高鳴るけど、同時に落ち着いてしまうのは…どうしてだろう。
「若ー!!支度が…」
叫んだ久規殿の声を背中に感じてどきりとするけど、誰かが止めてくれる。
「ちょっと…!何やってんですか!空気読んで…!あっち行きますよ!」
…親匡、だわ。
親匡はどうしてか、私と久保様が共にいると他の者たちを遠ざけてくれる。
まるで私達二人の時間を守ってくれるかのように。
それに
今度、御礼を言っておかねばならない。
「…賑やかになりましたね」
ぽつりと久保様の腕の中で呟くと、私の後ろで彼がそっと微笑んだのがわかる。
「あぁ。皆が飯野を盛り立ててくれるだろう。お松ももう少しで治癒しそうとのことだな?」
「はい」
「そうか。早く来てくれるとよいな」
そんな爽やかな声とともに久保様が馬の腹を蹴る。
馬が歩き出して、風と共にさらさらと桜が舞う。
それがただ綺麗で。
思わず笑顔になった。
「綺麗…」
思わずそれに手を伸ばすと、もう一度片腕で私を抱いた久保様が囁いた。
「…さぁ。我が城へ参りましょう。…姫」
耳元で囁かれた低い声。
久しぶりの敬語で言われて、出逢ったばかりの頃を想い出してどきりとする。
振り向くと…悪戯に笑う、彼。
桜を舞う中でのその笑顔は、ただ美しく。
それに私も笑い返した。
この桜を、私はきっと忘れることはないだろう。
久保様と共に見た…
—————————私達夫婦の始まりの…この皇徳寺の桜を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます