第67話

…あぁ。やってしまったな。










そう思いながらも、手に持っていた外科手術用の器具を置く。







令和なら獣医師免許剥奪か?なんて思いながらも彼女に声をかけた。









「…終わりました。大丈夫?痛かったですね」







無意識に亀寿姫にしがみついて痛みに耐えながらも頷いてくれて、安心した。








「傷が残ってしまうと思うけど…ごめんなさい。10日ほどしたら、糸を取りましょう」








「いえ…。忝のうございます…」








震える声でもしっかりとした受け答えに、武家の出か?と思いながらも首を横に振る。








抗生剤とか飲んでたがいいけどな、と思うがこの時代にあるはずもなく。






往診バッグにはたくさん入っているが明らかに異型の薬だろうから無闇に取り出すのも憚られる。







というか薬量がわからない。






でも、待てよ。






車に人体薬の薬剤量の本を置いていたことを思い出して、あとから取りに行こうと思う。






人の薬を動物に使うことは、多々あるから。








すると何処かに行っていた、手伝ってくれていたお坊さんが小走りで戻ってきた。







「傷に効く薬湯にございます。眠気が出ますが痛みも和らぐかと…。和尚様もゆるりと養生させよとのことです」







それを亀寿姫が受け取って、侍女らしき人に手渡す。








「…あとは私たち女子おなごにお任せを。年頃の女子故…何か事情があるのかもしれませぬ。志乃、お願いね」






「はい」







それに素直に従って、俺は若いお坊さんと共に部屋を後にする。








ふと、余裕が出て漸く彼をまじまじと見て思う。








…お坊さんじゃねぇな。







頭が坊主ではない。







総髪と呼ばれる、謂わば久保公と同じこの時代では普通の武家の成人男性のそれだ。








「…さっきはありがとうございました。助かりました」








俺が沈黙を破ると、利発そうな顔をしている彼は意外にもくしゃりと笑った。







「いえ、そんな。…申し遅れました。某、鬼塚三蔵と申します」








鬼塚三蔵おにつかさんぞう







どっかで聞き覚えある名前だな…と思いながら、その話し方からしても農民だとか身分が低いわけではないと思う。









「失礼ですが…お医者さん…ですよね?」








違うはずはないと思うけど、恐る恐る尋ねてみると彼は困ったように笑った。







   


「貴方様のような手技をお持ちの御方の前で医者と名乗るのは…いささか…」









「いやいや…!すぐわかりました。医者だろうなと」








そう慌てて言うと、彼は諦めたようにはにかんだ。







「…一応この皇徳寺で漢方を学ぶ医者の端くれではあるのですが…金創の心得はほとんど有りませぬ故、あまりお役に立てずお恥ずかしい…」









医者。






そして漢方医か。

 





…やっぱり。










「やっぱりそうですよね。本当に助かりました。ありがとうございます」







そしてこのバカでかい寺院である皇徳寺は、医者を育成するそういう役割もしていたのか思うと妙に納得する。






この時代は『医僧』と呼ばれる医療技術を身に着けた僧侶が多く活躍していたはずだから。





 


そう考えながら、ふと彼の腰に刀が差してあることに気づいて二度見する。








すると彼はあぁ、と笑った。









「…こう見えて、小さな武家の生まれなのです。…一応」








「一応?」






 

小さく尋ねると、彼は俯いて笑う。







「…妾腹で。正室に待望の男児が生まれたからと、16の時に出家を命じられましてこちらに。ですが嫌で、死のうと思いましたが死にきれず…和尚様に助けて頂きました。人に生かされたこの命、せめて誰かの役に立てたいと…医師を志したまででございます」







こういうこと、この時代はざらにあったのだと思う。








「医師を志しながら、武士であることを辞める決心がなかなかつかず。…それでも和尚様はそれを咎めるでもなくここに置いてくださって。でも…いい加減、そろそろ諦めねばと思ってはいるのですが」








その壮絶な生い立ちに、何と声をかけていいか分からなくて困っていると、察したように彼は笑った。










「申し訳ありません。私のような者の身の上話をしてしまい…。お気になさらないでくださいませ。今日はこのような身の上のお陰で、山本先生の神がかった医術を見ることができました」









やはり、考えが大人びていると思う。






この時代の人は。









「…おいくつです?」








「24でございます」








…俺と然程変わらない。







「…漢方には詳しいんですか?」








「一応、一通りは扱えはしますがまだまだ精進せねばと思うております。…あぁ!」








そう唐突に叫んだ彼にびっくりすると、彼は思い立ったように明るい表情を見せた。








「そうです!先生、もし御迷惑でなければ、この私めにいろいろとご享受いただけませんでしょうか?」








「えっ?!」









まじかよ、どうしよう。








「……いやぁ…でも…」









いや…でも俺、獣医だし…。







確かに、この時代の医療に比べればどうしても、遥かに獣医である俺の方が知識はあるのかもしれないけど。






さすがにそれは。


  




そう思うと、鮮やかに土下座されてぎょっとする。







「私は失礼ながら犬猫の医師というものを存じ上げませんでしたが…その技術、感服致しましてございます。人の医師ではないと仰せですが生きとし生けるものを助けるは同じ。そして動物を助けられるならば人も助けられるかと存じます。逆も然り。何卒なにとぞ、お願い致します」








「ちょ…!ちょっと!止めてください!」







慌てて止めさせようとすると、彼は期待に満ちた目で俺を見てくる。







「では…!」







「いや…でも…」







未来の知識を教えることは、許されるのだろうか。







そう悩んでいると、三蔵はにやりと笑う。








「では、うんと言ってくださるまで、このままでおります」






「えっ?!」







俺の変な声を聞いて、三蔵は明るく笑った。

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