第53話

………普通に考えれば17代目は久保じゃないか?













いや、もちろんそんな記録もないんだけど。









だけど、ただひとつだけ。










『三州太守久保』と書かれた史料を見た記憶がある。










——————三州太守。








それは薩摩・大隅・日向の三州を治める者という意味の島津家の当主の尊称。








高校生ぐらいのときに調べまくってそれを見た時の、なんとも言えない不思議な気持ちを俺は覚えている。







…まるで探していたものを見つけたかのような。








それからも俺の歴史好きは変わらず、そしてずっとこの仮説を勝手に考えている。








九州征伐でその時当主だった義久は出家し降伏しているのに、同じく豊臣相手に奮戦し、なんなら義久が降伏したあとも籠城を続けた義久の弟である義弘に家督を継がせるのを、豊臣が許すだろうか?







許すなら、新しい次の世代では?







現に九州征伐の数年後に義久は、甥である久保を婿養子として迎え娘と結婚させている。






…となると久保と義久の娘夫婦に子供が生まれ、その子が成長した時に家督を継がせれば、義久の家系で島津宗家は繋がっていくわけで。




 



…そうなると、17代目は久保だったというのが妥当ではないかと思う。








もし仮に本当にそうだったとしたら。























……なぜ島津家の17代目当主は、偽りで塗り替えられてしまったのだろうか。



























病死とは言われているが、久保が早世したのも…不可解な気もしてくる。








と、まぁ、これは歴史好きなだけのド素人の考えだから偉い学者に言えば捻り潰されるだろうし、そもそも400年前の歴史の真実なんて、例えばタイムスリップでもしない限り…知る術なんてない。

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