第51話

猫神社は名前の通り猫を祀っているが、ただの猫ではなく。








戦国時代の武将である島津義弘とその息子の久保ひさやすが朝鮮出兵に連れていき、無事に生きて戻った猫2匹を祀っている。







…猫が朝鮮まで行って、無事に帰ってくるとは。







獣医としても嘘だろ、と思うし、ただの歴史好きとしても不思議に思う。







そのとんでもない猫2匹は『ヤス』と『ミケ』という名前までしっかり後生に残っていている。







そして久保が自分の名を与え可愛がった猫が、『ヤス』。


 




茶トラ白の猫だったらしい。








その所以ゆえんがあり、今でも鹿児島では茶トラ猫の事を『ヤス猫』と呼んでいる。








その逸話を知ったのは初めて仙巌園を訪れた小学生の時だったけど、どうしてか。












とても…懐かしい気持ちになったのを覚えている。













そのお陰で俺が一番好きな戦国武将は。




















———————島津久保しまづひさやす






















彼は天正元年生まれ。







九州の覇者と呼ばれた16代当主島津義久の後継者で、島津家の次の当主に若くしてすでに指名されていた男。


 


だけど文禄二年に豊臣秀吉による朝鮮出兵に従軍し、朝鮮で病没している。






享年21。






その若さなのに殉死者3名を出し、更にはその早すぎる死を悼み家臣十数名が出家。





その人たちが日本全国に主君である久保の菩提を弔う旅に出るという、他では聞いたこともないような家臣に慕われすぎている逸話が残る。






そして何より、かなりの愛猫家として知られる戦国武将。








…猫は優しい人がわかるからな。







だから優しい人なのは間違いないんだろうけど、その裏でとんでもなく武勇に優れた薩摩隼人。







朝鮮出兵では少数で敵陣を簡単に落とし。





さらには虎を追い回して一悶着あり、あの石田三成にキレられている逸話が残っている。







…これはほんとかよ、と思うけど。










あぁ、仕事よりも歴史のこと考えている方が心躍ってるわ。







最近は忙しくて、怒られるし、ミスするし。








向いてないのかな。







だけどそろそろ病院に帰って退勤しなければ、そもそも俺の癒しの史跡巡りなんてできない。







なんて考えながら何気なく腕時計を見たら今日の日付にはっとする。









「9月8日…か」








ちょうど今日、だったか。








島津久保の命日。









そしてハンドルを握ってアクセルを踏みかけた瞬間。








ふと横にあった電柱に貼ってある、住所が記された小さな標識を見て思った。




 

 




…そういえばここ、皇徳寺台。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る