第49話

「……私は生涯、桜が咲く度に皆を想おう。




何もあんずることなく…ゆっくり休めよ。





…島津の誇るべき忠臣達。





———————心から、感謝する」




 







  




それは空に眠る家臣の皆に言った言葉だと思って、私はその背に額を預けたまま目を伏せる。











17代島津当主として彼が初めて行ったこと。







それは…大切な家臣達の弔い。







皆の御魂を弔った…桜咲き誇るこの皇徳寺が。







優しすぎる彼のこれからの人生で、その心休まる場所になればいいと。

 





 


私は小さく願いをかけた。



 






「…よし」



 





ふと、漸く振り返った彼は小さな笑顔を口元に浮かべる。








「今はここで気持ちをゆっくり休めて、飯野に戻らなければ。これからやることが山ほどある」











これからの島津は、彼の治世ちせいが始まる。








ここから、始まる。





 



    

「…はい。今は俗世を忘れて、ゆるりと御心をお休めくださいませ。……太守様」









私が小さく戯けて見せると、彼は驚いて目を丸くする。







だけどすぐに、参ったなと言わんばかりにくしゃりと笑った。









「…俗世を忘れていい場所、か…」

 








そう呟いた彼は、もう一度空を見上げた。









「……今なら私が俗世を忘れても…皆目を瞑ってくれるだろうか」










そう言った彼に、私も皆が眠る空を見上げる。




 




「はい。きっと。皆見て見ぬふりをしてくれましょう。……さぁ、何をなさいます?」



 

 




今だけ、俗世を忘れて。


 






ゆっくり、その優しすぎる心についてしまった傷を癒してほしい。

 






「…では」








おどけた私を見て彼はふっと笑った。


















「…当主であること、忘れてしまおう」















思わぬ言葉に目を丸くする私の手を彼は勢いよく掴む。









「…皇徳寺ここにいる間だけ」









そして足早に歩き出した。









「あの…どちらへ…?」




  




何処へ行く気なのかしら。







すると彼は一瞬立ち止まって小さく笑った。









「…散歩だ」








「…散歩?」








「あぁ。この辺りは菜の花も綺麗なのだとさっき和尚が言っていたんだ。島津の当主であることも今だけ忘れさせてもらって、愛しい妻とこれからそれを見に行こうと思う」





  



そう綺麗に笑って、彼は手を繋ぎなおすと再び歩き出した。









「…島津のこれからの為にしなければならない事だらけだからな。ここにいる間だけ、少しだけ休んでしまおう。…皆に甘えて」









その言葉が、彼が少し前を向いてくれたようで…嬉しくて。


  







「はい」










笑って答えると、久保様もまた微笑んで私の手を強く握った。








手を繋いで、大きな楼門を潜って歩き出すと。








優しい春の風が吹き抜けた。





























これが、親匡との不思議な出逢いになるとは。




この時の私たちは微塵も思ってもいなかった。

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