第43話

ふと、頬に何かが触れる。







はらり、と。







 





「亀寿…」




 






久保様の声に促されるように、そっと閉じていた目を開く。







そして月明かりの中に浮かび上がるのは。






はらはらと舞い降りる、桜の花弁。










それに、久保様は美しく笑う。













「…まるで…雪のようだ。美しいな…」










そんな彼の声に誘われるように舞い踊るのは、一吹きの風に攫われた桜の花弁。








数多の桜が月光の中を舞い踊るその中に、美しい微笑みを湛えた彼の長く逞しい腕が伸ばされる。








この目に焼き付くのは、可憐な桜吹雪よりも。







ただ美しい…彼の横顔だった。







桜の花びらが、久保様の手の中に舞い降りる。








綺麗、と。







 

私がそれを覗き込むと、彼は桜が乗ったその大きな手を柔らかく握った。





















「これから毎年…来年も再来年も…共に老いるまで、こうして一緒に桜を見よう。 






—————待ち侘びたこの春を…ずっと共に迎えよう…」






















はらはらと、盛りの桜が舞い散る。






それを見ながら彼は小さく微笑んだ。










「…だが今は乱世。



私は武家の名を背負う限り…いつ死ぬかわからない」












そう言ってゆっくりと開かれた彼の手から、桜の花弁が風に誘われて飛んでいく。









それを見送った彼は、優しい瞳で私を見た。


















「…例えこの命尽きようとも私は永劫亀寿だけを想っている。




だから何度死に別れてもまたそなたと落花流水らっかりゅうすい夫婦めおととなり…



——————今日のこの日を迎えたい…」



 
















—————————落花流水。






散りゆく花は水に浮かんで流れたいと願い、流れゆく水はその花を浮かべて流れていきたいと願っている。






つまり互いに想い合っているということ。








転じて、"相思相愛"という意味を持ち。






そして去ってしまう春を表す季語。







どんなに惜しんでも、春はすぐに去ってしまう。







だから、桜に包まれ夫婦になった…狂おしいほどに愛おしい今日のこの日を、何度でも共に。








そしてこの約束を、生まれ変わっても何度でも交わそう。







終わりのない、螺旋のように。







桜の盛りの中で囁やかれたのは、そんな切なくも甘い…永劫の約束。




















「…そなたが…この約束を交わしてくれるなら…この修羅の道も怖くはない…」









この乱世。






生き抜くは、修羅の道。







島津が滅ぶときは、貴方様は喜んで命を差し出すのだろう。






滅ばずとも…島津を守るために、家臣を守るために、だとしても。






それが、島津宗家の当主としての…運命さだめ








それを背負う久保様が口にしたのは。








いつ命を失うかわからないこの戦乱の世において何よりも甘く切ない…







私達二人だけの、桜に誓う落下流水の夫婦の約束。

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