第17話
静まり返った空間に、蝉の声が煩い。
「…真にでございますか?」
久保様が静かに尋ねると、父上は頷いた。
「あぁ。亀寿を、嫁がせる」
それを聞いて、思考が止まる。
いつかは、と思っていたがこうも突然来るとは。
戸惑って俯くと、久保様が慌てて立ち上がる。
「やはり、私は席を…」
「何を言うか。よい。島津宗家にとって大事なことじゃ。義弘にも既に書簡で伝えてある」
「まさか!!豊臣方の!!!」
「最後まで聞かんか。そういうところはあの馬鹿そっくりじゃの」
あの馬鹿とは、義弘叔父上だと思うけどそれどころではない。
「亀寿を嫁がせるというか…そうじゃな。正しくは…婿を取る、か…。いや嫁に出すのは間違いないのじゃが…」
ぶつぶつと云う父上の声を聞きながら、心の臓が激しく音を立てる。
「…大事ないですか?亀寿殿」
「はい…」
久保様が心配をしてくれて私の顔を覗き込み座り直すと、父上は続けた。
「わしに男子がおらぬでな。上の二人の娘はすでに嫁に出してしまっている。そうなると亀寿が島津宗家の大事な跡取りじゃ」
姉二人はもうすでに嫁いでいる。
私が男であれば事情は違っていたのだろうけれど。
すると父上はぽつりと呟いた。
「…わしにはおらぬが、有り難いことにこの島津には年頃の男子は三人おる。誰が良いか、わしはずっと考えておったのだ。
…
父上は表情を変えることのない久保様を見据えると、小さく笑った。
「…もちろん血筋も大事だが、わしは何よりも人望とその器だと思うておる。
皆がついてこねば意味がない。
—————————…のう、久保」
その言葉に、久保様は揺らぐことなく強い瞳で父上を見る。
そのまま探り合うかのように、二人の視線は結ばったまま。
暫くして先に目を逸らした父上は、そっと立ち上がる。
そして縁側に立って夏の空を見上げた。
「…久保」
父上の声に、久保様はそっと体をそちらに向ける。
それを見た父上は静かに続けた。
「もし…一人の家臣の命と…家の名誉が天秤にかけられた時…
……お前はどちらを守る?」
熱を帯びた風がこの空間に吹き抜ける。
暑さを纏った…夏の薫りと共に。
「…それは…」
その声に父上が振り返ると、久保様は真っ直ぐに見つめて言った。
「——————————家臣、でございます」
さらりともう一陣の風が吹き抜ける。
「…それは何故じゃ」
感情の抑揚もなく落とされた言葉に、久保様は静かに続けた。
「…家臣は宝にございます。家臣の命すら守れずして…何を守れるというのでしょうか」
父上はそう答えた久保様をじっ…と見ていたが、ふっと表情を緩めて微笑んだ。
「…そうじゃな」
蝉の音が、静寂の中に響いて沈黙を誤魔化してくれる。
暫くして、父上が消え入りそうな声で独り言のように呟いた。
「…やはり、わしの目に狂いはなかったようじゃ…」
蝉の音に邪魔をされ聞き取れなかったのか、久保様は少し目を細める。
すると父上は深く息を吸って振り返った。
「…久保」
「はい」
「…お前、義弘から聞いておるな?」
それに、久保様は数回瞬きをする。
「……何を…でしょうか」
「あのたわけが…」
そして久保様の前に立つと、一息に告げた。
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