第8話

「…島津の姫ならば、先程…あちらへ」




















ふと聞こえた声に、はっとして顔を上げる。







すると私の目の前にあったのは、立ちはだかる直垂ひたたれを着た誰かの後ろ姿。








そしてその細い手が指差すのは、私がいるこの場所とは全く違う方角だった。








「まぁ、忝のうございます。失礼ながらどこのご家中の方か御名をお聞きしても?」









「…いえ。名乗るほどのことはしておりませぬ。この広い城内、男の私とて迷うほどです。なかなか見つからずともあまりお責めになられませぬよう」








訛もなく流暢に落とされた言葉に誰だろうと思う。







指差された方に小走りで駆けていった侍女を見送ると、その人はようやく振り返った。





























「………これでよかったでしょうか?」

























ふわりと笑うと同時にまた花のような甘い香りがして、目を見張る。







凛とした佇まいが、美しい。






同い年、くらいだろうか。






水色の直垂姿ですらりと身長が高い。






貴公子然とした端正な顔立ちをしていて、秀麗な人だと思った。








「…か、忝のうございました」









立ち上がろうとしたが、打掛をたくし上げていたし、泣いたこともあってふらついてしまう。









それをいとも簡単に腕一本で支えられ、不覚にもどきりとしてしまった。








「申し訳ありません…!」








慌てて離れてそう頭を下げるとその人は少し笑って、静かにしろ、と長い指を口元に当てた。









「………とりあえず、これでしばらくは大丈夫でしょう。落ち着かれたら自室に戻られるといい」








そういう彼の足元に、私が庭に飛び込んでしまったせいか、地面に落ちてしまった花の枝が落ちていることに気づく。







それをその人はそっと拾い上げた。









桜…?




 



そう思うと彼は綺麗に笑った。









「…植えたばかりで、狂い咲きのようですね。この桜」









差し出された桜の枝を無意識に受け取る。







時期外れに咲いている、綺麗な白に近い桜色。








「…綺麗」








今年の桜は、島津の行く末がかかった豊臣との戦の最中さなかで見ることができなかったから。






 

そう思わず呟いて小さく笑うと、その人は辺りを見回して小さな声で囁いた。









「…すでに島津は降伏しているのです。形だけの謁見になりますよ。大丈夫。…だから適当にやりすごすといい」









その言い方が少し戯けていて、桜を持った手で口を覆って少しだけ笑う。







それを見たその人は、柔らかく微笑んだ。







その笑顔が、綺麗で。







なんだか恥ずかしくなって俯くと、遠くから人の声が聞こえた。









「全く!若!どこにいかれた?!」





 




その声に、その人はバツが悪そうな顔をする。








さっきは同い年くらいかと思ったけど、その表情は少しだけ私よりも幼いようにも見えた気がして。









「…そちらも追われていらっしゃるのですか?」









「…そのようです」








目が合うと、同時に笑ってしまった。








「…笑ってくれましたね。よかった」








そういうと、その人は颯爽と部屋の中に上がる。









そして振り返りざまに綺麗に笑った。












「明日の謁見は…全て私にお任せを」













え、と思うとそのまま立ち去ってしまう。








「…若!!」



 





「まったく!何処へ行かれたのだ!!」




 

 




ふとしゃがみこんで、バタバタと走ってくる彼の家臣らしき人たちを見送りながら思う。









…優しい風のような、ひとだった。








甘い花のような残りの中で、手に持った桜が柔らかく風に揺れた。

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