玉響の桜〜愛し君へ〜前編

序章〜皇徳寺〜

第1話

慶長11年（1606年）3月。

「…また…春がやって参りましたね」

春の柔らかな風を頬に感じながら、目の端に映った桜の花弁が鮮やかで目を細める。

「今年も…私の愛しい御方に会いに参りました」

道中手折ってきた桜を、目の前のその供養塔にそっと手向けた。

「もちろん、貴方にも」

「御方様！御一人で行かれては危のうございます！」

後ろから聞こえた声に振り向くことはせず、私は手を伸ばす。

触れた冷たい石の供養塔を、懐かしむように撫でた。

「本当に…貴方はここでよかったのですか…？お傍ではなく…ここで」

あの日のことを、今も鮮明に覚えている。

忘れた日など…一日もない。

「…いえ。貴方らしいですね。隣ではなく…何かあれば前に立ちいつも私達を守ってくれていた…」

話しかけても答えなど、聞こえない。

だけどその代わりに優しい風が吹き抜けた。

「御方様。これを」

その時、そっと私の隣にまだうら若きの侍女がやってくる。

「一唯（いちい）様へと思って私も道中お花を集めておりましたが…半分この御方にも」

その手には、春らしく色とりどりの花々が抱えられていた。

「どなたかは存じ上げませぬが、きっと御方様の大切な御方だと存じますので…」

彼女は花を手向けて、供養塔にそっと手を合わせた。

その無垢な優しさに微笑む。

微笑んで、涙が出そうになる。

あぁ、私も。

彼女ぐらいの年頃に出逢ったのだと思って。

—————————最愛の夫に。

「…ありがとう、春」

侍女は私のその言葉に少し恥ずかしそうに頭を下げた。

「…どなたなのか…お聞きしてもよろしいですか？」

遠慮がちに尋ねてきた声に微笑んで、私はその冷たい石の供養塔を見上げた。

「…これは私の夫の…

……一番の側近だった者の供養塔です」

私の、夫。

彼（か）の人を未だにそう呼ぶと、今私の周りにいる者たちは険しい顔をする。

だが春はふわりと笑った。

「ご先代の、一唯様の…」

ただ何の屈託もなく。

それがただ嬉しくて。

そっと微笑んで、頷いた。

「…えぇ。誰かが夫に会いにこの皇徳寺に参る折は、必ず参道にあるこの供養塔の前を通らねばなりません。…彼は未（いま）だに…ここで夫を守ってくれているのです」

「未だに…」

立ち上がって、頭身より大きな供養塔にもう一度触れる。

そして微笑んだ。

「貴方はずっと…ここで守ってくれているのですね…。

————————————親匡…」

そう話しかけてその石の冷たさを感じながらも、懐かしい彼の優しさを思い出して目を伏せる。

「ちかまさ…様」

「えぇ。山本親匡（やまもとちかまさ）といいます。夫が亡くなって2年後の御命日に…

—————私に殉死を願い出て参りました」

その言葉に、春の瞳が揺れる。

「どうして2年後に…」

その最もな問いに、微笑む。

「……夫の菩提を弔う旅に出てくれていた他の側近の者が皆、薩摩に帰ってきたのを見届けたからです」

私の言葉に、春は不思議そうに首を傾げる。

「…御側近の方が御主君の菩提を弔う旅に…？そのようなこと聞いたことがありませぬ…。一唯様は…御病気でお亡くなりになったのだと聞いておりますが…」

それに、私は薄く笑った。

…これは、私の夫が自らの手で選んだ未来が故に。

島津を守る、そのために。

この親匡に…その全てを託して。

それを偲んだ他の側近たちが、夫を弔う旅に出てくれた。

そしてそれを見届けた親匡はあの日…

————————私の夫に殉じる道を選んだ。