物理法則から切り離されて

@r2d27011

本文

 佐奈美は物理法則が自己の存在から切り離された事象を「チャリン」という聴覚情報で知った。これは佐奈美が最近友達になった異星人であるショコラの仕業に違いないと佐奈美にはすぐに見当がついた。

 佐奈美のショコラとの出会いは次のものだった。

 大学で物理学を専攻する佐奈美は木曜日の午後六時にいつもと同じように大学のゼミを終え、帰宅し、夕食をつくり、そして食べ終えてから入浴し、ソファに座りながら今日も頑張ったという想いと共の心地良い疲労感を感じている時だった。部屋の中の全くの静けさがその心地良さに染み入るような感覚だった。そして突然、次のような聴覚経験をした。

「わたしはあなたのお友達!ハロー、佐奈美!」

 青天の霹靂とも言えるあまりにも突然の出来事だったので佐奈美は自分が夢でも見ているのかと思わず勘ぐったほどだった。

「ハロー、ハロー、佐奈美!わたしは佐奈美のお友達だよー。」

 約一分間後にまた同じ質感の声が佐奈美の聴覚のもとへ届いた。佐奈美は一瞬驚き、自分が幻聴でも経験しているのかと思った。そう思った瞬間に次の言葉がまた佐奈美の心の中を通った。

「ハロー、ハロー、このわたしの声は佐奈美の幻聴じゃないよ。わたしは佐奈美の意識にハッキングしてこのデータを送っているだけよ。」

 この突拍子もない出来事に驚きつつ、佐奈美は冷静を保とうと努力した。そしてかろうじて、次の声を発した。

「あなたは一体誰?」

「わたしの名はショコラ。よろしくね、佐奈美。」

「いえ、あのー、そういうことではなくて、つまりあなたの名前じゃ

なくて、わたしはあなたがどういう存在なのかって訊いているの。」

「佐奈美、唐突なことだから驚いちゃうかもしれないけれど、わたしはベガ星系のある惑星からやって来たの。だから、佐奈美にとってはわたしは異星人ってことになるわね。」

「・・・・」

 佐奈美の心の中は約一〇分間程、真空状態になった。でも熱心なSF小説ファンであった佐奈美には、そのような絵空事のような状況へ対処できる十分なマインドセットがすでにあった。落ち着きを取り戻した佐奈美は言った。

「あなた、ええっとショコラさんは今どこにいるの?」

「物理的には佐奈美のすぐ近くだよ。」

「ということは京都にいるの?」

「そうだよ、マイフレンド、佐奈美。」

「会うことが出来るかな?ショコラさん?」

「もちろんOKだよ。でもわたしの今の外観は普通のアジア系ホモ・サピエンスと変わらないから、せっかくのご期待には添えないかもしれないね。」

「いつどこで会えるかな、ショコラさん?」

「明日、あなたの大学のキャンパス上っていう案はどう思うかな?」

「偶々だけれど、明日はわたし午後の4時まで何の講義もないから、いいタイミングのようね。じゃあ、午前一〇時に時計台の前でってことでいいかしら?」

「それでOKよ、わたしの友達、佐奈美。」

「でも、どうやってわたしが数いる人たちから誰がショコラさんだと分かるのかしら?」

「心配ご無用。わたしが佐奈美に声をかけるから、ハロー、マイフレンド。」

 翌日目を覚ました佐奈美の心を通ったものは昨日の出来事だった。佐奈美は目覚めがよい方で目が覚めてから三分間も経過すれば頭が高速回転するようになる。その頭で昨日の出来事について思いを巡らせてみた。殆どあり得ない話だけれど、実際にわたしの身に起こった不可思議現象とも言えること。今日、大学の時計台の前で午後二時にどのような人が——といっても異星人だけれど——わたしに声をかけるのだろうか?まあ、普通のアジア系人種だって言っていたけれど。それにしても、そのショコラという名の異星人は数多くいる人類の中でどうしてわたしをコンタクトの対象として選んだのだろうか?それは、是非とも今日ショコラに尋ねてみるべきことだ。佐奈美はデスクの上で充電し終わったスマートフォンで今の時刻を確かめてみた。午前七時一五分だった。いつも佐奈美が起床する時間帯だ。佐奈美は午前九時に一人暮らししているアパートメントから大学へ向かうという予定にした。あと約二時間だ。とにかく昨日の出来事に関しては、とりあえずの間は佐奈美の親友でもある美加にさえも伝えることはしないと肝に命じた。佐奈美は不安と期待とが入り混じった奇妙な感情を覚えた。

 佐奈美はインターネットでショコラの故郷であるベガ星について調べることにした。地球からの距離は約二五光年。そして二〇〇三年には惑星系が形成されつつあることが判明し、その惑星は太陽系に近似のものである可能性があるとのことだった。ということはショコラはその惑星出身ではないらしいことが窺える。というのも生命がそれも知的生命が生まれそして進化する時間が無いからだ。ショコラは私たち人類が未だ発見していないベガの惑星からやって来たのだろうと結論するのが妥当であるようだ。それにしてもショコラは何の目的で地球へやって来たのだろうと佐奈美は深く考えた。とりあえずショコラは善意の持ち主であるようだ。でもそれほど簡単に信用していいものだろうかという思いが佐奈美の心の中を過った。ひょっとすると佐奈美を誘拐するために佐奈美とコンタクトをとったかもしれないではないか。その可能性を完璧に払拭することはできない。とりあえず慎重になるに越したことはない。今日、佐奈美はそのショコラという名の異星人に会えることに胸が躍っていたけれど、くれぐれも慎重になるようにと自分に命じた。


 午前九時五五分に佐奈美は大学のキャンパスの時計台の前にあるベンチに座っていた。すると数分後、ある女学生だと思われる女の子が佐奈美に近づいて来て佐奈美に声をかけた。「ハロー、マイフレンド、佐奈美!わたしはショコラよ、よろしくね!」その声をかけた人物の容姿は可愛らしい女の子というものだった。そして、どこから見ても普通の女性アジア系人種の容貌だった。「よ、よろしく。わたしは佐奈美です」佐奈美は心の動揺を感じつつその言葉を発した。今二人の会話を聞くことができる第三者はその付近にはいなかった。そのチャンスを捉えてかショコラと名乗る人物は言った。「佐奈美、今からあなたをわたしが所属する宇宙船内へと連れて行くけど、いいかな?」

 その突拍子もない申し出にさすがの佐奈美も驚いた。

「ええ?宇宙船?」

「そうよ、宇宙船。わたしたちの言葉のやりとりを第三者に聞かれるとまずいでしょ?」

 その言葉の実際的信憑性を佐奈美はすぐに理解した。

「そ、それはそうよね・・・。いいわ。わたしを宇宙船に連れて行ってちょうだい。でもどうやって?』

 佐奈美がそう言うとショコラは「じゃあ、今から人気のない場所へ行こうよ。そうしないと危険度が高まるから」ショコラの言われるまま、佐奈美はショコラの後をついて行った。そうして二人が辿りついたところは、二人の他には誰もいず、そして遠方からも二人の存在を見る者も誰もいないような、実際ショコラはキョロキョロと辺りを見回して二人を見ているものはいないか確認していた。そこは、いくつかの樹木が林立するスポットだった。そのスポットへ辿り着くとショコラは身に付けているジャケットの内ポケットから何やらスマートフォンのような機械を取り出し、佐奈美の方へその機械を向け、そして佐奈美は青色の光が自分に注がれるのを感じた。

 気がつくと佐奈美はさっきまでいた場所とは明らかに異なる空間に自分がいることに気づいた。そしてショコラもすぐ近くにいることにも気づいた。その空間の中に存在するのはいくつかの低い樹木とそしてベンチであること、そしてその空間は驚くべきほど広かった。なんと言っても地平線が見えるほどだったのだから。どこまでもつづく草原と言った風景に佐奈美は驚きを感じつつも同時に安らぎも感じていた。

「こ、ここがショコラさんの宇宙船の中なの?」佐奈美はようやくのことでその言葉を発した。

「そうよ、そうこそ、マイフレンド佐奈美!」

「でもこんなに広い宇宙船なの?」

「ああ、わたしたちが見ている風景はホログラムが生み出したものに過ぎないのよ、佐奈美。」

 佐奈美はSFファンらしくその言葉の意味をよく理解した。そして次の言葉を発した。

「ところで、どうしてわたしを選んだの、ショコラさん?」

「ええ、どういう意味?」

「この地球上には約八〇億人もの人がいるわ。その中から敢えてわたしとコンタクトをとった理由よ。」

「ああ、そのことね。佐奈美、あなたは宇宙の真実に興味を持っていて、それは数学と関係していると考えているよね?」

「ええ?!まあ、そうだけど・・・」そして佐奈美はきっとショコラが自分の意識をスキャンしただろうということに直ぐに気づいた。

「でもそれと、わたしをコンタクティーとして選んだ理由は何なの?」

「佐奈美、わたしたちはベガ星系である実験をしたの。それは、この宇宙の真実へとアクセスするというものだった、単純化して言うとね。そうすると何が起こったと思う?」

「何が起こったの?」

「わたしたちはこの宇宙の創造主であるエンティティーと交信をとることができたの。まあ、その創造主はこの宇宙の神のような存在であると言えるわ。」

「でも、それとショコラたちがこの地球へと訪れたことと何の関係があるの?」

「それはね、わたしたちとは異なる認識能力を持つエンティティーに同じ実験をさせたらその結果何が起こるのかを確認したいからよ。わたしたちの世界の哲学では、この宇宙のそれぞれ別の生命にはそれぞれ別の認識能力が宿っているということが明らかになっているわ。だから、わたしたちは地球へ訪れたのよ。地球に知的生命体が存在するってことは確認済みだったから。佐奈美、あなたに宇宙の真実へアクセスしてもらい、その結果この宇宙の神と呼ぶに相応しいエンティティーと交信をとってもらいたいの。あなた方地球の知的生命体の場合、どういう転末になるのか確認したいからよ。そもそも佐奈美が宇宙の真実へとアクセスした場合、この宇宙の創造主であるエンティティーと交信できるかさえ、わたしたちには未だ不明だけれど。佐奈美、協力してくれるかしら?」

「いいけれど、実際的にわたしは何をすればいいのかしら?」

「わたしたちが佐奈美の意識にハッキングして、あなたの存在を物理法則から切り離すの。そして形而上法則との接続性の濃度を高めるわ。そうすることによって佐奈美はこの宇宙の真理を見ることができるようになるはず。そしてこの宇宙の創造主との交信も可能になるはず。それらの経験をわたしたちに報告して欲しいの。ねえ、いいかしら?」

 何やら壮大な話で、佐奈美は少し圧倒されていたが、特にショコラたちに協力しない方がいいという理由もない。佐奈美はショコラに言った。

「いいわよ、ショコラ。」

「ありがとう、佐奈美、マイレンド!じゃあ今から元々佐奈美がいた普通の現実世界へと帰すわね。その後佐奈美は普通の生活を送っていていいわ。そのうち手筈がととのったら、佐奈美を物理法則の支配から切り離すから。何か疑問点、腑に落ちない点があれば言ってちょうだい。」

 佐奈美はしばらく思いを巡らせた。そして次の質問をショコラに言った。

「わたしが経験することをどうやってショコラたちに伝えればいいのかしら?」

「わたしたちは佐奈美の意識へのモニターリングをキープしつづけるから、特に佐奈美が経験することをわたしたちに伝える必要はないわ。」

「わかったわ、ショコラ。」

 佐奈美がそう言った瞬間に佐奈美は大学のキャンパスの樹木が林立する場所に一人で立っていることに気づいた。そして次の聴覚情報を脳が感知した。

「チャリン」

 佐奈美は自分の存在が物理法則から切り離されたという事象が自分の感覚にどのような影響を及ぼしているのか、自分の五感を通して探ってみたけれど特にこれといった変容はないようだった。ましてやこの宇宙の創造主との交信だなんて一体どのようにしてできるようになるのか全くわからないものだった。佐奈美は腕時計を見て今、午後の三時二〇分だということがわかった。その事実には佐奈美は少し戸惑った。ショコラと一緒にいた時間は一時間にも満たない。それなのにどうして数時間もの時が流れたのか、佐奈美には全く見当がつかなかった。ショコラと過ごした空間では、佐奈美が生まれて来て以来過ごして来たこの世界とでは時の流れの原理が異なるのかもしれない。物理学を勉強している佐奈美としてはそのように考えるに至った。さあ、四時からは熱力学の講義だ。それまでの約40分間をどのようにして過ごそうかと考えあぐねていたところ、「佐奈美!」という声が聞こえた。その声の質感に佐奈美は聞き覚えが無かった。声が発した方向へ顔を向けるとそこには親友の美加がいた。「佐奈美、どうしたの?変な顔して?」視覚的には完全に佐奈美が知っている美加だったが、聴覚的には見ず知らずの人のものだった。その時に佐奈美は、これが自分が物理法則と切り離されたという事象の結果の現象なのだろうとふと気づいた。

「んんん。ただ少しめまいがしただけよ。」

「そうなの?それだったらいいけれど。わたしは存在論概論の講義だけれど、佐奈美は?」美加は尋ねた。

「わたしは熱力学の講義よ。」

「ねえ、講義が終わるのは五時三〇分だから、それから何処かへ食べに行かない?」

「それだけど、わたし何か体調が少し悪いみたいだから、せっかくだけど遠慮させてもらうわ。ごめんね。」

「そう?何か今日の佐奈美って少し様子が変だけど、何かあったの?」

「んんん。何もないわよ。お気遣いありがとう。じゃあ、わたしは講義室へ今から向かうから。」

 そう言って佐奈美は美加と別れ、講義室へと向かった。

 講義を受けている間に佐奈美は何か自分の感覚に変化が生じていることを感じとった。まずいつもは佐々木教授の物理学の講義を理解するのに佐奈美は必死に集中しなければならないのに、今日は違っていた。何の努力を注ぐことなく、佐々木教授の熱力学の講義をサラサラと理解することができた。これが、佐奈美の心が物理法則と切り離されたという事象による結果なのだろうか?なぜ物理法則の呪縛から解き放たれたのみで、佐奈美の認識能力にこのような変化があるのだろう?

 大学から帰宅して、入浴も済ませた佐奈美はベッドの上に寝転がった。そうしていると佐奈美の聴覚に次のような現象が生じ始めた。

「ハロー佐奈美、聞えるかな?」

「ええっと、あなたはショコラ?」

「いいえ違うわ。わたしはこの宇宙の創造主である、ルーシーという、まあ名前なんて在って無いようなものだからどうでもいいのだけれど、誰もにルーシーの名前で通しているから、ルーシーということで。」

 佐奈美はどう返答してよいものやら少しの間困惑状態だった。そして約三分間程経過した後、ようやく次の言葉を心の中で発した。

「初めまして、ルーシー。」

「初めまして、佐奈美。」

「あなたは、わたしたち人類にとっては神同様の存在よね、ルーシー?」

「わたし、というかわたしたちは神のような存在ではないわよ、あなた方人類にとって。」

「ええ?そうなの?じゃあ一体どのような存在なの、ルーシー?」

「わたしたちは、あなた方人類が属している宇宙のより高次の世界に住む存在者に過ぎないわ。」

「でも、わたしが最近なった友達の異星人は、あなた方は神のような存在だって言っていたわ。」

「ああ、それはその異星人にとってそうであるだけで、まあある言い方をすれば、佐奈美のその異星人のお友達の認識能力の限界度によるものと言えるわ。」

「・・・・」

「わたしたちは、佐奈美やあなたの異星人のお友達、ショコラってお名前かしら・・・が住んでいる世界をシミュレートしている存在にすぎないの。だからある意味、佐奈美やショコラの世界の創造主ではあると言えるけれど、神ではないの。それから、わたしたちはわたしたちが自分たちがより高次の世界からシミュレートされている存在なのかどうか、わたしたちが有する認識能力限界までを使って確認したけれど、そのような事象はないようだったわ。」

「・・・・」

「ハロー佐奈美、マイフレンド!あなたの意識をたった今すべてスキャンさせてもらって興味深いデータを得ることができたわ。正直、わたしたちはかなり驚いているけれど。協力してくれてありがとう、佐奈美。心からお礼を言うわ。」

 突然、佐奈美が知っているショコラの声の質感でその音声データを佐奈美は感知した。

「ショコラ、わたしはどうすればいいのかしら?」

「そうね、まず誰にも言わないことね。その理由は、佐奈美が経験したようなことを言えば、佐奈美は精神病院へ運ばれる転末になるだけだから。」

「でも、わたしだって自分が経験したことを第三者に聴いてもらわないと気分が落ち着かないわ。何か気分が晴れない。」

「ああ、その気持ちはわかるわね。えーーーっと、私小説それもSF小説の形式ででもいいから何か書けばいいんじゃないかしら?ああ、それから言いそびれていたけれど佐奈美の存在と物理法則との関係は再びコネクトしておいたから、つい二分間程前に。」

 約三〇分後、佐奈美はMacBookAirに向い、次のようにタイピングしていた。

 ——真樹は物理法則が自己の存在から切り離された事象を「チャリン」という聴覚情報で知った。

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