崩壊

虚像

「こちらのメニューでお間違いないでしょうか?」

「はい」

「お会計が620円です」

「あっ、カードで」

「かしこまりました」

 店員さんがクレジット端末機を操作し、それが点灯する。デビットカードをそれにタッチし、決済が完了した。

 デビットカードのみならずクレジットカードも所持している。だが、クレカは後払いがとにかく面倒なので、今ではデビット一択だ。

「お会計が完了いたしました。レシートはご入用ですか?」

「あっ、結構です」

「かしこまりました、4番の番号札をお持ちになって、お席でお待ちください」

「はい」

 疲れを癒やす、その柔らかなにこにこ顔とともに手渡された番号札――直後、これの「4」という数字と「死」という漢字がリンクし、瞬間、背筋がゾクリとする。

 ……ダメだ、今日は何をしてもどこへ行っても。

 溜息をつき、手渡された番号札を手に適当な座席を探す。

 と、左奥にある、テーブルが2脚、チェアが4脚ある座席を見つけた。ブラインドが下がり、日光を遮断した薄暗い座席。今の私にはちょうどいい座席だ。あそこにしよう。

 それから、番号札を手に目当ての座席に向かい、そこにやってきてバッグをデスクの上に置く。その後、チェアを手前に引き、これに腰を下ろした。

 落ち着いた雰囲気の店内――ぐるりと周囲を見回すと、MacBookを黙々と操作する大学生や、頬杖をつき、ホットコーヒーを飲む女性など、個々人が各々の生活を営む風景が広がる。

 大雅冬馬という俳優が起こした、世間を震撼させる例の事件。しかし、これが人々の生活に悪影響を及ぼすことはなく、彼が逮捕されたとて、現実という歯車は寸分狂わず回る、回り続ける。

 と。

「ねえ、冬馬君が起こした例の事件だけど……」

「ああ……あれね……」

 誰かが七緒についてウワサする声が聞こえ、心臓が跳ね上がる。

 すかさず視線を泳がせる。

 七緒についてウワサする人物は、カウンター席に座る2人組の女子高生だ。

 そこにぽつんと置かれたアイスキャラメルラテの容器、半分以上溶けた氷がテーブルの上に水溜まりを作ったそのありさまを見、彼女たちがここに長時間滞在していることにすぐ気づく。

 ……ガン見してはならない、周囲に怪しまれてしまう。

 何事もなかったかのように視線を外し、耳を欹てる。

「うん……。冬馬君、匂わせとかそういうのがまったくなかったから、今回の報道で交際相手がいたのを知ったとき、ほんとうにほんとうにショックで……。ねえ、わたし、どうしよう……どうしよう……どうすればいいの?……」

「大丈夫だから。いったん落ち着きなよ、モモカ」

「うん……うん……」

 モモカという少女が平静を保てるのは友人が傍にいるから。ただ、このままではきっと取り乱してしまうに違いない。

「っ……ごめんね……ごめんねっ……ミク……わたしっ……わたしっ!!……やっぱり耐えられないよぉ!!」

「モモカっ!!」

 ミクと呼ばれた少女がモモカの名を叫んだ直後、モモカが泣きじゃくる声が店内を瞬く間に支配する。

 ――イタイ、イタイ、キキタクナイ、キキタクナイ。

 ――けれども、モモカの叫びから目を背けることは、自分と向き合うことを放棄し、彼女を傷つけた過去から目を背けることを意味する。

 このように考えてしまい、彼女の叫びから目を背けられない。

「ばっ……番号札が4番のお客様……」

「あっ……はい……」

 ハッとして咄嗟に顔を上げると、微苦笑を浮かべる店員さんがそこに立っている。そして、メガマフィンのセットが乗ったトレーを座席にそっと置き、番号札を回収してから「ご、ごゆっくりお過ごしください……」と伝え、急ぎ足でこの場を去った。

 ……いやいや、ごゆっくりどころではない。

 相も変わらず泣いているモモカ。店内を見回すと、頬杖をつき、ホットコーヒーを飲んでいた女性が彼女に憐れみの目を向けている。

 女性の眼差しに潜むそれ――彼女は、大雅冬馬という虚像の崩壊から壊れてしまった、モモカというひとりの少女をきっと憐れんでいるに違いない。

 大雅冬馬という虚像の崩壊が招いた悲劇――。

 その時、モモカの泣き声が、パタッと止んだ。

 途端、まるで時間が止まったかのようにしん、と静まり返る、不気味な雰囲気が漂う、廃墟のような店内に背筋がゾクリとする。

「……あのね、ミク」

 泣きやみ、ぼそり、まるで魂が抜けたような声音でミクに話しかけるモモカと、そんなモモカに向かって「ん?」と彼女の心に寄り添うような声音でそれに返答するミクの2人。

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罪に染まった愛 七條礼 @ShichijoAkira

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