5-7:最良の結末のために

 何よりも欲しいと思うもの。

 それは、綺麗な『結末』だ。


 それについてのヒントを、かつて千晶からこの場所で語られた。


 彼がこの場所でその話をした時に、心からそれを『良い』と思った。難しいことなど何もなく、それが人間としてはもっとも綺麗な『結末』の捉え方になるのだと。


 天国とか、死後の生とか、死生観とか。そんなあらゆる小難しい話は必要ない。心から『それ』を信じることが出来さえすれば、それで全てが収まってしまうと感じられた。


 それは、ごく幼い少女にだって理解できるもの。単なる優しい嘘かもしれない。けれど、それを信じることによって確かに救われるものがある。


『死者は、生きている人間の心の中で存在し続ける』


 あの世なんてよくわからない場所に行くのでもなく、死後に無に還るのでもなく、自分が信じている限り、たしかに存在を続ける。

 そう信じられるだけで、確かな希望が保たれることになる。


 だから、自分はそうあることを望みたい。

 そして、自分になら今それが出来る。


 カラスに頼めば、きっと実現できるはずだ。千晶が消えないように、自分の心の中に受け入れさせてくれと。そして彼が消えないよう、存在を保ってくれと。

 それをすることが出来れば、この瞬間にどうにか彼を救うことだけは出来るはず。


 そう考え、言葉を発しようとした。

 その瞬間、急に目の前が開ける思いがした。


 違う、と心の中で呟く。


 この『方法』は、そんな小さな結果を出して留まるものではない。千晶一人をここで救うだけではなく、もっと大きな使い道があるはずだと。


 気づいた刹那、心の中に波紋が広がった。小さな揺らぎだったものがどんどん大きく広がって行き、全てを満たしていった。


 これなら、本当の『結末』を手に入れられるかもしれない。


 閃きは次第に確信に変わっていく。この方法を利用すれば、今の絶望を全て終わりにできるかもしれない。


 人間の中には、ここでこんな決断をすることを、『迷惑だ』と非難する者も出るかもしれない。けれど今は心から、これが唯一の答えだと信じられる。


 だから、皆には付き合ってもらうしかない。この人生最大のワガママに。

 それを今ここで、はっきりと伝えなければならない。





 一発の銃声が鳴り響いた。


 頭を殴られた気分がした。両耳が激しくこだまし、脳が揺さぶられて何度も視界が震動する。

 右肩にも酷い痛みが走っていた。慌てて左手で押さえ、直斗は痛みに耐えた。


 宍戸は驚いた表情をしていた。あんぐりと口を開き、喋りをやめて振り向いてくる。


 肩で大きく息を繰り返し、直斗は拳銃を投げ捨てる。

 ゆっくりと立ち上がる。ふらふらと体がよろめくのに耐えながら、まっすぐにカラスへ向き直った。


 耳はまだ聞こえない。後遺症が出るかもしれないと、妙に冷静に考える。

 でも、別に構わなかった。


「答えが出た。今すぐ、実行してくれ」

 ここから先は、ひたすら喋るだけだ。他人の言葉を聞く必要はない。


 この状況での最良の結末とは何か。目の前にある問題に対し、どんな答えを出すことが、もっとも幸せな結果を招くのか。


「質問にも答える。魂も心も、どっちも大事だ。どっちかを捨てることなんてしない」

 口を動かし、はっきりと告げてやる。


 カラスはきょとんと首をかしげていた。真意を問おうと丸い目を向けてくる。


 いったん自分の両耳に手を当て、鼓膜の反響を押さえようとする。まだまともに音は聞こえない。でも、かすかな振動くらいは察知できる。


(ネアンデルタール人っているだろ。現在の人間の前にいた人種だけどさ)

 かつて、この場所で千晶と語り合った話。人類学者の老婆が語ったというもの。宗教もろくに持たなかったはずの原人たちにも、死者を弔う風習があったこと。


 死後の世界がどうとか、魂の概念がどうとか。彼らはきっと持ち合わせてはいなかった。それでもしっかりと、死者の冥福を祈ることができていた。

 だから、それで十分なのだ。


「これから、操作をしてくれ。生きている人間全てに対して」

 大きく息を吸い込み、はっきりと要求を口にする。


「『死んだ人間の存在を受け入れて、心の中で生きられるように』と」


 これはあまりにも、大きすぎる問題。

 一歩間違えれば、人間全部が滅ぶ話。だからこそ、この町の問題だけで終わらせられる話ではなかった。今までと何も変わらないまま、終わらせられる話ではなかった。


 ここできっと、大きな『区切り』をつけねばならないのだ。


「もう、必要ないんだ。お前らが行きつくような『死後の世界』なんて。だからもう、ここから先は、人間は人間だけでやっていく。それでいいだろう?」


 強い自我を持って、既に他の動物とは異なる存在へと変わってしまった。その結果として、本来行きつけたはずの死後の世界にも行けなくなった。そんな人間が、今更どうこうしても自然に戻ることなど不可能な話だったのだ。


 だからいっそ、自分たち自身で全てを背負うしかない。


 これから生きている人間の心を変化させる。生きている人間は、死者の心を受け入れられるようになる。そして生きている人間の心の中で、死者はその後も存在を続ける。

 死後も無に還ることなく、身近にいた大切な誰かの心の中で生き続ける。


 それがきっと、最良の選択のはずだった。


 実現だって、可能なはずだ。

 千晶が残してくれた結果を見れば、それは確信できる。


 動物の霊を守護霊とし、心の中に受け入れた。それが出来るのだとすれば、死んだ人間の心を受け入れて、自分自身の中で生かすことだって不可能ではないはずだ。


 一人の人間が無数の死者を受け入れたら、さすがにあっという間にパンクしてしまう。でも、何十億という人間の心を利用すれば、難しいことではないはずだ。


 直接死者の姿が見えるわけでも、声が聞けるわけでもない。ただぼんやりと存在が感じられ、生きている者同士でそのわずかな気配を共有する。

 そして、ただ漠然と信じる。死者は無に還ったのではなく、どこかできっと、元気にやっているに違いないと。


「だから、今すぐやってくれ。不安があるなら、少しずつでもいい。まずは僕で試してみろよ。絶対にうまくいくって保証できるから」


 今ならしっかりと、自分の言葉もこのカラスに届いていると信じられる。いくら理屈の通じにくいこの相手でも、死者に関する問題だけは、まともに理解できるに違いない。

 それが、彼らの何よりもの使命なのだから。


「何を言ってるんだい、直斗くん。人類全員の心をあの世代わりにするなんて、そんなのおかしいじゃないか」

 鼓膜の反響がやわらぎ、混乱した男の訴えが届く。直斗は無視し、ゆっくりと首を振ってみせた。


 たいした問題じゃない。

 きっと本来は、それが自然なことだったはずなのだ。死後の世界とか魂なんて大仰に物を考えるようになって、悪戯に死者を遠くに感じるようになった。それをただ身近な物へと戻す。

 きっと大昔の人類は、それを自然にやれていたはずだから。


「だから、やってくれ」

 静かな気持ちだった。直斗は再度カラスに語りかけ、大きく頷いてみせる。


「もちろん、『回数に余裕のある奴』限定だ」

 あとはもう、こいつ次第だ。


 それ以上は何も言わず、直斗はそっと両目を閉じる。

 何も怖くない。きっとたいした変化でもない。ありのままに、ただ受け入れるだけだ。


 穏やかに、そう心の中で呟いてみせる。


 やがて、高らかなカラスの鳴き声が響き渡った。





 ゆっくりと、目蓋を開く。

 目に入るのは、ぼんやりとした橙の空だった。いつの間にか空を仰いでいたらしかった。


 静かに周囲を見回す。柵の上には無数の鳥たち。目の前には一羽のカラスと一人の女性。

 広がるのは灰色のコンクリート。その上に立つ、白いブレザー姿の男が一人。


 見える世界は、何も変わっていない。


 でも、明らかな違いが感じられる。目や耳とは違った感覚の中で、今までとは世界の質感が違っていると確信できた。


「なんだい。何も変わらないじゃないか」

 間もなく、宍戸が嘲笑を浮かべる。自分の胸に手を当て、わざとらしく左右を何度も振り向いてみせた。


「やっぱり失敗じゃないか。ダメだよこんなの。生きている人間の心の中で死人が存在し続けるなんて、ロマンチシズムにも程がある。そんなもので世界が救えるわけないじゃないか。やっぱり人は、進化をやり直さなきゃいけないんだ」

 嬌声を上げ、両腕を再び大きく広げる。直斗は特に反論もせず、冷めた目で相手を見た。


 今はもう、心が波立たない。この男の愚弄の声も穏やかに聞き流せる。


 かすかに、風が頬を撫でるのが感じられた。

 風の音に混じり、ふと耳元で声がした。


(まあ、しょうがないよな)


 聞き覚えのある、穏やかな声だった。


(あいつはもう、人間じゃないんだからさ)


 声に若干、呆れた風な響きが籠る。「そうだね」と直斗は呟きを返した。


 あの男は自らの心を改造した。人間としての限界を超えようとし、動物の感覚を得ようとした。今のあの男は人間でも動物でもない、中途半端な存在なのだ。


 ボッティチェリに向き直る。相手は小さく首をかしげた。

『どうするのか』と問われているとわかった。直斗は柔らかく微笑みを返す。


 きっと、彼らも理解している。『人間』の問題は、もう解決した。あとはただ見守るのみ。

 でも、『人間でない者』はどうするべきかわからない。


 だからここで、自分が道を示さねばならない。


(もう、終わらせてやろう)


 再び声が聞こえてくる。直斗はしっかりと頷きを返した。


 これは自分がやるべき幕引き。左腕を掲げ、まっすぐに宍戸の姿を指差した。

 首を巡らすカラスに対し、はっきりと『答え』を告げてやる。


「あの男に関しては、『本人の希望』を叶えてやってくれ」


 すなわち、『動物になりたい』という願望を。

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