4-2:守護霊を作ろう

 千晶だけは涼しい顔をしていた。


「まあ、行き止まりだってんなら仕方ないだろ。有明の線を追うのはここまでにして、また別の道を探さなきゃならないってだけの話だ」

 小さく肩を竦め、喫茶店の椅子に背中を預ける。テーブルの上のカップに手を伸ばし、泡立ったカプチーノをすすっていた。


 直斗は両手を組み合わせ、テーブルの前で首を振る。


「気を落とすなよ。俺はもともと、そんなに期待してなかったぜ。有明が死んでからもう一年以上も何もわかってなかったんだ。そううまく行くはずないさ」

 カプチーノを置き、ひらひらと手を振る。


「でも、悪い話ばっかりでもないぞ。有明の件なんかわからなくても、うまくすればこのまま一気に全部解決できる可能性もあるんだ」


 直斗はぼんやりと頭を上げ、目線で言葉の意味を問う。


「お前はさ、もしかして俺や榊先生がずっと無意味なことやってたと思ったか?」

 千晶は問い、背後を示す。榊は背後のカウンター席で、一人コーヒーを飲んでいるところだった。


「宍戸の奴は、しょっちゅう俺たちのやってることを『時間稼ぎ』だの『牛歩戦術』だのと馬鹿にしてやがったがな。俺にはちゃんと、それなりのヴィジョンってもんがあるんだ。だからこれを実現さえすれば、絶対に動物どもを立ち去らせることができる」

「そうなの?」と直斗は目を見開き、居住まいを正した。


「当たり前だろ。俺だってこのまま一生あいつらと付き合っていく気なんかない。一日でも早く全部終わらせるつもりで今日までやってきたに決まってるだろうが」


「そう、なんだ」

 少し、気まずいものがあった。


「それで、具体的にこれからどうするの?」


 問うと、千晶は顔を綻ばせた。誇らしげに自らの胸を手で叩く。


「本来の予定だったら、もう少し時間がかかる感じだったんだけどな。つい最近の動きのおかげで、予定がだいぶ早まった。宍戸の馬鹿のやったことも、いい感じに布石として役立ってくれそうだ」

 もったいぶった口調で語り、千晶は人差し指を立てる。


「俺たちが今からやることは一つ。あちこちにいるっていう動物霊どもを、この町の人間たちの『守護霊』に仕立て上げるんだ」


 それが全ての解決策になるのだと、千晶はその場で断言した。





 プランを実行するためには、もちろん『彼ら』の力を使うしかない。


 残念なことに、まったく犠牲なしに全てを終わらせることはできない。千晶のプランではこれから数百人単位の人間に『操作』を施すことになっている。


「宍戸の奴が幽霊騒ぎを起こしただろう。あれが意外に役に立つんだ」

 千晶は先日の事件について言及してきた。


 宍戸が暴走し、町に住む大勢の人間が幽霊を見るように操作した。


「俺がやろうとしているのは、その延長線上にある。幽霊が見えるようになった後、更にそこから動物霊たちが『守護霊』として人間たちに寄り添うようにする」

 内容そのものは、あっさりとしたものだった。


「例の『動物人間』の話がポイントなんだ。あれは、動物霊が人間の体を乗っ取ることにより、人間の知性を持った動物が生まれた。そのおかげで、動物が人間の感覚に合わせて話をしてくるようになっただろ?」

 千晶が知識を確認する。


「でも、何も脳味噌を奪われなくても、動物霊どもに知性の一部を貸し与えることはできるだろう。俺が狙ってるのはそういうことだ」


 守護霊として、動物たちを人間に憑依させる。そしてその人間には、動物霊が見えるようになる。


 そうすることにより、動物霊は人間に近い知性や感覚を持てるようになる。

 それが狙いなのだと、千晶は自信満々に語ってきた。


「それで、どうするの?」


「そうだな。そこから先はまあ、まだ仮説段階だ。だが、確証はある。あとのことはとりあえず、実情を見れば自然とわかるさ」


 千晶は不敵に微笑み、あえて結論を伏せてきた。





 これはとても、珍しいことだった。

 宍戸が町に波紋を起こすことはあっても、千晶や榊が自分から動物たちに働きかけることは滅多になかった。もしあっても、それは縁結びなどごく小規模なものだった。


 だが、今回のプランの対象は数百人単位となっている。


「やっぱり、宍戸が手にかけた人たちに守護霊を見させるの?」

 実行にあたり、直斗は質問を投げかけた。


 なるべくなら、意識の操作をする人間は増やしたくない。千晶ならそう考えるだろうと考えた。


 でも、千晶はそれを否定した。


「いや、宍戸が手にかけた奴らは今回避ける。そいつらはそいつらで別にして、新しく霊が見えるようにしないといけない。同じ奴に何度も操作を行うのは危険だからな」


 これにはどうも、首をひねらされた。


「安全策って奴だと思ってくれ。ギリギリの状態になる奴は出したくない。どんなに多くても、一人に対して一回しか操作はしない。俺は常にそう決めてる」

 朗らかに笑い、千晶は肩をポンと叩いてきた。「ううん」と腑に落ちないものを感じつつ、直斗は不承不承頷いた。


 そして三人で、例の運動公園へと赴いた。交信場所に辿り着き、千晶は街灯の上のボッティチェリに呼びかける。


「やることが決まった。『回数に余裕のある奴』限定で、今から言うことをやってくれ」





 しばらくは、結果待ちとなる。


 ただ幽霊が見えるのではなく、動物霊が守護霊として語りかけてくるようになる。人々がその変化に気づくまでには、もう少しの時間が必要となるようだ。


 その間に、ようやく一つの疑問が解けた。


「良かったら、お前も今日は一緒に来いよ。そう言えばずっと話してなかったもんな」

 放課後の時間になると、千晶は決まってどこかへ出かけていた。直斗はそれを見送るだけで、いつも行き先がどこかは聞けないでいた。


 ボッティチェリに指示を出した翌日、思い切って声をかけてみた。いつもどこへ行っているのかと。そこで千晶は朗らかに笑い、一緒に来るよう促してきた。


「はっきり言うと、かなり『ベタ』な感じの話だぞ。正直、自分でもガラじゃないっては思ってるんだ」

 道を歩きながら、千晶はそう示唆してきた。「ふうん」と内情がよくわからないので、直斗は適当に返しておく。


 行き先は千晶の実家が経営する病院。かつても水色のカードで入った場所だった。

 しかし今回向かったのは収容施設とは別の病棟。カードが使われる出番もなく、千晶はごく普通に一般病棟の病室へと入っていく。


「今日は、友達を連れて来たんだ。良かったら仲良くしてやってくれよ」

 引き戸を開け、千晶は柔らかな声を出した。「入れよ」と直斗にも部屋に入るよう促し、中にいる人物に紹介する。


 案内された場所は個室だった。


 中もとてもあっさりしている。窓際に介護用ベッドが一台置かれているのみで、部屋のスペースは半分以上が何も置かれずに遊ばされている。ベッドの傍らには小さな棚があり、そこにはライオンやワニのぬいぐるみが並べられていた。


木崎きざき夕美ゆうみ、っていう名前なんだ。俺の姉さんの遺した一人娘。要は姪っ子だ」

 ベッドの上には少女が腰かけている。膝まで毛布をかけた状態で、窓からの夕日を体に受けている。二人の姿を見て、ほんのりと微笑んできた。


 まだ幼かった。年齢は多分小学校の低学年くらい。千晶と同様に色白で、少し髪の毛や瞳の色素が薄い。まっすぐな髪を背中まで伸ばし、頭の右側に藍色のリボンを付けていた。


 肩幅は小さく、カンガルーのぬいぐるみを胸元に抱いている。


「夕美、こいつは俺の学校の友達で瑞原直斗っていうんだ。今はおじさんたちの家で一緒に暮らしてる」

 千晶は壁際の折り畳み椅子を運ぶと、少女のベッド脇に配置する。「はじめまして」と少女も笑顔で丁寧な挨拶をする。


「この人も、『ヒーロー』の仲間なの?」

「ああ、そうだ。一緒に町の平和を守ってるんだ」


 夕美と目線の高さを合わせ、千晶が目を細めている。直斗は一歩離れた場所に立ち、二人が語らう姿をそっと見守った。


 こういうことだったのか、と内心で思う。


 千晶がかつて言っていた言葉も、今ならよく意味がわかる。


 町の人間と親しく付き合っておけと彼は言った。そうすれば守ろうという気持ちも出るし、ちゃんと心を持った人間なのだと実感しやすくなるのだと。

 そうやって、自分を見失わないことが大切なのだと。


 千晶にとってはこの場所こそが、『人間』として自分を取り戻す場所なのだろう。





 千晶には十五歳年の離れた姉がいた。

 名前は坂上さかがみ夕香ゆうか。幼い頃から体が弱くて病気がちだった。それでも学業成績は優秀で、実家の仕事を受け継ごうと勉強に励んでいた。おっとりした気性の持ち主だったが、芯の部分では少し頑固で、『体が弱いと医者にはなれない』と周囲に諌められるのを頑強に突っぱねていた。


 彼女はいつも主張していた。『現実が思うようじゃない時ほど、日常的な時間を確保するべきだ』と。病気だからと言って学業をおろそかにするのは、ずっと病気が治らないと諦めるようで嫌なのだと。自分で『敗北』を決めてしまったら、もう完全に日常には戻れない。だから絶対に諦めないのだと気丈に語っていた。


 そんな姉は大学に進学した後に恋人を作り、卒業前に結婚した。やがて一人娘の夕美が生まれたが、娘が二歳の時に病気のために世を去ることになった。

 夫である木崎は坂上家の病院で医師として働き、亡き妻の両親が夕美の面倒を見るようになった。娘も母親と体質が似てしまい、ずっと病気がちの日々を送ることになった。


「そういう感じで、俺はちょくちょく遊び相手になってたわけだ」

 病室を出た後、いつもの児童公園に向かっていく。千晶は道を歩きながら、家庭の事情について語ってくれた。


「基本的に、俺の両親も姉さんの旦那も、今は俺のことがわからないし、認識もできない。これは『あいつら』がやったことじゃなくて、有明が操作したことだ。医療関係者だから例の水色のカードを使ってな。『非常事態だから家族とは距離を置くべきだ』なんて言って、勝手に記憶を変えやがった」


 そうなのか、と内心で呟く。公園の敷地に入り込み、いつものベンチに腰を下ろす。千晶も今日はコーラを買ってくることはなく、すぐ隣に座る。


「まあ、俺も家族に内緒で動き続けるのは厄介だから、あえて元には戻さないんだけどな。でも夕美だけは病院関係者じゃないから、記憶は操作されてない。変に思われるのも嫌だし、学校にも行けてなくて寂しそうだから、こうして会いに行っている次第さ」

 膝の上で両手を組み、千晶はしみじみと語ってくる。


「最初は義務感だったけどな。今みたいな状況になってからは、俺の方からたまに夕美に会わないと気が済まないようになった。なんて言えばいいのか、あそこに行けば少しだけ気持ちが切り換えられる気がするんだ」


 わかるよ、と心の中で返す。


「そう言えば、お前には一つ謝らないといけないことがある」

「うん?」と直斗は問い返した。


「実を言うと、お前がここに連れて来られたのは、俺のせいかもしれないんだ」

 千晶は自嘲気味に目を細めていた。


「今までも何度か、この町の歴史については語ってきたよな」

 千晶は組んでいた手を離し、一度大きく息をつく。


「この前はちょうど、榊先生が来たところまで話したな。あの人でちょうど十八人目」

「うん、そうだね」そして自分は二十人目。


「はっきり言うと、十九人目はたいして重要じゃないんだ。相沢あいざわ蘭子らんこっていう中学生だったんだが、まあ割と簡単に脱落した。最初の内は動物どもを怖がって何もしないでいたが、一ヶ月もしない内に急に心境の変化があったらしくてな。あいつらの力を使って、元の学校の同級生を攻撃しようとした」

 中学生か、と声に出さずに反芻する。


「こいつが選ばれたのは、多分房江さんが自殺したせいだ。結構高齢だったし、体力的に劣ってたせいで長持ちしなかったんだと動物どもは考えたみたいだな。だからその反動で、俺と年の近い奴が選ばれた。まあ、俺が一番長持ちしてるのも影響してるのかもな」

 それはたしかに、あるかもしれない。


「相沢は大人しい性格で、元の学校ではいじめに遭ってたらしい。それで一人きりでいるところでボッティチェリにスカウトされた。そしてこの町に来て、宍戸が実験の名目で何人も犠牲にするのを見た。それで悪い考えを植え付けられた」

「やっぱり、あいつが悪いのか」


「大体わかるだろ。動物どもの力を悪用したら粛清されるが、実験という名目で力を試すことには寛容なんだ。相沢はそれを利用して、わざと自分の嫌いな奴らを実験台にしようとした。でも、意外とあいつらは勘が鋭くてな。あっさりと本心を見抜かれて、その場で猫にされちまった」

「そうだったんだ」


「俺もいい加減、そういうのを見るの、うんざりしてたんだ。そこで、榊先生を呼んだ時に、あいつらが俺の意見を取り入れたのを思い出した。だから次に補充をするんだったら、ちゃんと善悪がわかる奴を選べって言ったんだ」


「それで、僕が呼ばれたって?」


「そこはまあ、あいつらなりのやり方だったんだろう。最初に一人を選んで、そいつが力を悪用するかを見る。そしてわざとその姿を身近にいる誰かにも目撃させて、そいつがそれをどう判断するかを試した。『力の悪用はいけない』って判断できる奴だったら、適性として合格ってことになったんだろう」


「なるほどね」

 芳市が暴走を始めた時、ボッティチェリから善悪の判定を頼まれた。


「まあ、そういうわけだ。俺が補充要員に注文を出さなければ、お前が巻き込まれることもなかったかもしれない。だから、お前には悪いと思ってる」

「千晶のせいじゃないよ」


 そっか、と彼は小さく顔を綻ばせた。


「でも一つ、いい情報もある。補充要員を選ぶ時、あいつらは必ず家族や周辺の奴の記憶を操作するだろ? だから、俺はあらかじめ言っておいたんだ。記憶を操作するなら、『カードの使用』みたいにうまくやれって」


「どういうこと?」


「つまり、もう少し効率よく力を使えって言ったんだ。記憶を一回操作して、更に元に戻すのにもう一回操作をしたら、それで二回分を使いきっちまう。何かの都合で別の操作を加えることになったら、もう元に戻れなくなるだろ? だからそうならないよう、最初に記憶を操作したら、特定の条件でそれを戻せるように設定しておけって言ったんだ」


「ああ、なるほどね」


「だから、お前の家族はボッティチェリがひと声鳴くか何かすれば、再び心をいじられなくてもすぐに元の状態に戻るはずだ。それを知ってると、少しは心強いだろ?」


「そうだね」と直斗は深く頷く。


 家族の件は一日だって忘れたことはない。いつか元に戻されるのを期待している。

 だから今は、とてもいい情報を貰った。

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