3-9:この町では普通のこと
何もかも、自分のせいだ。
笹原吉嗣は、絶対に救える人間だった。自分がもっと賢く立ち回ってさえいれば、問題に巻き込まれることもなく、平和に暮らしていられた人間だった。
教室の机に両肘をつき、直斗は頭を抱え込む。クラスメートらは昨日までと何も変わらず、とりとめのない話をしては笑っている。
今日は、学校に来るのが怖かった。
芙美は外出していて難を逃れたようだったが、家の中で『あの光景』を見て、彼女は一体何を思ったのだろう。
頭を上げ、両手の拳を握りしめる。
父親の件で戸惑う彼女に、どう接するべきか。何も知らない振りをして、彼女を励ませばいいのだろうか。
そんな風に考え出すと、手の平が震えてきた。居たたまれなさから手を開き、また少しすると拳を握る。
そうして何回も手の平を握りしめた時だった。
「おはよう」と教室に入ってくる姿がある。普段通りの快活な笑顔を見せ、クラスメートらに手を振ってくる。
「瑞原くん、おはよう」
隣の席に鞄を置き、芙美は同じく挨拶をする。直斗は咄嗟に反応できず、呆然と彼女の顔を見やる。
「ん?」と彼女は不思議そうに小首をかしげていた。
自分もそこまで馬鹿ではない。
もう、何が起こったのかは察しがついている。
「芙美、お父さんのことだけど」
放課後、芙美を校舎の裏へと呼び出した。
「お父さんの件だけど、どうしたの?」
言葉がつかえそうになるのを抑えつつ、一息に彼女に問いかける。
だが、まったく手応えはなかった。
「お父さん?」と芙美はきょとんとした顔をした。
目の前に暗い翳が差す心地がした。
「ほら、新聞記者だった吉嗣さん。ビーフシチューが好きで、町の事件について追いかけてた。お父さんは今、どうしてるの?」
「お父さんって、何言ってるの? わたしのお父さんは、わたしが幼稚園の頃に事故で死んじゃったけど。てゆうか、なんで瑞原くんがお父さんの名前知ってるの? わたし、前に話したっけ?」
不審そうな色を見せる。しかしすぐに気を取り直したように、芙美はにっこりと微笑む。
「どうしたの、急に?」
肺の奥を握りしめられる気分がした。息苦しさを覚えながら、直斗も平静を装う。
「じゃあ、今は、誰と暮らしてるの?」
再度質問を投げかけると、芙美はまた困惑した笑みを浮かべた。
「誰って、本当にどうしたの? 私は叔父さんと叔母さんの家で、今も普通に暮らしてるけど。どうして急に、そんなこと聞きたがるの」
顔では笑みを浮かべつつ、不思議そうな声を出す。「本当に大丈夫?」と再度聞いてきた。
「いや、いいんだ」
直斗はゆっくりと首を振る。「変なこと聞いてごめん」と小さく付け加える。
ふうん、と芙美は首をかしげて微笑んでいた。悲しみなど何も抱えていない表情だった。
児童公園に辿り着くと、千晶がコーラを買ってきた。
直斗のいるベンチの隣に缶を一つ置く。自分は手前で飲み口を開け、その場で炭酸飲料を飲み始める。
「俺のこと、恨んでくれてもいいからな」
短く息をついたあと、千晶はポツリと言った。
直斗はそっと隣の缶に手をかける。両手で握り締め、表面の冷たさを手の平で味わう。
「俺が家を空けてたのが悪かった。笹原の父親のことは、お前からもちゃんと報告されてたのにな。それなのに、対処しなかったのは俺の責任だ」
直斗はゆっくり首を振る。
「前にも言ったと思うけど、絶対に自分を責めるなよ。今はショックかもしれないが、『こういうこと』がこの町では普通なんだ」
千晶は言って、コーラを口に流し込む。「少なくとも俺たちにとってはな」と付け加えた。
直斗は力なくうなだれ、プルに手をかける。今は少しでも、頭の中のノイズをどうにかしたかった。
「一つ、聞いてもいいかな」
コーラを口に含んでも、気持ちは全然晴れなかった。それでも一つ区切りはつき、直斗は静かに顔を上げる。「なんだ?」と千晶は目元を緩めて聞いてくる。
「芙美の叔父さんと叔母さんっていうのは、『本物』の親戚なの?」
じっと目をそらさずに、彼に疑問を投げかける。
安アパートで父子二人で生活していた芙美と吉嗣。その吉嗣がいなくなり、芙美は同じ町に住んでいた親類に引き取られた。それは妙に都合が良すぎると感じていた。
千晶は何も答えない。間を置いてコーラの缶を口に運ぶ。
彼はけだるそうに肩を落とした。うんざりした風に目を細めている。
「……どうするんだよ、そんなこと聞いて」
地面の方を向き、吐き捨てる口調で言った。顔を背け、また飲み物を口に入れる。
定期的に、コーラを飲む音だけが周囲に響く。
やがて缶の中を空にすると、彼はクズ籠の方へと歩いて行った。
「言っただろ? これが、『普通』なんだよ。この町にとっての」
戻ってきたあと、彼は無感動に口にする。直斗は何も言えずにうなだれた。
仕方ないんだよ、と千晶は誰にともなく呟いた。
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